3章02話 個戦

文字数 2,691文字

 失敗した、お腹が空いた。
 やはり参加するんじゃなかったか。
 誇りあるアーベル家の人間が恥ずかしい。

 ――くるるる。

 ご馳走を前にして、空腹が限界だわ。
 口内によだれが溜まっていくのを感じる。
 もしかしたら誰かに聞こえてしまったかもしれない。

 私はテーブルにあるりんごを手に、一口だけ齧りついた。
 パーティー会場でお腹を鳴らしているなんて不自然だもの。

「怪しまれないため、怪しまれないため」

 これで断食は三日で終了、断水は三十時間の継続中。
 精神はまだ安定しているが、脱力感が抜けないわね。
 追加で水を欲しがる喉に、つばを飲んで誤魔化す。

 この飢えに対する人体検証はずっと前から続けている。
 船を使って脱出する上で、食事管理は何より大事よ。

 海に出れば、食料も水もまともに手に入らない。
 少ないそれらでやり繰りするには限界を知る必要がある。
 何日の航海か、どこに通じているかもわかっていないからね。

「はぁ……」

 ため息をこぼし、近くの木々に寄りかかる。
 ――大丈夫、誰からも見られていない。

 私は懐に手を伸ばして、慎重にそれを取りだした。
 四つ折りのA4サイズな紙、この世界の地図だ。

 テンの刀、アメリアの銃といった私固有の武器である。
 幾度となく試したけど、これは本物。嘘偽りない代物よ。
 おかげで今日まで生き残り、知った被りで過ごしてこれた。

 なぜ運営がわざわざ救済の糸を垂らしたのかわからない。
 しかし縋るしかない、船のマークと描かれた西向きの線に。
 ご丁寧に書かれた『Escape』には、目が離せなくなる。

「脱出……帰れる、あの場所に」

「イリス」

 夢うつつにその言葉を呟いた途端、声をかけられた。
 反射的に目を向ければ、アメリアが立っている。

「な、なに?」

 必死に平常心を保ちつつ、彼女の呼びかけに答える。
 地図は手のひらで軽く丸め、後ろ手にして隠した。

 一度見られているとはいえ、積極的に見せたくはない。
 理由は色々あるけど、決して信用していないわけではない。
 
 地図は頭でっかちな私にとって生命線なの。
 価値なき人間から死んでいくのが社会でしょ。
 そんな私の心情をよそに、アメリアが阿呆を吐いた。

「私って太ってる?」

「プッ!?」

 思わず吹き出してしまった。
 呆れを大きく通り越し、爆笑へ変わる。
 両手を叩きながら腹の底まで笑ってやった。
 
「アッハッハッハ! ヒィヒィヒィ!!」

 ひとしきり笑ってやると、アメリアの膨れっ面に気づいた。
 マフラーに口元を埋めながら、上目遣いで睨んでくる。
 私は苦笑いを浮かべたまま、仕方なく宥めてやった。

「いや、そんなことないわ。むしろもっと食べるべきだと思うわよ」

 あからさまに、アメリアが顔を明るくさせた。
 かと思えば、前髪を垂れさせて悲しげな声をだす。

「ソラがね、肩車してくれなかったの」

「んー」

 その一言でようやく”ある程度”を察した。
 大方ソラくんに無茶振りして、体格を理由に断れたのだろう。

 しょうもない、実にしょうもない。
 状況を考えろと一喝したい気分だわ。
 ここでフォローするのも頼れる大人の役目か。

「気にしないで、照れ隠しよ。彼が骸骨フェチでもなければ、今の体型でなんら問題ないはずだわ」

「そう」

 釈然としない声色だが、これ以上はどうしようもない。
 ただ釣られるようにして、意地悪を働きたくなった。

「な~に~アメリアちゃんはソラくんに惚れちゃったの?」

「うん」

 冗談混じりな発言だ、肯定されるとは思わなかった。
 慣れぬ恋愛相談に恥ずかしくなるも、アメリアは止まらない。

「ソラはロリータ・コンプレックスさんだから、振られちゃう。わたしが『おにーちゃん』と呼んでみても『なんか違う』と言われたし。あんまり女の子として見られていない気がする。どうしたらいいかな?」

 やれやれ、これがあの孤高なアメリアの姿か。
 いつも真顔で感情を見せないから恋など無縁なのかと。

 私がいくら話しかけても、顔すら見せなかったくせして。
 妙な親心から嬉しくなる一方で、決意が改まっていく。

 この子たちの未来はまだまだこれからなんだ。
 大人の私たちがしっかり紡いでいかないと。

「ねーイリス、どうしたらいいかな?」

 私が無言を貫いていたからか、返事の催促をされた。
 しかし専門外だ。適当に話を流して、その場を後にする。

「はいはい、考えておくわよ」

 次に向かった先は鳩ぽっぽの元だ。
 もはやなりふり構っている状況じゃない。
 配送屋の彼女なしでは脱出の難度も変わる。

「鳩ぽっぽ」

 呼びかけると、彼女が食べる手を止めた。
 口を半開きにし、目線だけ私に向けている。

「単刀直入に言うわ、私たちに協力してほしい」

 ぶっこんだつもりだが、まるで動揺しなかった。
 言われ慣れているか、予測していたのかもしれない。
 けれど構うことはなく、言いたいことをそのまま告げた。

「二つ、やってほしいことがあるの。一つはつまみ食い。注文品の二割をバレない範囲で収集してちょうだい。脱出時に備蓄として活用したいのよ」

 正直これは本命じゃないわ。
 共犯意識を植え付けるのが狙い。
 実際鳩ぽっぽは手を止めて、傾聴している。

「二つ目、私たちを罠に嵌めようとしている人間がいるから、それとなく探ってほしいの。運営側に立つ貴方なら私たちとは違う視点を持って、その人を見れるでしょ」

 いつもはお喋りなわりに、無言を貫いた。
 顔色から察するにあまり肯定的ではなさそう。

「お願い、もう絶対に失敗なんてできないの。仮にバレたら『脅された』って言っても構わない。私たちに一欠片でも好意があるのなら、どうか助けてほしい」

 卑怯な言い回し。結局は感情論だわ
 それに自覚はある、説得材料が弱いと。

 断られることは前提で、種だけ撒ければ十分だった。
 しかし私たちの交流は予想以上に影響を与えていたらしい。

「――良いですよ」

「へ?」

 まさか了承されるとは思わず、間の抜けた声が漏れる。
 聞き返す形になったためか、鳩ぽっぽが強く言い切った。

「良いですよ、できる限りやってみますです」

「あ、ありがとう……」

 追い風が吹いてきている、気がする。
 油断や過信は禁物だけど、胸が高揚し続ける。

 私は赤縁の眼鏡を外し、白衣の袖口でレンズを拭った。
 ぶっちゃけ、私は目がいい。眼鏡なんてかける必要はない。
 眼鏡かけていると頭良さそうに見えるから、かけているだけ。

 それでも、今この風を掴めぬようなら何のための頭脳か。
 ここからは知能戦、お前の土壇場だぞ――イリス・アーベル。
 そう決意を新たにして眼鏡をかけ直し、ほぅと息を吐いた。
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