1章16話 空と海の境目で

文字数 2,100文字

 光から遠ざかり、海底へと沈みゆく。
 テンを下向きにして、バタ足を繰り返した。

 夏終わりの海は冷たく、ずっしりと重い。
 服が水を吸い込み、深圧から耳鳴りがする。

 口内の空気はみるみる失われ、薄目になった。
 それでもまだ、深々と奥へ沈む必要がある。

「オレは負けない!!」
 
 出し抜けに、テンが叫びだした。
 胸元を押す俺の手から新たな感覚が生まれる。
 目を剥きながら噛みつき、歯をすり合わせている。

 あいからわず凄まじい気迫と執念だ。
 こんな状況でもまるで引く気を感じない。
 
 ――負けてたまるか、俺だって死にもの狂いで繋いだんだ。
 お前は勝利に飢えたかもしれないが、俺は空に餓死した。

「俺の勝ちだ」

 テンとしっかり目を合わせ、訴えかける。
 海中で思ったように声が出ず、伝わったかわからない。
 下っ腹に力を込め、思いの限りに大口で叫び散らした。

「これで終わりだ、負けを認めろ!」

 テンはひとしきりに睨みあげると、口を離した。
 眉も口角も下がり、寂しげな顔で苦笑する。

「そうか、負けたか」

 俺はぐぐっと膝を曲げ、彼の胸部に足を乗せた。
 可能な限りに身を縮ませ、つま先に力を集中する。
 恐れも不安もない、いつも通りに自分を信じるだけだ。

「――飛 び 上 が れ」

 あごを上げて、差し込む光に空を思い起こす。
 溜め込んだ力を一気に解き放ち、足先で弾いた。

 それは導火線に火をつけたような感覚。
 瞬く間に浮上して、水中を突っ切っていった。
 
※ ※ ※
 
 俺たちは死亡すると、死亡地点から任意の場所で復活する。
 ここで注目すべきなのは、復活地点を選べないということだ。

 死亡地点から復活地点にはその距離に上限がある。
 エリアをまたぐほど大きくはないことも実証済みだ。
 
 俺はテンとの勝負に”一勝”を目指した。
 彼相手にそう何度も勝つなんて現実的でない。
 よって一勝で彼の命を空っぽにする必要があった。

 なら――()()()()()()()()()()()()()
 テンを日の光さえ届かない海底に叩き込めばいい。
 復活地点が海中になれば、生き返ってもすぐに溺死。
 
 テンは残り命が少ないからこそ、移動距離には限度がある。
 なおかつ、復活時間が短くなっているという諸刃の剣つき。

 ここまでの過程には四つの課題があった。
 テンと海岸にいくこと、彼の浮力を可能な限りに無くすこと、一緒に飛び込むこと、海底に追いやりつつ自分は浮上すること。

 改めて列挙するだけで、頭が痛くなる。
 それほどまでに厳しい一勝だった――。

 俺は海底に沈みゆくテンを静かに見下ろす。
 彼には多くの人を傷つけられた、許せるわけはない。 
 蹴りをつけなければ、より甚大な被害が出ていたはずだ。

「……行かなきゃ」
 
 鼻をつまみ、水中を蹴り上げて地上に向かう。
 思うように足は動かず、棒切れのように軋んだ。

 自分でも思っていた以上に、疲弊していたらしい。
 次第に浮上できなくなり、あえなく沈んでいく。

 苦しい。酸素が足りず、頭は朦朧とする。
 いつしか辺りは自分の血で染まっていた。
 STOCK中の数字が着実に減少していく。
 
「あ」

 ふと、虚空を掴むように伸ばされた手が映った。
 届け届けと手を伸ばし、絶命したあの時を思い出す。

 俺は間違っていたのだろうか。
 いくらでも手段はあったのに、結果的にこうなる。
 失って、取り戻そうと足掻き、また失っていく。

「まあ、いいか」

 少なくともみんなを守れたんだ。
 俺なんかいなくとも上手くやってくれる。

 そう下ろした手の先に、何かが触れた。
 固く、妙にしっかりと長い棒状の感触だ。
 無感情に目を向け、ハッと息を飲まされた。

 ――()()()()が帯とともに俺の腰に差してある。
 意図を考えるにつれて、奥底から力が漲ってくる。

 託し、託される。これが生きるということか。
 どこかわかった気でいても、実際に体感するのは違う。 
 
 気づかないだけで、きっと背中を押されていたのだ。
 諦めるには早い。友が、家族が――帰りを待っている。
 俺は口元を抑えながら、再度海中を大きく蹴飛ばした。

※ ※ ※
 
「……ラ」

 声が聞こえる。
 視界は眩しく、浮いているような感覚だ。

「ソラ!」

 再度揺さぶられて、ようやく焦点があう。
 引き上げられたのか、いつしか海の上にいた。

 アメリアに抱えられ、胸の中にいる。
 長い髪の毛が濡れて額に張りついていた。

「大丈夫? 大丈夫!? よかった、よかった……」

 一転して泣きそうな顔になり、抱きしめられた。
 ぼーっと見ているうちに、朝なのだと気づく。

 何とか生き延びられたらしい。
 必死で身体が息を取り入れている。
 我ながらよく生きて帰ってきたものだ。

「心配かけたな」

 一拍の躊躇いを以って、彼女の背を撫でる。
 こうして喜んでくれるなら諦めないでよかった。
 
 生き残ることに、諦めないで良かったと感涙する。 
 直後、無機質で機械音じみた声が空から降ってきた。

『和堂天一の消滅を確認しました。繰り返します。和堂天一の消滅を確認しました。残り7名です』

 俺たちの物語はここで終わったわけではない。
 今ようやく、スタートラインに立ったのだ。
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