2章15話 愛ゆえに【悪】
文字数 3,221文字
人里を離れた山奥にて、自給自足の慎ましい生活。
果物を育てたり動物を狩ったり、リリたちは生きている。
自身が思うことを思うようにして生きる自由な日々だ。
でも人の欲求は止まらない。
嫌になったの、普通じゃない自分の身体の大きさに。
何をするにも屈まないといけないから不便で仕方ない。
何とかしようと調べたら、ある記事を探し当てた。
リリは早速それを手に大喜びで、彼に相談してみた。
「背を短くする手術がある?」
「うん!」
眉を上げながら聞き返す彼に、首を縦にする。
リスクも高いけど、足の骨を削ったりする手術だ。
普通の人と同じは無理でも、数メートル縮むだけで万々歳。
いつも通り、彼はリリと一緒に喜んでくれると思った。
どんな時だって賛同し、味方になってくれた人だから。
瞬時にビンタが飛んできた時は、びっくりして瞠目した。
「そんなふざけた冗談は言わないでくれ」
感情が一切こもっていない平坦な声だ。
「なぜわからない、君は世界で最も素晴らしい女性だ。山をも凌駕する身の丈に、真っ白く透き通る肌。それをわざわざ縮めるだなんて勿体ない」
恍惚とした表情で熱く語る彼を冷めた目つきで眺める。
愛してくれていると思っていた彼はリリを愛していなかった。
「あぁ、楽しみだよリリ。誓って、君似の子供が生まれる」
単なる醜悪な人間がそこにいた。
※ ※ ※
「普通に生きたかっただけなのに」
こんな自分でも愛してくれるなら化け物でいいと思っていた。
彼が愛していたのは化け物としてのリリで、リリ自身ではない。
普通に生きたかった、普通に暮らして愛されて子供を育てたかった。
「……あなたはリリを愛してくれるよね?」
感傷的になり、膨れ上がったお腹を撫でる。
ややあって、内側から蹴られる感覚があった。
それは今まで嫌悪感と涙を誘った痛みとは違う。
どこか心地よささえ覚える優しい痛みだった。
――三週間後、未来が生まれた。
人一倍小さくとも、元気な元気な女の子。
「あーあー!」
生を受け、生きよう生きようと叫ぶ産声だ。
横目に見ているだけで、胸が締め付けられる。
触れたい、モッチリと触り心地良さそうなその肌に。
ところが、恐る恐るに伸ばした手は彼に振り払われた。
今までに見たことないほどの冷たい目で、厳かに口を開く。
「触るな、傷ついたらどうする」
彼の形をした何かが、気味の悪い笑みで坊やを抱き上げる。
リリを一瞥だけすると、背を向けて外の方に歩き出した。
「さようなら、リリ。この子は必ず、君よりも大きくなるよ」
奪われる、あたしの未来が――愛が。
「待って! 置いて行かないで!」
出産のせいで体力を使った、下半身が動かない。
「動け……!」
起き上がろうとも崩れ落ちる自分の身に喝を入れる。
けど、無理だ。鉛でも入ったような倦怠感が抜けない。
絶望が目を曇らせ、次第に脳は人間であることを捨て始める。
導かれるように手が動き、腹ばいの状態になる。
手を地から離し、また付けて足は引きずったまま移動した。
山を下り、立ち並ぶ木々を薙ぎ払って、街中に出る。
人々が一斉に悲鳴を上げたが、構わず突き進んだ。
逃げ惑う野次馬の中に、彼の姿を見つける。
彼はその腕に小さな赤子を抱えていた。
リリの視線に気づいたらしく、大声でわめく。
「来るな! この子は俺の子だ!!」
……リリが間違っていた。
この世に愛なんてものはない。
如何に他者を自分のために利用するかだ。
信じて裏切られるぐらいなら初めから何もいらない。
「ごちゃごちゃうるさい――」
リリが口いっぱいに開くと、彼がぎょっと停立した。
もういい、リリに夫はいなかった。坊やだけでいい。
頭部を彼の元にまで伸ばし、ひとえに飲み込む。
直後、彼の腕から坊やが落ちて、大声で鳴き始めた。
打ちどころでも悪かったか、薄っすらと血を流している。
それに思わず動揺してしまい、彼を飲み込めなくなった。
喉元を過ぎまいと藻掻いているらしく、息ができない。
「ひゅーひゅー……」
そんなことはどうでもいい。
坊やの容態に目が離せず、人差し指は伸びる。
触れれば傷つけると嗜められた過去を思いだす。
「ひゅー……」
嫌だ、このまま全て無に還すなんて。
ここからリリは幸せになるはずだったんだ。
神様どうか、今一度チャンスをください。
次こそ必ずや、誰からも愛される人間になる。
※ ※ ※
――STOCK 1
意識が戻ると、ぼやけた目が文字列を捉えた。
なんだっけこれ、まあいいか。よく頭が回らない。
結局リリは間違いを繰り返した。
傷つけるだけ傷つけて、何も守れずただ果てる。
元々やり直しの機会なんてなかったかもしれない。
リリが死に、彼らに道が開けるならそれでいい。
罪悪感も同情もいらない、リリはただの化け物だから。
生きて元の世界に戻ることも、生き返る価値もないんだ。
私は初めに運営から聞かされた”真 理 ”に耐えられなかった。
消滅することを願った、彼 ら も ― ― そ う な る べ き だと思っている。
――0
視界を遮る文字列が消えた途端、息を呑まされた。
夫がいる。足をもつらせながらリリの元に走ってきていた。
「リリクランジュ!」
精悍な顔つき、温かくて優しそうな声、間違いなく夫だ。
血の滲んだ口元から笑みが溢れていくのが自分でもわかる。
「凄いね、まだ動くんだ……」
近くで誰かが驚愕の声を上げたようだが、見えず聞こえない。
ずるずるずるずると這いつくばって、夫の元に近づく。
背に固執する醜悪な彼じゃない、前の姿の彼だ。
「あ」
彼が緊張した面持ちで腕を伸ばしてくる。
そこには儚くも確かに存在する坊やがいた。
触りたい。触れて、愛おしさを感じたい。
促されるように手を伸ばし、リリは息を呑んだ。
※ ※ ※
大地を蹴った、大急ぎで逆戻りをした。
我をも忘れてエリアDの崖沿いを目指す。
赤子人形は戦闘時のどさくさで海に落とした。
無謀でも何でも泳いで見つけだすつもりだった。
『あの人に返してあげてほしいの』
目的地には既に先客の――ミニミニが立っていた。
全身を水浸しにしながら赤子の人形を抱えている。
俺が約束を蔑ろにしたから怒っているのだろう。
俯いて、一向に目を合わせようとしなかった。
片膝をつき、彼女と同じ目線で頭を下げる。
「ごめん、今度こそ守るから……ついてきてくれるか」
己の非常さ、馬鹿さ加減には嫌気が差した。
間に合わないかも知れないと思いながら焦った。
――それでも、天はこの一時を作り上げくれたらしい。
リリクランジュは誓って、この子に触れようとしなかった。
愛おしそうに眺めるか、船ごと揺らしてあやしていた。
だからなのだろう、近づいていた彼女の手が止まる。
「大丈夫」
知らず知らずのうちに、溢れ出てきた涙が頬を濡らす。
皆、同じだ。俺と同じように傷を抱えた人間だったのだ。
「大丈夫、この子もそれを望んでいますよ。お母さん」
リリクランジュはどこか危なっかしい手つきで我が子を受け取った。
後頭部をしっかりと支えたまま、腕に抱いて子守唄を歌い始める。
放心して見惚れる自分がいた。
記憶の片隅だけど幼い頃の俺を見ているようだ。
彼女は俺の視線に気づくと、照れくさそうな笑みを浮かべた。
光の粒を撒き散らし、涙ながらに笑顔は崩さずに消えていく。
『リリィ=クランジュの消滅を確認しました。繰り返します。リリィ=クランジュの消滅を確認しました。残り6名です』
待ってましたとばかりにアナウンスが降りつける。
淡々と無感情で事務的に、ただ事実を伝えている。
俺は空を睨みつけながら、握りこぶしを強く作った。
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2章 空諦編――完
3章 独歩編――協力と敵対、世界観の判明に向けて物語はつづく。
果物を育てたり動物を狩ったり、リリたちは生きている。
自身が思うことを思うようにして生きる自由な日々だ。
でも人の欲求は止まらない。
嫌になったの、普通じゃない自分の身体の大きさに。
何をするにも屈まないといけないから不便で仕方ない。
何とかしようと調べたら、ある記事を探し当てた。
リリは早速それを手に大喜びで、彼に相談してみた。
「背を短くする手術がある?」
「うん!」
眉を上げながら聞き返す彼に、首を縦にする。
リスクも高いけど、足の骨を削ったりする手術だ。
普通の人と同じは無理でも、数メートル縮むだけで万々歳。
いつも通り、彼はリリと一緒に喜んでくれると思った。
どんな時だって賛同し、味方になってくれた人だから。
瞬時にビンタが飛んできた時は、びっくりして瞠目した。
「そんなふざけた冗談は言わないでくれ」
感情が一切こもっていない平坦な声だ。
「なぜわからない、君は世界で最も素晴らしい女性だ。山をも凌駕する身の丈に、真っ白く透き通る肌。それをわざわざ縮めるだなんて勿体ない」
恍惚とした表情で熱く語る彼を冷めた目つきで眺める。
愛してくれていると思っていた彼はリリを愛していなかった。
「あぁ、楽しみだよリリ。誓って、君似の子供が生まれる」
単なる醜悪な人間がそこにいた。
※ ※ ※
「普通に生きたかっただけなのに」
こんな自分でも愛してくれるなら化け物でいいと思っていた。
彼が愛していたのは化け物としてのリリで、リリ自身ではない。
普通に生きたかった、普通に暮らして愛されて子供を育てたかった。
「……あなたはリリを愛してくれるよね?」
感傷的になり、膨れ上がったお腹を撫でる。
ややあって、内側から蹴られる感覚があった。
それは今まで嫌悪感と涙を誘った痛みとは違う。
どこか心地よささえ覚える優しい痛みだった。
――三週間後、未来が生まれた。
人一倍小さくとも、元気な元気な女の子。
「あーあー!」
生を受け、生きよう生きようと叫ぶ産声だ。
横目に見ているだけで、胸が締め付けられる。
触れたい、モッチリと触り心地良さそうなその肌に。
ところが、恐る恐るに伸ばした手は彼に振り払われた。
今までに見たことないほどの冷たい目で、厳かに口を開く。
「触るな、傷ついたらどうする」
彼の形をした何かが、気味の悪い笑みで坊やを抱き上げる。
リリを一瞥だけすると、背を向けて外の方に歩き出した。
「さようなら、リリ。この子は必ず、君よりも大きくなるよ」
奪われる、あたしの未来が――愛が。
「待って! 置いて行かないで!」
出産のせいで体力を使った、下半身が動かない。
「動け……!」
起き上がろうとも崩れ落ちる自分の身に喝を入れる。
けど、無理だ。鉛でも入ったような倦怠感が抜けない。
絶望が目を曇らせ、次第に脳は人間であることを捨て始める。
導かれるように手が動き、腹ばいの状態になる。
手を地から離し、また付けて足は引きずったまま移動した。
山を下り、立ち並ぶ木々を薙ぎ払って、街中に出る。
人々が一斉に悲鳴を上げたが、構わず突き進んだ。
逃げ惑う野次馬の中に、彼の姿を見つける。
彼はその腕に小さな赤子を抱えていた。
リリの視線に気づいたらしく、大声でわめく。
「来るな! この子は俺の子だ!!」
……リリが間違っていた。
この世に愛なんてものはない。
如何に他者を自分のために利用するかだ。
信じて裏切られるぐらいなら初めから何もいらない。
「ごちゃごちゃうるさい――」
リリが口いっぱいに開くと、彼がぎょっと停立した。
もういい、リリに夫はいなかった。坊やだけでいい。
頭部を彼の元にまで伸ばし、ひとえに飲み込む。
直後、彼の腕から坊やが落ちて、大声で鳴き始めた。
打ちどころでも悪かったか、薄っすらと血を流している。
それに思わず動揺してしまい、彼を飲み込めなくなった。
喉元を過ぎまいと藻掻いているらしく、息ができない。
「ひゅーひゅー……」
そんなことはどうでもいい。
坊やの容態に目が離せず、人差し指は伸びる。
触れれば傷つけると嗜められた過去を思いだす。
「ひゅー……」
嫌だ、このまま全て無に還すなんて。
ここからリリは幸せになるはずだったんだ。
神様どうか、今一度チャンスをください。
次こそ必ずや、誰からも愛される人間になる。
※ ※ ※
――STOCK 1
意識が戻ると、ぼやけた目が文字列を捉えた。
なんだっけこれ、まあいいか。よく頭が回らない。
結局リリは間違いを繰り返した。
傷つけるだけ傷つけて、何も守れずただ果てる。
元々やり直しの機会なんてなかったかもしれない。
リリが死に、彼らに道が開けるならそれでいい。
罪悪感も同情もいらない、リリはただの化け物だから。
生きて元の世界に戻ることも、生き返る価値もないんだ。
私は初めに運営から聞かされた”
消滅することを願った、
――0
視界を遮る文字列が消えた途端、息を呑まされた。
夫がいる。足をもつらせながらリリの元に走ってきていた。
「リリクランジュ!」
精悍な顔つき、温かくて優しそうな声、間違いなく夫だ。
血の滲んだ口元から笑みが溢れていくのが自分でもわかる。
「凄いね、まだ動くんだ……」
近くで誰かが驚愕の声を上げたようだが、見えず聞こえない。
ずるずるずるずると這いつくばって、夫の元に近づく。
背に固執する醜悪な彼じゃない、前の姿の彼だ。
「あ」
彼が緊張した面持ちで腕を伸ばしてくる。
そこには儚くも確かに存在する坊やがいた。
触りたい。触れて、愛おしさを感じたい。
促されるように手を伸ばし、リリは息を呑んだ。
※ ※ ※
大地を蹴った、大急ぎで逆戻りをした。
我をも忘れてエリアDの崖沿いを目指す。
赤子人形は戦闘時のどさくさで海に落とした。
無謀でも何でも泳いで見つけだすつもりだった。
『あの人に返してあげてほしいの』
目的地には既に先客の――ミニミニが立っていた。
全身を水浸しにしながら赤子の人形を抱えている。
俺が約束を蔑ろにしたから怒っているのだろう。
俯いて、一向に目を合わせようとしなかった。
片膝をつき、彼女と同じ目線で頭を下げる。
「ごめん、今度こそ守るから……ついてきてくれるか」
己の非常さ、馬鹿さ加減には嫌気が差した。
間に合わないかも知れないと思いながら焦った。
――それでも、天はこの一時を作り上げくれたらしい。
リリクランジュは誓って、この子に触れようとしなかった。
愛おしそうに眺めるか、船ごと揺らしてあやしていた。
だからなのだろう、近づいていた彼女の手が止まる。
「大丈夫」
知らず知らずのうちに、溢れ出てきた涙が頬を濡らす。
皆、同じだ。俺と同じように傷を抱えた人間だったのだ。
「大丈夫、この子もそれを望んでいますよ。お母さん」
リリクランジュはどこか危なっかしい手つきで我が子を受け取った。
後頭部をしっかりと支えたまま、腕に抱いて子守唄を歌い始める。
放心して見惚れる自分がいた。
記憶の片隅だけど幼い頃の俺を見ているようだ。
彼女は俺の視線に気づくと、照れくさそうな笑みを浮かべた。
光の粒を撒き散らし、涙ながらに笑顔は崩さずに消えていく。
『リリィ=クランジュの消滅を確認しました。繰り返します。リリィ=クランジュの消滅を確認しました。残り6名です』
待ってましたとばかりにアナウンスが降りつける。
淡々と無感情で事務的に、ただ事実を伝えている。
俺は空を睨みつけながら、握りこぶしを強く作った。
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2章 空諦編――完
3章 独歩編――協力と敵対、世界観の判明に向けて物語はつづく。