1章09話 一々交換

文字数 3,040文字

 いい匂いがする、食欲をそそる香ばしい匂いだ。
 両手には小豆色の汁椀から湯気が漂っていた。
 日の落ちた砂漠に温かい食べ物が身に染みる。

「元料理人だったのでね、料理は得意なのさ」

 目を輝かせる俺に、OGが鼻を高くした。
 事実それは大変に美味しそうなトマト鍋だ。

 半月のトマト、きのこ、鶏肉、じゃがいもと色とりどり。
 渡される時に耳打ちされたけど、こっそりと肉多めらしい。

「いただきます」

 味は全体的に薄目だが、芯の通った味だ。
 よく火も通っているから一噛みでほろほろ崩れる。
 美味い、噛みしめる度に鼻から風味が抜けるようだ。

「――いい御身分です、ウチを不当に捕らえて食べるご飯は美味しいですか」

 そんな至福なる時を恨みがましい声で邪魔された。
 ヤシの木にロープで括りつけられた鳩ぽっぽだ。

 噛みつくような顔で俺たちに唸っている。
 それを物ともしない風にOGが言い返した。

「悪いね、これも僕らの平和のためさ」

「なんでウチですか! テンさんを捕まえるのではないのですか!」

 至極最もな言葉で鳩ぽっぽが唸る。
 そこは俺も気になっていたところだ。

「そうだよ、現に今拘束しているじゃないか」

 雲を掴むような発言だ、鳩ぽっぽ共々に首をひねる。
 俺たちの顔色を見てか、OGが説明口調になった。

「鳩くんは食料の配布に加え、設備の修繕もしているんだ。各島を繋ぐ橋々の立て直しとかね。だからもし橋が落とされた状態で、彼女が修理に行かなければ、その島は封鎖されるってわけ。今エリアAにいるテンくんみたいにね。これがイリスくん発案のテンくん拘束手段だよ」

 ……そんなの聞いていない、初耳だ。
 人一人のために島ごと捨てるとは大胆に考える。
 唸るように関心するが、まだ続きはあるらしい。
 
「それでもリスクはあった。テンくんが崖を下って無理やり海を渡るんじゃないかってね。そん時は無理くりにでも捕まえたさ。けれど渡れないことが証明されたから、『やめた』と言ったんだ。しっかりこの目で確認していたよ」

 OGの帽子越しに目と目が合う。
 好奇に満ちた視線は歪んでみえた。

「飛び上がるソラくんと地で悔しがるテンくんは、ひどく絵になったね。まさか彼が地団駄を踏むとは思わなかったよ。あそこまで悔しがって海を渡らないとかないでしょ。計画は成功だよ」

 言いたいことはそれで全て終わったようだ。
 OGが両手を広げ、聞きの体勢に入っている。
 俺は言葉に詰まったけど、鳩ぽっぽは食いついた。

「いいのですか、ウチを捕らえてたらご飯が届かないです」

「構わないさ、そのために貯蓄もした。にしても食料調達しかメリットを提示できないなんて終わっているね」

「むき~~!!」

 あっさりと流され、鳩ぽっぽがついに暴れた。
 必死に身をよじってロープから抜け出そうとしている。
 背中のヤシの木が揺れるだけで、徒労に終わりそうだが。

「アメリアは知っていたのか?」

 ぎゃーぎゃー喚く阿呆をよそに、気になったことを問いかける。
 元々静かなタイプだが、鳩ぽっぽを沈めてから余計に無口だ。
 彼女は一瞬だけ俺を横目にみると、マフラーをずり上げた。

「さっき、OGが命乞いしていた時に耳打ちされた。『これも作戦のうちだから、隙を見て鳩ぽっぽを落とせ』って」

 そうしてまた、口元を隠して遠い目をする。
 話しかけられたくないのか、思い詰めた顔だ。
 しばしの逡巡を経て、ようやくそれに気づいた。

「――イリスは? イリスはどうしている?」

 当たった。やはり都合悪いところは言及せずに隠していた。
 いくらOGが帽子の下で無表情を気取っていてもわかる。
 唇をひと舐めしてから、淡々ともの静かに語った。

「エリアAにいるよ。イリスくん本人が『最優先はテンを抑えることね。理想はもちろんエリアAに誘導してからの全員脱出だけど、最悪は一対一交換で構わないわ』って言ってたのさ。自己責任だよ。自分が残ると決めたのも、君たちを生かすと決めたのも彼女の選択なんだ。気にしなくていい」

「一対一じゃないです、ウチも犠牲になっていますです」

 さり気なく鳩ぽっぽが口を挟むが、誰もフォローしない。
 日の落ちた砂漠で風が吹き、手元の料理もすっかり冷えた。

 モヤモヤする。ならよかったと溜飲は下げられない。
 特段、俺が気に病むことではないのはわかっている。

 ――自己責任、余計なお世話。
 なんてものは今までに飽くほど言ったし、言われもした。
 イリスなど放っておけばいい、クラスメイトが俺にしたように。

「さぁ、切り替えていこうよ。イリスくんの犠牲を無駄にしないためにさ。これから……」

 気がつけば、話も待たずに走りだしていた。
 ちょっとした駆け足がいつしか全速力になる。
 後ろで何やら聞こえたが、全てを置き去りにした。

 きっと、あれだ。『切り替えろ』に突き動かされた。
 何が切り替えろだ、とどのつまり忘れろってことだろ。
 そんなの悲しいじゃないか、寂しいじゃないか――母さん。

 地平線を横断しているうちに、夜も明ける。
 ごちゃごちゃした考えは消え失せ、徒労が残った。

「ふぅ……」
  
 ついた、海崖だ。向こう岸にはエリアAがみえる。
 念のため辺りを見渡すも、案の定に橋はない。

 鬱蒼たる雑木林は不気味なぐらいに静かだ。
 深呼吸で息を整えるも、真後ろから足音がした。

「ソラ、早すぎ」

 アメリアだ。肩で息を整えている。
 薄水色の目を俺に向け、ひと声吐いた。

「行くの?」

 主語もなく、簡素で省略しきった言葉だ。
 言いたいことは漏れなく伝わっている。

「行くよ」

 行くしかないだろう、と小声でつけたす。
 イリスの全てを信用しきったわけではない。

 それでも助けられたんだ、借りは返さねばならない。
 俺は膝を曲げたり準備運動しながら、彼女に返した。

「アメリアは? 友達なんだろう?」

「違う、ただの顔見知り」

 想定していた肯定に、涼しい顔で否定された。
 思わず苦笑いを浮かべるも、彼女が続ける。

「イリスはわたしがどん底の時に励ましてくれた。助けられるなら助けたい」

「だったら行こうよ、連れて帰りに」
 
 話はまとまった。アメリアがライフル銃を地に下ろす。
 海を泳いで渡るから、濡れて壊さないようにするためか。

 戦うつもりがないとはいえ、少し心もとなかった。
 しかし刻一刻と過ぎている間に、考えている暇もない。
 二人でタイミングを合わせ、いざ飛び立とうとした瞬間――。

「若いねぇ、一直線で実にいい」

 足音もなく、OGが現れた。
 驚いた、ついてくるとは思わなかった。
 淡い期待を以って、口先が尋ねにかかる。

「もしかしてOGも一緒に?」

「行かないよ、見送りにきただけ」

 あっさりと振られてしまった。
 帽子をずり上げ、訳知り顔で語られる。

「元々は生き残りを決めるためのゲームだろう。リスクを犯してまで助ける義理はないさ、僕はそこまでお人好しじゃないんでね」

 嫌な気持ちになる、皮肉を言いに来たのだろうか。
 そう感じたのも束の間に、何か放り寄越された。

「あげるよ」

 受け取ったものは”手錠”だ。
 銀色で間の鎖に鍵がついている。

「鳩くんの所持品から出てきたんだ、持っていきなよ。足止めくらいにはなるだろう、実際に止めるのは手だろうけどね」

 ふふふと引き気味に笑われ、釣られるように笑う。
 ほんの少しだが、緊張感が和らいだ気がする。

「「いってきます」」

 自然と声が重なる。確かな決意が漲っていく。
 俺はアメリアと目を合わせ、一斉に飛び込んだ。
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