1章15話 天下一の剣士【悪】

文字数 3,067文字

 試合は残っている。四回戦、準決勝、決勝だ。
 負ける気などなかったが、一層に気合が入った。

 次なる相手を力の限りに打ちのめしていく。
 ところが中には強いやつもいた――決勝戦だ。
 思い出したかのように歓声が沸き上がる。

「テン、気合入れていけ! 攻め続けろ!!」

「テーン、気入れ過ぎやぞ。剣が鈍くなってんぜ」

 反する二つの声援が聞こえる。前者は父、後者は五十嵐だ。
 大声を出したせいで少し怒られている。
 それがどうも笑えてしまい、気はほぐれた。

 感性が研ぎ澄まされていき、雑多は遠くなる。
 無我の境地というやつか、導かれるように動く。

「――胴」

 人間ってのは肩書で生きるらしい。
 オレが日本一になって門下生が増えた。
 父を見限っていた母がこれみよがしに戻ってきた。
 
 誰もがみな態度を変えたが、五十嵐は変わりない。
 練習試合を続けている。戦績は勝ち越すようになった。

 つづく公式大会でも次々と優勝、優勝、優勝。
 実に喜ばしい。臨んでいた未来なのに、なんだろうこの。

「つまらなさは」

 どいつもこいつも雑魚ばかり。苛立ちが顔にまで表れる。
 五十嵐はなぜいつまで経っても上がって来ないのか。

 一人で負けていた時とは違い、強くなって人に囲まれた。
 だというに、言い表しようのない孤独感に付きまとわられる。

 振り返っても一人、寂しげな影が地に映る。
 はぁ、とため息を出している間に高校生となった。

 高校は五十嵐と同じところに進んだ。部活は当然、剣道部。
 それなりの強豪校でそれなりの人数がいた。

「勝負しろ」

 手っ取り早く、部長に喧嘩を吹っかけた。
 竹刀を向けられた彼がゆったりと瞬きをする。

 恰幅のいい筋肉質な男性で、人望もあるらしい。
 部員どもは蜂の巣でも突かれたかのように騒いだ。
 調子に乗るな、勝てるわけがないとてんやわんやと。

「良いだろう、かかってきなさい」

 結局、受けて立つことにしたようだ。
 部長が竹刀を手にとり、防具をつけだす。

 ――で、勝った。
 精錬された豪剣でもオレには及ばない。
 部長が尻もちをつき、打って変わって静かになる。

 あの時もし負けていれば、きっとこの先も大きく変わっていた。
 恨みを買ったのだ。愚かな弱者の嫉みであり、強者の宿命でもある。

「おらぁぁぁぁ!」

 ある日の夕暮れ時、何者かに襲われた。
 同じ学生服をまとい、手にはバットがある。

 途方もない衝撃が前から後に抜けた。
 頭をぶん殴られたらしく、視界が揺れる。

 敵はそれに気を許さず、立て続けに嬲った。
 自分が自分でなくなる感覚、骨という骨が折れる。
 地べたに這いつくばりながら、無情な一撃で意識が沈んだ。

※ ※ ※

 目が覚めたら暗闇の中にいた。
 瞼を開いたはずなのに、景色が変わらない。

 慌ただしい音だけが周囲に飛び交っている。
 小耳に拾う限り、どうやら病室にいるらしい。

 頭がよく回らない。行き交う言葉が右から左に通り過ぎる。
 ただその中でも、さらりと流れた一言に意識が止まった。

 滑り落ちるようにして、ベッドから降りる。
 得も言えぬ激痛に襲われながら、構わず歩いた。

「馬鹿もん、下手に動くな!」

 そこでやっと、側にいたのが父なのだと気づく。

「どけ!」

 考えるよりも先に手がでた。
 父を弾き飛ばして、包帯らしきものを外す。

 恐る恐るに開いた視界は幻のようにボヤけた。
 辛うじて色と形が認識できるくらいに、視野が悪い。
 それでも真横のベッドに眠るのが五十嵐だとわかった。

「五十嵐……」

 聞くに、オレが暴行を受けているところに割って入ったらしい。
 頼んでもないに勝手に突っ込んで、意識不明の重体となった。

「何してんだ」

 つーっと頬が濡れる感触を以って、泣いている自覚を持つ。
 オレは思い切り握りこぶしを作り、そのまま太ももを叩いた。

※ ※ ※

 半年が過ぎ、退院した。
 五十嵐は目を覚まさない。

 オレも目に重度の傷を残し、視力が格段に落ちた。
 失明にまでは至らなかったが、短時間しか開けない。

「父よ」

 松葉杖をついたまま、付き添う父に問いかける。

「たとえ弱くなっても、オレはあんたの息子か」

 父は即答しなかった。口ごもっているのが見て取れる。
 正直まるで力は入らない、今までのような振りは無理だ。

「街を出ようと思っている」

 言葉にしたのは初めてだが、父も覚悟していたらしい。
 寂しげな顔をするだけで、止めようとはしなかった。

「もし五十嵐が起きたら、『勝負に来い』と伝えておいてくれ。それまでオレは高みに登っておく」

 そうしてまた、目を瞑る。
 結局オレはこういう生き方でしか生きられなかった。

 適当な道場に訪れ、決闘を称して吹っかける。
 道場の外だろうと関わらず、目についた者は誰でも。

 ぶらりぶらりと日の本を横断し、三年が過ぎた。
 今日もまたコンビニへ向かうように道場へ押し入る。
 昔ながらも味のある景観だ、いい床材を使っている。

「よぅ」

 誰もいないかと思ったから、びっくりした。
 薄っすらと目を開くも、逆光で顔が見えない。

「探したぜ。久しぶりけ、おれのこと覚えとるか?」

 がらがらに掠れ、息切れの多い声だ。
 わざわざ目で確認しなくとも満身創痍と伺える。

 誰だか知らぬが強者でなければ興味はない。
 回れ右をした寸前、背中に竹刀を突きつけられた。

「――やろうや、勝負じゃ」

 彼はやりにくい相手だった。
 息も絶え絶えのくせに、しつこく粘った。
 打ち合いを避け、ひたすら隙を狙うタイプだ。

「ハッ!」

 しょーもない。竹刀をなぎ払い、男の手首を打ちつける。
 彼は大げさなまでにうめき、身を縮めて竹刀を落とした。
 そのまましばらく動きをみせず、不安になって顔を覗き込む。

 すると、急に男が足を振り上げた。
 ミシッと内臓を押し上げるような激痛が届く。
 金的攻撃。脂汗を流して悶絶するが、首筋に竹刀が合わさる。

「おれの勝ちだ、卑怯でも何でも勝ったで。暴走してへんで帰ってき。お前の親父さんも待っとる。また一緒に剣道しようや」

 彼の言葉が理解できず、堂々巡りをする。
 負けた、負けてしまった事実が脳を絞め上げた。

 愛想はなく、強さしかないオレだ。どんな価値が残される。
 否応なしに鳥肌が逆立ち、逃げ出すように立ち去った。

※ ※ ※

 街中を駆けていると、徐々に痛みは引いた。
 屈辱的な敗北をしてしまった事実は揺るがない。
 どうすればよかった、何をすればオレはまた勝てる。

()()()()()は取ってしまえ、弱点にしかならん』

 ふと、父の声がした。
 反射的に振り返るが、誰かいる気配はない。

『弱さは罪だ。また負けて失うか?』

 少しだけ足を止めて考え、路地裏に身を隠した。
 転がっていたガラス片を片手に拾い、深呼吸をする。

 刹那、活気ない道場で自身の息子に剣道を教える己が浮かんだ。
 それに相反するように、父が以前かけてくれた言葉が脳に広がる。

『テン、お前は私の誇りだ』

 涙が頬を伝って、離陸するのを感じる。
 ガラス片を両手で持ち、刃先を向けた。
 切腹の構えだけど、狙いは()()()()

『よう、練習しようけ。今日も勝ってやんよ』

 五十嵐の声に導かれるように、勢いよく突き刺す。
 手を引いてはすぐに刺して、何度も繰り返した。

「オレは」

 負けない。
 勝って勝って勝ち尽くして、必ずや強くなる。

「オレは負けない!!」

 そしてどうか……どうかオレを褒めてくれ。
 認めてくれ、オレを一人にしないでくれ。
 寂しい、寂しくてたまらないんだ。
 
 瞬間、糸でも切れたように力が抜ける。
 ずるずると地に伏し、空を見上げた。
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