1章99話 今日の献立
文字数 3,001文字
サイドストーリー
時系列は1章01話 ペンギンフライト後
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大学から出ると、猛烈な寒気に襲われた。
半袖のブラウスでは身体が震えるくらいに寒い。
そろそろスカートじゃなくてズボンを吐き出す時期か。
「朝は暖かかったのにな」
つい恨めしくなって、あたしは空を見上げた。
九月になったからとはいえ、涼しくなりすぎ。
日本に四季なんてありません、二季だよ二季。
ぶつくさと文句を言いつつ、三日月家に向かう。
「ソラちゃん、寂しがっていないかな」
家政婦のアルバイトは五年前から始めた、お父さんの友だちの紹介だ。
元々家事は好きだけど、決め手となった理由はそれだけではない。
お母さんを亡くした息子さんが奇行を繰り返しているって聞いた。
実際、突拍子もないことをして帰ってくる子だった。
頑張ってる子は好きだからどうも放っておけない。
もしもあたしに弟がいたらあんな感じなのだろうか。
正面の角を曲がると、赤屋根の一軒家がみえてきた。
ソラちゃんとそのお父さんである”航希さん”のお家だ。
深夜にもなると言うのに、明かりが全然ついていない。
街頭だけが玄関口のコンクリートを橙色に照らしていた。
「まだ帰ってきていないのかな」
待たせていると思って急いだのに。
「入りますよ」
独り言のように声をかけ、リビングに向かう。
ぱちっと電気をつければ、部屋に明かりが灯った。
すると、テーブル上に置かれた小さなメモ用紙に目が届いた。
端っこにペンを置き、飛ばされぬようにして文字が綴ってある。
『いつもの場所へ行ってくる』
ありゃ、どうりで遅いわけか。
また崖で人体フライトしているらしい。
気を取り直して、キッチンで夕食をつくる。
後ろ髪をかき上げるも、壁かけ時計に目がいった。
水色の小ぶりな長針はてっぺんを指している。
もう一日を回ったんだと驚く一方で、胸騒ぎがした。
「遅すぎる、よね?」
今までだってどれだけ遅くとも深夜には帰っていた。
渋い顔で何か食べているか、身体を乾かしていたはず。
まさかまさかと駆られ、居ても立ってもいられなくなる。
あたしは慌てて玄関へ向かい、靴を半履きにしたまま走った。
※ ※ ※
心中の焦燥感とは別に、海は穏やかだった。
ゆらゆらと揺れる波は寝ているみたいに大人しい。
「一応、ね」
普段なら絶対にしないけど、念のため崖先に近づく。
誤って滑り落ちぬように気をつけて、それを覗いた。
「――いない」
月明かりを頼りに見渡した海は、静けさのみが残っていた。
目を皿のようにして見渡しても、ぷかーっと浮かぶ彼はいない。
やっぱり考えすぎだったらしい。入れ違いになっているだけかも。
「まったく世話がやけるんだから」
人心地つき、尻もちをついた。立ち上がれず、天を仰ぐ形になる。
背中を濡らす汗がスーッと乾く中、僅かな物音を小耳に拾った。
――カリッ
反射的に目を向け、衝撃で息が止まる。
右の崖端に誰かの手がかかっていたのだ。
誰かが……彼が身を乗り上げ、息を荒げた。
「帰らなきゃ」
ソラちゃんだ。左半分を真っ赤に染め上げ、血を滴らせている。
足は変な方向に折れ曲がり、見るに無惨な姿と化していた。
「謝らなきゃ」
彼が虚ろな瞳で視線をさまよわせている。
風音に紛れるほどの小声だが、自ずと意味は理解はした。
「それで全て元通りに」
出し抜けに、糸でも切れたかのように倒れ込んだ。
顔を地面に擦りつけ、ぴくりとも動かなくなる。
「ちょ、ちょっと!」
そこまできてやっと、静止した時が動きだす。
大急ぎに駆け寄り、何度も揺さぶった。
「ソラちゃん、ソラちゃん! どうしようどうしよう!?」
口内の水分はみるみる失われ、過呼吸みたいに苦しくなった。
パニックに陥りながらも、救急車を呼ばなくてはと思い立つ。
震える指先が何とか番号を押して、あたしは息を飲み込んだ。
※ ※ ※
ソラちゃんが病院に運ばれ、待つこと一時間で着信があった。
携帯電話を見てみれば、航希さんの名前が映っている。
何十回も連絡をして、ようやく折り返しがきたみたい。
「もしもし?」
ワンコールもしない間に、応対ボタンを押す。
警察の人にもした事情説明を矢継ぎ早にした。
自然と口調に熱がこもり、肩まで震えだす。
もしかしたら責任を感じていたのかもしれない。
危ないと理解していた、いずれ大怪我するとわかっていたのに。
仕方ない、困った子だと理解者気取りで放任していた後悔が募る。
「――です」
嗚咽を混じえながら、何とか病院の位置を告げる。
携帯電話を握りしめ、続けざまに締め括った。
「すぐ駆けつけてください、お願い早く」
「無理だ、行けない」
一拍の間を以って、吐かれた言葉には愕然とさせられた。
航基さんとソラちゃんの間に妙な溝があることは知っていた。
過去に大きなすれ違いがあり、ギクシャクしているという。
それでも危篤に立ち会わなくても良いほどだとは思えない。
理解も共感もできず、たまさかに声色がきつくなる。
「なんで」
「恨まれているからだ。俺が行けば、むしろあいつの具合が悪くなる」
大の大人がここまで情けなく感じたのは初めてだった。
あたしはそんなしみったれた言い訳を聞きたくて電話したんじゃない。
ソラちゃんを呼び起こせるのは”あなたしかいない”から電話をかけたんだ。
「自分の息子が死にそうなのに、親が側にいてあげないでどうするんですか!」
腹の底から大声が出て、院内の視線に晒される。
顔に熱が集まっていくけれど、今更止められない。
「ウダウダ言ってないで早く来てください!」
めげずに渋る航基さんを見限り、無理やり終話する。
あたしの恥なんてどうでもいい、彼は今も死ぬ気で戦っているんだ。
その後、バツの悪そうな航基さんが現れたのは三十分も後のことだった。
※ ※ ※
永遠とも思われる時を過ごした。
いつしか朝を迎えていたけど、眠気はない。
自分でもびっくりするくらいに頭が冴えている。
目の前の現実がそれだけ非現実的だったからかもしれない。
ピー
人は死ぬ生き物だって頭ではわかっていた。
わかってはいても、いざ体験しないと何も知らなかった。
現に集中治療室でのソラちゃんは管さえ無ければ、眠っているみたいだ。
ピーー
そのうち起き出すんじゃないかって思わせるけど、無機質な機械音は止まらない。
心電図のモニターは直線を描き続ける。対象の脈拍がゼロであることを知らせている。
「あたしはどこで間違えたのだろう」
初めて空を飛んだと自慢してきた時か、記録更新だと胸を張ってきた時か。
考えても、答えは出ない。否定すれば生きる意味を失っていたと自衛する。
だとしたら、この未来はきっと必然的で不可避だった。
そう言い聞かせてないと今にもおかしくなりそうだ。
「残念ですが……」
あたしはお医者さんがする死亡宣告を聞きながら、ソラちゃんにつくる今日の献立を考えていた。
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1章 天命編――完
2章 空諦編――脱出手段の確保に向けて物語はつづく。
※気になることや感想等ございましたら是非お気軽にお願い致します。
時系列は1章01話 ペンギンフライト後
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大学から出ると、猛烈な寒気に襲われた。
半袖のブラウスでは身体が震えるくらいに寒い。
そろそろスカートじゃなくてズボンを吐き出す時期か。
「朝は暖かかったのにな」
つい恨めしくなって、あたしは空を見上げた。
九月になったからとはいえ、涼しくなりすぎ。
日本に四季なんてありません、二季だよ二季。
ぶつくさと文句を言いつつ、三日月家に向かう。
「ソラちゃん、寂しがっていないかな」
家政婦のアルバイトは五年前から始めた、お父さんの友だちの紹介だ。
元々家事は好きだけど、決め手となった理由はそれだけではない。
お母さんを亡くした息子さんが奇行を繰り返しているって聞いた。
実際、突拍子もないことをして帰ってくる子だった。
頑張ってる子は好きだからどうも放っておけない。
もしもあたしに弟がいたらあんな感じなのだろうか。
正面の角を曲がると、赤屋根の一軒家がみえてきた。
ソラちゃんとそのお父さんである”航希さん”のお家だ。
深夜にもなると言うのに、明かりが全然ついていない。
街頭だけが玄関口のコンクリートを橙色に照らしていた。
「まだ帰ってきていないのかな」
待たせていると思って急いだのに。
「入りますよ」
独り言のように声をかけ、リビングに向かう。
ぱちっと電気をつければ、部屋に明かりが灯った。
すると、テーブル上に置かれた小さなメモ用紙に目が届いた。
端っこにペンを置き、飛ばされぬようにして文字が綴ってある。
『いつもの場所へ行ってくる』
ありゃ、どうりで遅いわけか。
また崖で人体フライトしているらしい。
気を取り直して、キッチンで夕食をつくる。
後ろ髪をかき上げるも、壁かけ時計に目がいった。
水色の小ぶりな長針はてっぺんを指している。
もう一日を回ったんだと驚く一方で、胸騒ぎがした。
「遅すぎる、よね?」
今までだってどれだけ遅くとも深夜には帰っていた。
渋い顔で何か食べているか、身体を乾かしていたはず。
まさかまさかと駆られ、居ても立ってもいられなくなる。
あたしは慌てて玄関へ向かい、靴を半履きにしたまま走った。
※ ※ ※
心中の焦燥感とは別に、海は穏やかだった。
ゆらゆらと揺れる波は寝ているみたいに大人しい。
「一応、ね」
普段なら絶対にしないけど、念のため崖先に近づく。
誤って滑り落ちぬように気をつけて、それを覗いた。
「――いない」
月明かりを頼りに見渡した海は、静けさのみが残っていた。
目を皿のようにして見渡しても、ぷかーっと浮かぶ彼はいない。
やっぱり考えすぎだったらしい。入れ違いになっているだけかも。
「まったく世話がやけるんだから」
人心地つき、尻もちをついた。立ち上がれず、天を仰ぐ形になる。
背中を濡らす汗がスーッと乾く中、僅かな物音を小耳に拾った。
――カリッ
反射的に目を向け、衝撃で息が止まる。
右の崖端に誰かの手がかかっていたのだ。
誰かが……彼が身を乗り上げ、息を荒げた。
「帰らなきゃ」
ソラちゃんだ。左半分を真っ赤に染め上げ、血を滴らせている。
足は変な方向に折れ曲がり、見るに無惨な姿と化していた。
「謝らなきゃ」
彼が虚ろな瞳で視線をさまよわせている。
風音に紛れるほどの小声だが、自ずと意味は理解はした。
「それで全て元通りに」
出し抜けに、糸でも切れたかのように倒れ込んだ。
顔を地面に擦りつけ、ぴくりとも動かなくなる。
「ちょ、ちょっと!」
そこまできてやっと、静止した時が動きだす。
大急ぎに駆け寄り、何度も揺さぶった。
「ソラちゃん、ソラちゃん! どうしようどうしよう!?」
口内の水分はみるみる失われ、過呼吸みたいに苦しくなった。
パニックに陥りながらも、救急車を呼ばなくてはと思い立つ。
震える指先が何とか番号を押して、あたしは息を飲み込んだ。
※ ※ ※
ソラちゃんが病院に運ばれ、待つこと一時間で着信があった。
携帯電話を見てみれば、航希さんの名前が映っている。
何十回も連絡をして、ようやく折り返しがきたみたい。
「もしもし?」
ワンコールもしない間に、応対ボタンを押す。
警察の人にもした事情説明を矢継ぎ早にした。
自然と口調に熱がこもり、肩まで震えだす。
もしかしたら責任を感じていたのかもしれない。
危ないと理解していた、いずれ大怪我するとわかっていたのに。
仕方ない、困った子だと理解者気取りで放任していた後悔が募る。
「――です」
嗚咽を混じえながら、何とか病院の位置を告げる。
携帯電話を握りしめ、続けざまに締め括った。
「すぐ駆けつけてください、お願い早く」
「無理だ、行けない」
一拍の間を以って、吐かれた言葉には愕然とさせられた。
航基さんとソラちゃんの間に妙な溝があることは知っていた。
過去に大きなすれ違いがあり、ギクシャクしているという。
それでも危篤に立ち会わなくても良いほどだとは思えない。
理解も共感もできず、たまさかに声色がきつくなる。
「なんで」
「恨まれているからだ。俺が行けば、むしろあいつの具合が悪くなる」
大の大人がここまで情けなく感じたのは初めてだった。
あたしはそんなしみったれた言い訳を聞きたくて電話したんじゃない。
ソラちゃんを呼び起こせるのは”あなたしかいない”から電話をかけたんだ。
「自分の息子が死にそうなのに、親が側にいてあげないでどうするんですか!」
腹の底から大声が出て、院内の視線に晒される。
顔に熱が集まっていくけれど、今更止められない。
「ウダウダ言ってないで早く来てください!」
めげずに渋る航基さんを見限り、無理やり終話する。
あたしの恥なんてどうでもいい、彼は今も死ぬ気で戦っているんだ。
その後、バツの悪そうな航基さんが現れたのは三十分も後のことだった。
※ ※ ※
永遠とも思われる時を過ごした。
いつしか朝を迎えていたけど、眠気はない。
自分でもびっくりするくらいに頭が冴えている。
目の前の現実がそれだけ非現実的だったからかもしれない。
ピー
人は死ぬ生き物だって頭ではわかっていた。
わかってはいても、いざ体験しないと何も知らなかった。
現に集中治療室でのソラちゃんは管さえ無ければ、眠っているみたいだ。
ピーー
そのうち起き出すんじゃないかって思わせるけど、無機質な機械音は止まらない。
心電図のモニターは直線を描き続ける。対象の脈拍がゼロであることを知らせている。
「あたしはどこで間違えたのだろう」
初めて空を飛んだと自慢してきた時か、記録更新だと胸を張ってきた時か。
考えても、答えは出ない。否定すれば生きる意味を失っていたと自衛する。
だとしたら、この未来はきっと必然的で不可避だった。
そう言い聞かせてないと今にもおかしくなりそうだ。
「残念ですが……」
あたしはお医者さんがする死亡宣告を聞きながら、ソラちゃんにつくる今日の献立を考えていた。
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1章 天命編――完
2章 空諦編――脱出手段の確保に向けて物語はつづく。
※気になることや感想等ございましたら是非お気軽にお願い致します。