2章02話 逃げ水

文字数 3,011文字

 ひと眠りをして迎えた朝、エリアBを横断する。
 日中の砂漠は焼けるような暑さだが、早朝は別だ。
 風も吹かぬ自由な世界を気ままに歩き進めていく。

 ただその分、しばらくしてアメリアがうたた寝を始めた。
 じりじり上がる太陽の下で、強く出れずに困り果てる。

 そこに「おぶってくれ」とせがまれ、彼女を背に今に至る。
 まあ良いけど、頭を擦ってくるのは痛いので止めてほしい。

 代わり映えのない景色を歩くこと一時間、砂漠を抜けた。
 緑ある大地の先に大きな吊り橋と小ぶりなドームがある。

 白色ベースに窓つきで、半開きのドアから人の気配がした。
 それがどうも気になってしまい、中に顔を覗かせてみる。

「うわ」

 率直に感じたのは薄汚い部屋への嫌悪感だ。
 紙、紙……くしゃくしゃの紙だらけ。足の踏み場もない。
 つんとくるインク特有の匂いに、お布団が敷かれている。

 配送屋の鳩ぽっぽが睡眠中だ。制服姿で足を投げだし、腹は丸見え。
 起こすのも忍びないくらい、気持ちのいい快眠っぷりを披露している。
 見なかったことにして出ようとするも、テーブルの原稿用紙が気になった。

 悪いとは思いつつ、二度見して手にとってしまう。
 タイトルは『愛の暴走機関車』、恋愛漫画のようだ。
 何気なくページを捲ってみた直後、脳内で衝撃が走った。

 ――キャラクターの見た目が丸きり俺とOGやんか。
 しかも序盤から一目惚れ設定で両想いになっている。

「ひ、ひぇぇぇぇ!!」

 挙げ句の果てに、キスやらお姫様抱っこまでして声がでた。
 それが思いの外に大きくて驚いたのか、鳩ぽっぽが起きた。
 あくびを噛みながら身体を起こし、寝ぼけ眼をさまよわせる。

「あれ、なんでソラさんがいるです?」

 焦点は俺に止まり、黒々とした瞳が広がった。
 背中のアメリアを凝視して、けたたましく騒ぎだす。

「か~やめろやめろ! 何をイチャイチャしてやがるですか!?」

「ち、違う違う、アメリアが起きようとしないからで……」

 凄まじい剣幕に押されながら、一言二言の弁明をする。
 何とか矛先を転じようと、空いたベッドに着目した。
 掛け布団をめくり、アメリアを寝かせてやる。

「ほら、これでいいだろ」

「ウチの布団を勝手に使わないでくださいですよ~!」

「まあまあ、代わりに何か手伝うからさ」

 抗議してくる鳩ぽっぽに、なだめの言葉で返す。
 彼女は口をへの字にして、悩ましげな声を上げた。
 テーブルの原稿用紙を一瞥し、頭頂部の髪を揺らした。

「では、ベタ塗りを手伝ってくださりますですか」

※ ※ ※

 カリカリカリと鉛筆の引っかき音がつづく。
 ベタ塗りとは指定範囲を黒く塗りつぶすことだ。
 経験なんてないけど、慎重にやれば難しくない。

 お喋りな鳩ぽっぽも一度作業に入れば集中した。
 さすがは腐ってもプロの漫画家といったところか。
 あの変な名前もペンネームというやつらしい。

 えらく前のめりになるから、つむじが目立っている。
 上機嫌に鼻歌まで聞こえ、つい口を挟んでしまった。

「楽しそうだな」

「楽しいですよ、このためだけに生きていますですから。一人じゃなくて誰かと一緒なので、やる気も倍増なのです」

 何ともまぁ、元気な返答だ。日常的で気持ちが安らぐ。
 そう作業に再開するも、唐突な質問に息が止まった。

「ソラさんこそ、しないのですか? 空を飛ぶ練習していると聞きましたですよ」

 あまりにもな衝撃で鉛筆を落とした。
 鳩ぽっぽの顔を二、三度見して声が裏返る。

「な、なんで知っているんだ!」

「又聞きしたのです、誰かさんが話してましたですよ」

「誰だよ」

 心密かに下手なことを言わないようにと誓う。
 娯楽に飢えている分、耳ざとくなっているのか。

「で、しないのですか? ウチも見てみたいのです」

 そのまま流す気でいたが、詰め寄って圧をかけられた。
 くりくりとした瞳に見つめられ、顔が横に向いてしまう。

「す、するよ今度」

「今度っていつですか」

「落ちついたら……」

「そしたら呼んでほしいです」

「――わたしも」

 その間、アメリアが起きて割って入った。
 ベッドからは出ずに、顔だけを向けている。

「じゃ、お手伝いはここまででオケです」

 頃合いを見計らってか、鳩ぽっぽが鉛筆を置いた。
 椅子を引いて立ち上がり、こっちに近づいてくる。

「どぞ」

 そして、何か手渡された。
 赤と青で二種類の雨がっぱだ。

「貸してあげますよ、きっと役立つのです」

「ありがとう」

 どうやら雨か何かがよく降るらしい。
 青色の方をアメリアに渡し、鳩ぽっぽの家を後にする。
 彼女は俺たちが見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれていた。

※ ※ ※

 エリアCは湿地帯だった。
 苔に覆われた地表が冠水している。

 一歩進むたびに足がぬかるみ、気取られるほどだ。
 じめじめとした湿気も相まって、不快感が高すぎる。
 生い茂る竹林は枝木を絡めるようにして広がっていた。

「ソラ」

 黙々と歩き進める中、アメリアに呼び止められた。
 自身の長髪を手で押さえながら、正面を指さしている。

 山なりの道を下った先には――花畑が待っていた。
 あじさい畑とも言うべきか、薄紫と桃色が混じっている。
 隙間なく敷き詰められたそれは地面に降りた天の川みたいだ。

「綺麗」

 さすがのアメリアも独り言をいうレベルだったらしい。
 俺は誤って踏みつけぬよう、慎重に歩み進める。
 だから疲れた、異様に体力を削られてへばった。

「なぁ、ちょっと休まないか?」

 ぐんぐんと進むアメリアを呼び止め、そう提案する。
 嫌な顔はしなかったので、向こうの丘で小休止することにした。
 歩きっぱなしの足を揉んでいると、アメリアに何か差し出された。

「食べる?」

 サンドイッチが入ったタッパーだ。
 具材はハムにレタスに卵とオーソドックスな感じ。
 何も食べていなかったと思い出し、お腹が小さく鳴った。

「ありがとう、いただくよ」

 早速一つ手にとり、頭を下げて礼をいう。
 あーんと口元に運んだ瞬間、目の前が暗くなった。

「ん?」

 視界はすぐに戻るも、サンドイッチが消えた。
 何か挟んでいたような手の形だけが残っている。
 訳もわからず首を捻ると、アメリが立ち上がった。

 忙しなく顔を動かし、前触れもなく駆けだす。
 まるで猫が鼠を見かけたかのような反応速度だ。

「あ、おい!」

 あっという間に遠くまで行かれ、慌てて起き上がる。
 アメリアの後を追いかければ、前方の存在に気づいた。

 ほんの小さな子供がいる、背格好から六歳くらいの子供。
 桃色のフードを被り、足元にまでツインテールが届いている。
 薄っすらと聞いていたから知っている、あれが九人の中の一人。

「――ミニミニか」

 くりくりの愛らしい童顔ながら、腹黒い性格だと聞く。
 状況的に俺たちのサンドイッチを掠め取ったのだろう。
 アメリアの背中から凄まじい怒気が伝わってくる。

「とうっ!」

 それを知ってか知らずか、ミニミニが飛び跳ねた。
 軌道上には水色のポリバケツが置いてある。

 そのまま中へと滑り込み、反動で横に倒れた。
 ごろごろと転がっていき、苔の向こうに消えていく。

「はっや」

 無理だ、とてもじゃないが追いつけない。
 まさか子供に追いかけっこで負けるとは思わなかった。
 ただ俺以上に、アメリアが失意体前屈で落ち込んでいた。

「夜遅くまで頑張って作ったのに……サンドイッチ」

「ま、まぁまぁ」

 その後、彼女が正気を取り戻すまで三十分は待たされた。
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