1章14話 天下一の剣士【善】

文字数 2,989文字

 気がつけば、竹刀を振っていた。
 濃青に包まれた空の下、風切り音がつづく。

 後頭部の痺れはまだ抜けない。自ずと瞬きが多くなる。
 何せ寝起きから顔も洗わずに、素振りをしているわけだ。

 果たして今で何回目だろうか、数なんて数えていない。
 限界まで振り続け、腕が上がらなくなったらやめる。

 ――大変?
 
 いいや、オレは割り切っている。
 剣道場の長男に生まれた以上の宿命だ。
 竹刀を振り上げると、障子の隙間から時計が見えた。

「七時三十分……」

 学校に向かうならそろそろ準備する頃合いか。
 あそこには六年と通い続けているが、率直に行く価値なし。
 この世のクソが詰まっている。個性を消し、右へ倣えする場だ。

 余計な邪念を振り払うように、また一振り。
 明日は少年剣道の大会だ、寄り道している暇はない。
 
「テン」

 唐突に呼びかけられ、つい手が止まる。
 縁側には父がいて、貧乏ゆすりをしていた。

「止めるな、続けろ」

 父の言葉に背筋が伸び、風切り音は勢いづいた。
 うちは由緒正しき、戦国武将の家系らしい。
 幕末で異国相手に多大なる活躍をしたんだと。

「明日だ、負けるでないぞ」

 塀越しに聞こえる朝のざわめきが遠くなる。
 オレは頷き返して、無心で竹刀を振り続けた。

※ ※ ※

 次に目を開いた時、竹刀を握っていた。
 面金をつけているせいか、視野情報が狭い。
 辛うじて自身のつま先とフローリングが見える。

「はじめ!」

 困惑の最中、伸びやかな大声に耳朶を打たれた。
 一斉に辺りは静寂に満ち、物音一つさえしなくなる。

 オレは息を吸い込み、両手で竹刀を握り直した。
 トーナメント表をみるに、全国大会の一回戦らしい。
 こんなところで敗けるわけにはいかない、圧勝すべき。

「ハッ!」

 瞬発的に相手が飛び込んできた。
 右足を鳴らし、竹刀を振り払ってくる。

 逆に一歩引いて、真下に弾き落としてやった。
 切っ先を地に擦らせながら手首を返して振り払う。
 が、上がり切る前に距離を詰められて、腕が沈んだ。

「こんの……!」

 鍔迫り合いが止まらない。
 ここまで拮抗するのは初めてだ。
 ムキになってしまうのがわかる。

 その時、ひらりとかわされた。
 前に押しだす力が反発力を失う。

 ――バシン

 危なかった、命拾いさせられた。
 額に打ち込まれた竹刀を間一髪で防ぐ。

 この野郎。
 
 負けてたまるか、二度と隙はつくらない。
 打って打って打ち倒して、必然の勝利を掴む。

「コテ、コテ、メン、ドウ、コテ、ドウ!」

 そこからはひたすら、無我夢中の連撃。
 防がれてはいるが、端へ端へと追いやる。

 猛攻の甲斐もあり、やつが体勢を崩した。
 オレは速攻で竹刀を振り上げ、浮いた左手に――。

「一本!」

 審判の宣言に遅れて、竹刀の落ちる音がする。
 目と鼻の先には、しなって曲がった”相手”の竹刀。

 ……負けた。呆然とするの耳に雑多の歓声が届く。
 無理もない、巻き上げなんて滅多に見れるものではない。

 自身の竹刀に相手の竹刀を絡ませ、上方向に弾き飛ばす技。
 恥をかかせる行為だと真剣勝負ではあまりやらず、好まれない。

「それでも、負けは負けか」

 一礼を経て、重い足取りのまま引き下がる。
 面金を脱ぐと、正面に立つ誰かに気づいた。

 意思の強そうな大きな瞳に、癖っ毛髪の少年だ。
 見覚えはなかったが、首から下の姿で対戦相手と悟る。

「よぅ! お前さん、めっちゃ強いな。何度も負けるかと思ったぜ。また会うたら、勝負したってくれな」

 そうして差し出された右手をただ見つめる。
 ……コイツはナニをイッテイルんだ。

「テン、何をしている! 一回戦なんかで負けおってからに! 早く来い!!」

 結局、目的も何も理解できなかった。
 父の叱責を受けながら、早足で立ち去る。
 彼の五十嵐という名は脳裏に焼き付いていた。

※ ※ ※

 中学生になった。制服をまとい、気分はもう大人だ。
 シャープペンを使い、ランドセルも背負わなくていい。
 何よりも部活動として、学内で剣道が認められている。

 揚々と進む足が渡り廊下を通り、剣道部につく。
 逸る気持ちは抑えきれず、ドアを開け放った。

「あ」

 五十嵐がいた、癖っ毛の髪が前より少し伸びている。
 中途半端に防具をつけたまま、お構いなしに近づいた。

「へいへい、テンじゃねえか! お前さんもこの学校かいな、奇遇やな!!」

 何かと思えば、ばしばし背中を叩かれた。
 痛えし、うるせえ。勝者の余裕かよ。
 
 手首を掴んで睨み返すオレに、五十嵐が笑う。
 大口開いて八重歯を覗かせ、指差しをしてきた。

「早速や、勝負しようぜ」

 たとえ部活動が一緒だろうと剣道は個人戦だ。
 団体戦でさえ、一人一人が戦っているに過ぎない。

 オレと五十嵐の関係だって、単なる練習相手だ。
 部活の時だけ語らい、それ以外は全て無視をした。
 あいつは嫌いだ、軽率で誰に対しても甘い顔をする。

 しかしながら、剣の腕は嫌いじゃなかった。
 勝っては負けてを繰り返し、一年が経つ。 
 
 オレたち二人が部に残り、夜まで凌ぎあったこともある。
 だからだろうか、部活終わりに自然と礼を言っていた。

「感謝する、また明日に頼む」

 それ以降のやり取りは、あまり覚えていない。
 何も言わず、また勝負していた可能性さえある。
 いつかまた公式戦で激突するとわかっていたのに。

※ ※ ※

 気がつけば、竹刀を手から離していた。
 ちょうど大会当日、二回戦を突破したところだ。
 名も知れぬ対戦相手が敗者と化し、背を丸めている。

「はは」

 トーナメント表に目が入った途端、苦笑してしまった。
 負けはしないと思っていたが、やはり勝ち上がったか――五十嵐。

「テン、ここだ! ここが正念場だぞ!」

 会場の雑多に紛れて、父の声がする。

「恨みっこなしやで」

 防具姿の五十嵐がそう通り過ぎていった。

「ふん」

 オレは鼻を鳴らして返し、少し考える。
 これでも身の程はわきまえているつもりだ。

 練習でも勝てなかったくせに、今勝てるとは驕らない。
 対策期間は一年もあった。ぶっつけ本番でもやるしかない。
 道着の内側からそれを取りだして、()()()()()()()()()()()

 我ながら何とも原始的かつ、身の振り方もない。
 情けない限りだが、何が何でも勝たねば漢が廃る。 
  
「はじめ!」

 試合展開は前回大会と同じ流れを沿った。
 オレが攻め、五十嵐はいなし続ける。
 根本的にあいつはカウンター型だ。

 小さな攻撃の応酬の果てに大ぶりを返す。
 あえて乗った。わざとその状態をつくった。
 完璧なタイミングで渾身の一撃を振り下ろす。

 ――こい
 
 刹那の一瞬、五十嵐が低姿勢で睨み上げる。
 手首を下に反らし、切っ先は床を掠めた。

 ――こいこいこい

 突風でも起こすような音速の上段――巻き上げだ。
 乾いた破裂音が爆発をして、腕が引っ張られる。

 だが、同じ轍は踏まない。手から竹刀は離れない。
 上がりきった腕は意志を持ったまま、すぐに下がる。

「メン!」

「一本!」

 竹刀が五十嵐を貫き、判定が上がる。
 勝った、あの五十嵐に今度こそ勝った。

「礼」

 面金を外した後でも、否応なしに浮足立つ。
 やってやった達成感と幾ばくかの罪悪感。

 五十嵐は何も言うことなく、肩を叩いて立ち去った。
 面金から覗く横顔は微笑んでいるようにも見える。
 
 オレは、オレは――()()()()()()()()()()()()から竹刀を引っ剥がした。
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