2章07話 ストップライン
文字数 3,057文字
少し風が吹き始め、雪は横なぶりになった。
月明かりに照らされた足元は黒く濁っている。
真後ろで誰か――リリクランジュが立ち上がったらしい。
地響きに似た感触に身体は傾き、頬で雪が溶けた。
背中越しでもわかる、突き刺すような凝視の視線。
これは賭けだが、確信していた。
案の定、リリクランジュの気配が遠ざかる。
しばらくして、三者三様な悲鳴が聞こえてきた。
「わ~!」
「ひぃ~!」
俺は構わず、彼女らを信じた。
アメリアの援護、イリスの頭脳、ミニミニの逃げ足を。
時間稼ぎをしてもらっている間に、俺は俺の仕事をする。
船はおおよそ二十メートルほどのクルーザーだ。
白を基調した流線型に、薄っすらと雪が積もっている。
「ふんっ!」
ぐるぐる肩を回しては、思いきり両手を突きだした。
バンッと、衝撃が抜けて僅かにクルーザーが後退する。
なんで陸にあるのか謎だけど、落とせばこっちのものだ。
ところが進んだのは五センチ程度で、距離的にはまだまだ先。
数トンはあるだろうし、俺では無理か。もっと大人数でないと。
「となれば……」
気を取り直して、船体からデッキに乗り込む。
中は思っていたよりも古く、隙間風が吹いていた。
足元の板は腐りかけているし、体重でふらふらと傾く。
俺は辺りを見回しながら操舵室に入っていった。
奥部には木製の舵輪があり、両手で掴んでみる。
キキィィ――!
勇み込んでレバーを引くも、音は空振る。
雪に埋もれるだけで進みそうになかった。
「あ」
そして気づいた、真下にある鍵穴の存在に。
俺はつけっぱなしの鍵を掴み、右にねじ込んだ。
「かかれ」
錆びついているのか、鍵が固い。
思うように回らずに鍵がねじれる。
「かかれ!」
今この瞬間にもアメリアたちの悲鳴が聞こえた。
焦れったい怒りが拳となって、舵輪を打ちつける。
――かかった
演奏でも始めるかのようにエンジンが踊りだす。
船体は細かく振動し、動き出さんとする雰囲気だ。
「おい、準備できたぞ! 早くこっちに来い!」
船尾にまで向かい、身を乗りだして声を張る。
モーターは積雪を撒き散らしながら船体を下げた。
「早く!!」
いち早く、アメリアが反応した。
ミニミニを捕まえ、イリスの襟首を引く。
「ソラ!」
そのまま二人を引きずらせて走った。
すり足のような細かい走りで雪道を駆ける。
「だめ、待って!」
慌ててリリクランジュが追いかけるが、アメリアは止まらない。
後ろに目でもついているかのように、方向転換をして躱した。
「行かないで、行っちゃだ――」
リリクランジュの懇願も虚しく、飛び上がる。
デッキに乗り込んで、船体が大きく仰け反った。
即刻、爆発に似た急発進。
さながら水平方向へのロケット発射だ。
雪面を削りながら推進し、崖を飛び越える。
視界一体が横に伸びていき、鮮やかな海を映す。
だが、その綺麗さを感じ取ったのも一瞬のことだった。
足場のなくなった船が真っ逆さまに落ち、水しぶきを上げた。
※ ※ ※
声が聞こえる。
どこかで聞いたような妙に懐かしい声色だ。
ソラ、ソラと何度も呼びかけられ目が覚める。
「あら、起きたみたいね」
身体を起こすと、イリスに呼びかけられた。
操舵室にいるらしく、舵輪を握っている。
「俺、どれくらい寝てた?」
陸上ではない、窓越しにみえる景色は海面だ。
ぼんやりと記憶が蘇り、逃げ切れたのかと悟る。
「安心なさい、ほんの数秒よ。かなり強引で無茶苦茶だったけど、存外うまくいったわね」
喉奥を鳴らして笑うけど、上機嫌さが隠しきれていない。
舵輪を掴んだまま腰を振って、イリスが小躍りしている。
「そうだな……」
俺は後ろを振り向き、遠ざかる島々をみた。
仮に地図通りであれば、この先に出入り口がある。
本当に出られるのだろうか、まるで実感が湧かない。
でも会いたい、父さん、家政婦さん、クラスの皆に。
話したくて堪らないことが山のようにあるんだ。
「浸水箇所、修理してきた」
その時、ドアが開いてアメリアが現れた。
ぐったりと寝込むミニミニまで抱えている。
当たり前だけれど、船内はこれで全員になる。
俺は彼女らの側にまで向かって、一つ確認した。
「なぁ、他の人たちはどうしようか、OGとか鳩ぽっぽとか」
「今回はあくまでもお試しよ。食料も船の状態も悪いから、遠くまでいけないしね。適当なとこで折をみて戻りましょ」
それに答えたのは舵輪をいじるイリスだ。
話の中でも地図と景色をずっと見比べている。
俺たちは特にやることもなく、疲れた身体を休めた。
「ん……」
しばらくして、ミニミニが起床した。
タレ目がちな目が開き、辺りを見回す。
視線はあちこちを行き来して、アメリアに止まった。
「どこ? アメリアおねえちゃん、どこに行くの?」
「ここから出るの」
あまりピンと来ないのか、ミニミニが瞬きをする。
アメリアの腕から抜けだし、つま先立ちで前を見た。
「いつも通りの生活に戻る、うまくいけばだけど」
「元の生活……」
夢うつつに、ミニミニがイリスの台詞を繰り返す。
喜ぶでも驚くでもなく、困ったような顔つきだ。
一拍の躊躇いを以って、小さな口が開かれる。
「ねぇ、ソラおにいちゃん、アメリアおねえちゃん、イリスねえねえ」
俺たち一人一人を呼びかけ、目と目を合わせた。
手元にある赤子の人形を抱きしめ、声を落とす。
「――ミ ニ の こ と 、 知 っ て ぅ ?」
その問いかけには答えられなかった。
答えるどころではなくなったとも言える。
ドォン!
爆音のような音がして、船体は大きく揺れ動く。
すぐに状況を確認すると、津波が起こっていた。
中央には何か巨大なものが浮き沈みしている。
「何あれ、クジラ?」
「クジラなら、まだマシだったかも……」
俺が指さしながら聞けば、アメリアが口ごもった。
見え隠れするそれが白髪を振りかざして、咆哮する。
「逃げるああああああああ!!」
リリクランジュだ。
めちゃくちゃに海をかき分けながら、泳いできている。
俺たちは激しい焦燥感に苛まれ、パニックとなった。
追いつかれぬように距離を離そうと、操縦席に向かう。
しかし、いくら触れても反応がなく愕然とさせられた。
――鍵が引き抜かれ、床に落ちている。
勝手になるようなものじゃない、誰かが意図的にやった。
視線が自ずと皆の顔を見比べていき、犯人探しをする。
アメリア、イリス、ミニミニを順に改めた直後のこと。
「償い祈り、責務を果たせ」
リリクランジュの声が耳元で聞こえた。
そこからの記憶は断片的で、覚えていない。
ただ一つ、恐ろしい目にあったことだけは確かだ。
※ ※ ※
――68
空を見上げていた。
残基を通して白い空が映っている。
アメリアもイリスもミニミニさえ、どうなったか知らない。
アナウンスは鳴っていなかったから生きているとは思う。
リリクランジュは変わらず、船を抱えながら体育座りになっていた。
眠っているように感じていたけど、祈っていたのではないかと改める。
彼女はきっと何か知っているのだろう。
知った上で、俺たちの停止線になっている。
このままでは結局、破滅に行き着く。
交渉は無理、強行も全力で止められる。
ならどうする、俺は一体どうすべきなんだ。
「リリクランジュを倒し、船を奪おう」
俺が自分で発したのとは思わないくらいに淡々と濁る。
待ってましたとばかりに、思考回路が一直線に結びつく。
次に目を開いた時、既に彼女を倒す算段ができあがっていた。
月明かりに照らされた足元は黒く濁っている。
真後ろで誰か――リリクランジュが立ち上がったらしい。
地響きに似た感触に身体は傾き、頬で雪が溶けた。
背中越しでもわかる、突き刺すような凝視の視線。
これは賭けだが、確信していた。
案の定、リリクランジュの気配が遠ざかる。
しばらくして、三者三様な悲鳴が聞こえてきた。
「わ~!」
「ひぃ~!」
俺は構わず、彼女らを信じた。
アメリアの援護、イリスの頭脳、ミニミニの逃げ足を。
時間稼ぎをしてもらっている間に、俺は俺の仕事をする。
船はおおよそ二十メートルほどのクルーザーだ。
白を基調した流線型に、薄っすらと雪が積もっている。
「ふんっ!」
ぐるぐる肩を回しては、思いきり両手を突きだした。
バンッと、衝撃が抜けて僅かにクルーザーが後退する。
なんで陸にあるのか謎だけど、落とせばこっちのものだ。
ところが進んだのは五センチ程度で、距離的にはまだまだ先。
数トンはあるだろうし、俺では無理か。もっと大人数でないと。
「となれば……」
気を取り直して、船体からデッキに乗り込む。
中は思っていたよりも古く、隙間風が吹いていた。
足元の板は腐りかけているし、体重でふらふらと傾く。
俺は辺りを見回しながら操舵室に入っていった。
奥部には木製の舵輪があり、両手で掴んでみる。
キキィィ――!
勇み込んでレバーを引くも、音は空振る。
雪に埋もれるだけで進みそうになかった。
「あ」
そして気づいた、真下にある鍵穴の存在に。
俺はつけっぱなしの鍵を掴み、右にねじ込んだ。
「かかれ」
錆びついているのか、鍵が固い。
思うように回らずに鍵がねじれる。
「かかれ!」
今この瞬間にもアメリアたちの悲鳴が聞こえた。
焦れったい怒りが拳となって、舵輪を打ちつける。
――かかった
演奏でも始めるかのようにエンジンが踊りだす。
船体は細かく振動し、動き出さんとする雰囲気だ。
「おい、準備できたぞ! 早くこっちに来い!」
船尾にまで向かい、身を乗りだして声を張る。
モーターは積雪を撒き散らしながら船体を下げた。
「早く!!」
いち早く、アメリアが反応した。
ミニミニを捕まえ、イリスの襟首を引く。
「ソラ!」
そのまま二人を引きずらせて走った。
すり足のような細かい走りで雪道を駆ける。
「だめ、待って!」
慌ててリリクランジュが追いかけるが、アメリアは止まらない。
後ろに目でもついているかのように、方向転換をして躱した。
「行かないで、行っちゃだ――」
リリクランジュの懇願も虚しく、飛び上がる。
デッキに乗り込んで、船体が大きく仰け反った。
即刻、爆発に似た急発進。
さながら水平方向へのロケット発射だ。
雪面を削りながら推進し、崖を飛び越える。
視界一体が横に伸びていき、鮮やかな海を映す。
だが、その綺麗さを感じ取ったのも一瞬のことだった。
足場のなくなった船が真っ逆さまに落ち、水しぶきを上げた。
※ ※ ※
声が聞こえる。
どこかで聞いたような妙に懐かしい声色だ。
ソラ、ソラと何度も呼びかけられ目が覚める。
「あら、起きたみたいね」
身体を起こすと、イリスに呼びかけられた。
操舵室にいるらしく、舵輪を握っている。
「俺、どれくらい寝てた?」
陸上ではない、窓越しにみえる景色は海面だ。
ぼんやりと記憶が蘇り、逃げ切れたのかと悟る。
「安心なさい、ほんの数秒よ。かなり強引で無茶苦茶だったけど、存外うまくいったわね」
喉奥を鳴らして笑うけど、上機嫌さが隠しきれていない。
舵輪を掴んだまま腰を振って、イリスが小躍りしている。
「そうだな……」
俺は後ろを振り向き、遠ざかる島々をみた。
仮に地図通りであれば、この先に出入り口がある。
本当に出られるのだろうか、まるで実感が湧かない。
でも会いたい、父さん、家政婦さん、クラスの皆に。
話したくて堪らないことが山のようにあるんだ。
「浸水箇所、修理してきた」
その時、ドアが開いてアメリアが現れた。
ぐったりと寝込むミニミニまで抱えている。
当たり前だけれど、船内はこれで全員になる。
俺は彼女らの側にまで向かって、一つ確認した。
「なぁ、他の人たちはどうしようか、OGとか鳩ぽっぽとか」
「今回はあくまでもお試しよ。食料も船の状態も悪いから、遠くまでいけないしね。適当なとこで折をみて戻りましょ」
それに答えたのは舵輪をいじるイリスだ。
話の中でも地図と景色をずっと見比べている。
俺たちは特にやることもなく、疲れた身体を休めた。
「ん……」
しばらくして、ミニミニが起床した。
タレ目がちな目が開き、辺りを見回す。
視線はあちこちを行き来して、アメリアに止まった。
「どこ? アメリアおねえちゃん、どこに行くの?」
「ここから出るの」
あまりピンと来ないのか、ミニミニが瞬きをする。
アメリアの腕から抜けだし、つま先立ちで前を見た。
「いつも通りの生活に戻る、うまくいけばだけど」
「元の生活……」
夢うつつに、ミニミニがイリスの台詞を繰り返す。
喜ぶでも驚くでもなく、困ったような顔つきだ。
一拍の躊躇いを以って、小さな口が開かれる。
「ねぇ、ソラおにいちゃん、アメリアおねえちゃん、イリスねえねえ」
俺たち一人一人を呼びかけ、目と目を合わせた。
手元にある赤子の人形を抱きしめ、声を落とす。
「――
その問いかけには答えられなかった。
答えるどころではなくなったとも言える。
ドォン!
爆音のような音がして、船体は大きく揺れ動く。
すぐに状況を確認すると、津波が起こっていた。
中央には何か巨大なものが浮き沈みしている。
「何あれ、クジラ?」
「クジラなら、まだマシだったかも……」
俺が指さしながら聞けば、アメリアが口ごもった。
見え隠れするそれが白髪を振りかざして、咆哮する。
「逃げるああああああああ!!」
リリクランジュだ。
めちゃくちゃに海をかき分けながら、泳いできている。
俺たちは激しい焦燥感に苛まれ、パニックとなった。
追いつかれぬように距離を離そうと、操縦席に向かう。
しかし、いくら触れても反応がなく愕然とさせられた。
――鍵が引き抜かれ、床に落ちている。
勝手になるようなものじゃない、誰かが意図的にやった。
視線が自ずと皆の顔を見比べていき、犯人探しをする。
アメリア、イリス、ミニミニを順に改めた直後のこと。
「償い祈り、責務を果たせ」
リリクランジュの声が耳元で聞こえた。
そこからの記憶は断片的で、覚えていない。
ただ一つ、恐ろしい目にあったことだけは確かだ。
※ ※ ※
――68
空を見上げていた。
残基を通して白い空が映っている。
アメリアもイリスもミニミニさえ、どうなったか知らない。
アナウンスは鳴っていなかったから生きているとは思う。
リリクランジュは変わらず、船を抱えながら体育座りになっていた。
眠っているように感じていたけど、祈っていたのではないかと改める。
彼女はきっと何か知っているのだろう。
知った上で、俺たちの停止線になっている。
このままでは結局、破滅に行き着く。
交渉は無理、強行も全力で止められる。
ならどうする、俺は一体どうすべきなんだ。
「リリクランジュを倒し、船を奪おう」
俺が自分で発したのとは思わないくらいに淡々と濁る。
待ってましたとばかりに、思考回路が一直線に結びつく。
次に目を開いた時、既に彼女を倒す算段ができあがっていた。