1章10話 覚悟の背中

文字数 2,671文字

 エリアAでは雨が降っていた。
 霧のように細かく、陰気な雨だ。
 傘をさす人とささない人が半々になるくらい。

 奥に進めば進むほど、土が湿っている。
 薄着の空色パーカーではどうも寒い。
 身を縮めて丸くなり、腕を擦った。
 
「ねぇ」
 
 ややあって、アメリアに服を引っ張られた。
 携帯電話を片手に、青色の目を揺らしている。
 
「なに、どうした?」
 
 アメリアはそれに即答せず、俺の服から手を離した。
 口元のマフラーを指先でいじり、ぼそぼそと呟く。

「イリスと繋がらないの。電源を切っているか、出られない状態なのかも……」

「イリスって戦えるのか?」

「ううん、全然。運動神経かなり悪い。走るより歩くほうが早いぐらい。イリスの武器だって戦闘向きじゃないし、きっとひたすら隠れているか、ボコボコのボコにされている」

「どんな武器なんだ?」

 ずっと知りたかった情報に触れ、これ幸いと尋ねる。
 アメリアは一瞬だけ沈黙して、小さく口を開いた。
 
「――地図」

「は?」

 地図ってあの地図だよな、土地を図として描いたもの。
 それが武器とは結びつかず、そのまま聞き返した。

「地図では戦えないだろう」

「うん、でも戦うだけが全てじゃないよ。生き残る方が大事。地図って地形から構造物まで載っているから、隠れたり逃げ回ったりするのに向いている。わたしの銃なんかより、よっぽど使い道があると思う。何より、”脱出経路”まで載っていたからかなり重要」

「……え?」

 途中までは納得していたが、最後の最後で引っかかった。
 脱出経路が載っているなんて、どう考えても罠だろう。
 だけど気になる。ぜひとも現物を見てみたくなった。

「いて」

 そう考えごとをしていてか、つまずいて転びかけた。
 足先に固いものが触れたらしく、じーんと痺れている。
 
 いつしかツリーハウス跡地についていたらしい。
 森林シダが捌け、平たく開けた地面がみえる。

「いない、か」

 テンと出くわし、イリスと別れた場所だ。
 駄目で元々とはいえ、人がいる気配はない。
 少なからず失望して、無言のままに立ち尽くす。

 その時、物色の視線が足元で泊まった。
 木くずの中に黒光りするものが埋もれている。

 鞘だ、刀の鞘。無地の黒光りで一・五尺はある。
 その意味を理解するよりも早く、足音がしてきた。
 地面を擦るような硬音と枝踏みの音が近づいてくる。

「ソラ、ソラ!」

 アメリアに呼びかけられ、低くしゃがむ。
 物陰に身を潜めた瞬間、テンが現れた。

 顔つきは険しく、疲弊した犬のような息遣いをしている。
 慌ただしく首を動かしては、俺たちを探っているらしい。
 動くに動けず、膠着した状態でアメリアが人差し指を指した。

「あれ……」

 目を向けると、テンが携帯電話を握っていた。
 金のカラーリングには見覚えがある、イリスのだ。

 ――ルルルルルル

 アメリアがびくっと震える。大急ぎで遠くに携帯を放った。
 しかしとっくに手遅れだ。テンがこちらを見やっている。
 今までと違い、ぴたりと合わさる瞼は見開かれていた。

 白目は赤く滲み、腫れ上がった傷跡がみえる。
 引くほどの痛々しさにも関わらず、彼が笑った。
 たちまち一陣の風が吹き抜け、冷や汗を攫っていく。

「そこか」

 掠れ声を一つに、テンが走りだす。
 刃先を地面に擦り付けながら全力で。

 俺はアメリアと顔を見合わせ、二手に分かれた。
 引きつけてやるつもりが、一瞥で無視される。
 俺が囮だと気づき、アメリアを優先した。
 
 明らかに目で見て、判断を下している。
 見えなくても強いやつが視力を得たんだ。
 
 目にも止まらぬ鋭い一閃でアメリアを裂く。
 すぐに足で押しつけ、刀を振りかぶった。

「待て!」 

 大至急、足を動かして助けに向かう。
 けれどそれすらも、テンは読んでいた。
 ちょっと近づくや否や、急速に振り返る。

 地面に刀を突き立て、ノータイムで飛びついた。
 柄を足場に跳ね上がり、一気に距離を詰める。

 揉みくちゃになりながら、マウントポジションだ。
 仰向けになったまま、両手両足を抑え込まれている。

「オレの勝ちだ」

 勿体つけるような口ぶりで、テンが誇る。
 両手で柄を握りしめ、祈りの体勢をとった。
 
「やはりオレこそが生きるべくして生きるもの」

 ふっと落とされた刀に、手のひらを滑り込ます。
 肉の割ける感触を受け、声にならぬ声が上がった。

 力負けしている。思うように腕が伸びない。
 刃先は手の甲を貫通して、血まみれに染めた。
 それが目の中に入ると、瞬く間に世界は変わった。

『ソラは大きくなったら何になりたい?』
 
 ――夢を見た。うんと小さな幼い頃の記憶だ。
 母が俺を膝に抱えながら、優しげに尋ねてくる。 
 
『パイロット!』

 対して俺は身を預けたまま、両手を突き上げた。
 深い意味はなく、言えば喜ばれるから言っただけだ。
 母はそんな俺を力の限りに抱きしめ、頬をすり合わせた。

『いいのよ、気を使わないで。あなたなら何にでも成れる、誰よりも頑張れる子だもの。お母さんはいつまでも応援しているから』

 予言めいた言葉がだんだんと遠くなる。
 視界が潤んだ途端、世界の色も変わった。
 
「ハハハハハハ、逝け逝け逝け!」

 面前では変わらず、テンがめった刺しをしていた。
 傷だらけな瞳は虚ろに揺らぎ、何の感情も伺えない。

 人を傷つけることに、何とも思っていないのだろう。
 俺なら躊躇う、現代に生きていれば当たり前の感覚だ。

 喧嘩は良くない、殺すなんて以っての他だと教わる。
 法を説いている間に奪われたら、どうすればいい。

 人は常に無限の可能性と選択に迫られている。
 後悔は後からできても、今を選ぶのは今だけだ。

 ガキンッ

 切っ先がふと、俺の胸元で止まった。
 金属の合わさる音が意識を呼び起こす。
 
 胸ポケットに忍ばせた”手錠”が食い止めたらしい。
 命を駆け引きする場において、この一瞬は命取りだ。

「ぁぁぁぁああああ!」
 
 手のひらを押し出しながら、血を撒き散らして鍔を掴む。
 地に伏せたまま手首をまわし、刀身が弧を描いた。
 
 切っ先がテンの首元を掠め取り、血を吹きだす。
 やった、信念を持って決断した。後悔はない。

 ――10

 消えゆくテンの身体に、赤塗りの数字が浮かぶ。
 俺はそれを見送りもせず、イリスの携帯を拾った。
 アメリアの元に急ぎ、肩を貸して無理やり立たせる。

「いくぞ」

 まだまだ先は長い、イリスの救出が残っている。
 雨はいつしか晴れ間がみえて、空を覗かせた。
 
 滴り落ちる水滴では、返り血が流せない。
 すっかりと渇き切ったまま、ただ前に進んだ。
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