2章08話 独り占め

文字数 2,928文字

 エリアAの最北、テンの墓場がある場所だ。
 天頂に達する太陽の真下で、俺は立っていた。
 背中をなぞう海風に、いつもの光景を思い出す。

 崖先で飛んでは落ちてを繰り返し、日誌をつけたこと。
 馬鹿にされたり心配されたりしながら、空を目指したこと。
 結局は空を超えられず、岩礁に落ちて絶命した最期。

 それを今、再びやろうとしている。

「凝りないやつ」

 なんて聞き飽きた言葉が脳裏でふわりと浮かぶ。
 必要なことだと押しやれば、母の顔が上がってきた。

 ――母さんは飛行機事故で亡くなった。
 六歳の頃、伯父に会うために飛行機に乗る機会があった。
 雲上の景色と父さんが操縦する事実に興奮していた覚えがある。

 そして、唐突な乱気流に巻き込まれた。
 激しく揺れる機内、飛び交う悲鳴、炎に包まれる右翼。
 楽しかった時間は様変わりし、文字通り真っ逆さまに落ちた。

 多くの怪我人が出て、俺も死にかけた。
 腹に鉄杭が刺さり、かなりの血を流したのだ。
 そんな死と生の狭間の中で、母さんが無茶をする。

 看護師の知識を頼りに、ありあわせの道具で輸血したのだ。
 ――生きるはずだった母は死に、死ぬはずだった俺が生きた。

『星になって見守っている』

 そう遺言を俺に残し、一人で逝ってしまった。
 あの事故は自然災害だ、誰が悪いわけでもない。

 わかっていた、わかっていたけど言ってしまったんだ。
 運び込まれた病院で、父さんを前に告げてしまった。

『――お前が死ねばよかったのに』

 以降、まともに口を利いていない。
 謝ることもできず、後悔だけを重ねた。

 申し訳なさそうな、悲しげな父さんの顔が忘れられない。
 俺はそこで行動に移した、所詮は子どもの考えることだ。

『星になったというなら、空から母さん連れ帰ればいいじゃん』

 それが俺の空を目指したきっかけである。
 二人だけの食卓をまた三人に戻したかった。
 空を通して、いつまでも母を覚えていたかった。

「――ねぇ、まだ飛ばないの?」

 崖端で棒立ちすること数分、アメリアに呼びかけられた。
 近くの小岩に腰かけて、ドーナツを食べているようだ。
 口元にチョコをつけながら涼しげな目を向けている。

 俺のフライトはいつも一人だった。
 他に誰かいたことはないし、来られても追っ払っていた。
 母を迎えにいくって行為は、俺の中で神聖なものだったから。

 なのに何故だろう、別に今は嫌じゃない。心地よささえあった。
 俺一人の夢ではなく、皆の希望として背負っているからだろうか。

「飛ぶよ」

 独り言のように呟き、ゆっくりと助走をつける。
 腰を落とし、面前の崖を睨んで一気に駆けだした。

 今か今かと崖先に注視して、地面を蹴り上げる。
 宙を両手で上下に掻き、天めがけて羽ばたいた――。

「はぁはぁ」

 無事に落ちて着水後、崖を登って陸に戻る。
 びしょ濡れの全身から服を脱ぎ、水滴をしぼった。
 それをまた着直した途端、アメリアの一声が飛んだ。

「思っていたよりも無様だった」

「うぐ」

「いくら手を上下させても翼にはならないよ」

「いててて」

 屈託のない罵倒を受け、お腹が痛くなる。
 みなまで言われずとも自覚はある、だからこそ辛い。
 しかし続けざまに放たれた二の句には、頭が上がった。

「フォーム直せば、もっと高く飛べそう」

「まじ?」

 そんなのまるで気にしたことがなかった。
 いつもただ、無我夢中にがむしゃらだったから。

「次飛ぶ時はクロール泳ぎを意識してみて」

 アメリアの妙な助言に苦笑しながら、また距離をとる。
 頑張って、なんて間の抜けた声援を背に足を動かした。

※ ※ ※

 静かなる森の中で、一人立ち尽くす。
 今日の空は星も見えず、雲に覆われていた。

 風は強く吹き荒れ、前髪が浮き沈みする。
 時刻にして深夜一時、もう皆寝ている頃合いだ。

 昼間の訓練やエリアCでの準備で時間がない。
 俺はテンの刀を取りだして、正眼の構えをとった。

 ブンッ、と素振りで空気を唸らす音が心地いい。
 まさか今更剣道を始めるとは夢にも思わなかった。

 足を接地したままに動く”すり足”がどうも慣れない。
 それでも百回ほど振った頃、茂みの向こうから音がした。
 OGだ。ぬっと姿を表しれては、肩口についた小草を払う。

「精が出るね」

 ちょっとだけ驚く。自主練にも顔を出してくるとは思わなかった。
 素振りを止めて彼を見つめていると、苦笑いを浮かべられた。

「いや、何か寂しくなってね。なんでもリリクランジュの船を奪いにいくそうじゃないか。大胆なこと考えるね。万が一にでも成功すれば脱出目前だ。僕が君たちと一緒にいれるのも、あと数日かもしれない。それで寂しくなった。寂しくなって会いにきたんだ」

 コートの裾をはためかせ、歌うように飄々とOGがいう。
 いつもの囁き声ではなく、妙にはっきりとした声だ。
 俺は素振りを再開しながら、彼に言い返した。

「なら永住するなんて駄々こねてないで、一緒に脱出すればいいだろ」

「いやいや、そうもいかないんだよね……」

 OGが身を屈めて、木の棒を拾い上げる。
 半身の形をとり、縁つき帽子を投げ捨てた。

「よし、勝負しようか」

「は?」

「漫画やアニメであるじゃないか。修行の成果に師匠を倒して免許皆伝ってやつ。さっき思い出したんだ、面白そうだしやろうよ」

 あれこれ言いつけては、一人でその気になる。
 嫌々ながら構えをとった俺に、振りかぶってきた。

「セイ!」

 鋭い振り下ろしが真横を過ぎる。
 杖みたく湾曲した棒だが、切れ味はあるらしい。
 左腕を軽く引っかかれただけで、血が滲んでくる。

 慌てて距離を離すも、ノータイムで詰められる。
 俺の足を踏み、逃さないようにして突きを放った。

「く……」

 それを何とか防ぎ、鍔迫り合いをして息を吐く。
 力押しは互角だが、体勢のせいでこっちが不利だ。
 間合いをとろうにもOGの足が邪魔で離れられない。

「おい、足踏むのはルール違反だろ!」

「ふふ、審判にでも訴えてみるかい。こっちは木の棒なんだし、ちょっとしたハンデだよ。それに、人生教科書通りでもないのさ」

 瞬間、パキッと音を立てて木の棒が折れる。
 思わず身体が前のめりになり、刀は宙を掻っ切った。

 OGが素早く、切られた棒を手に二刀流となる。
 とっさに片方は避け切るが、もう片方までは――。

「一本」

 満足げなOGの発言とともに、右肘が痺れる。
 負けた、無理やり始まったとはいえショックだ。

「まだまだ師匠として偉い顔をできそうだね」

 対してOGは喜びが隠しきれない様子で手を払う。
 俺の背を軽く叩き、暗がりの中へ立ち去っていった。

「リベンジを待っているよ、それまで生きていてくれ」

 一人になって、静寂が訪れた。何とも言えぬ心情だ。
 素振りを再開する気にもなれず、刀を鞘に収める。

 そのまま腰をつけ、目をつむって風を感じた。
 心地いい。熱が冷め、落ち着き払っていく。
 瞼に眠気が乗った矢先、呼び起こされた。

「ソラおにいちゃん」

 舌っ足らずな声と小さなシルエットは――ミニミニだ。
 俯きがちな思い詰めた表情でツインテールが垂れている。

 胸元には抱え込むようにして、赤子の人形がある。
 ちらちら顔色を伺いながら近づき、息を吸い込んだ

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