2章06話 後ろ髪

文字数 3,079文字

 いつしか雨は止み、空に月が浮かんでいた。
 夜の湿地帯が何やら騒がしく、蒸気の粒がみえる。
 太陽はとっくに沈んでいても、湿気で蒸し暑かった。
 
「で、このちびっ子どうする? 捕まえたままでいいの?」

 合流したばかりのイリスがこっちにきて、言葉に愉悦を混じえた。
 ずいっと押し出されたミニミニが振り払わんとばかりに暴れる。

「おに、あくま、きちくーう!」

「交渉しても無駄よ。逃げてもまた捕まえにくると理解している一方で、ゴネれば何かもらえると考えてるでしょ。私も性格が悪いからわかるのよ。悪いけど、求められたら余計に渡したくなくなるわね」

「はぅ」

 ミニミニはすねた顔で目線をそらし、頬を膨らました。
 続けざまに何か言いかけるも、イリスに口元を塞がれる。
 暴れる彼女を抑え込んで、気ままに自分の話をした。

「じゃ、私から状況報告するわよ。端的にロード・リンクスは見つからなかったわ。隠れ場所になりそうなところは全部探したけど、空振りね。ダメ元で配送屋に聞いてみたら、『ノーコメントです、教えたらロードさんが不利になっちゃいますです』なんて最もなことを言われたわ」

 一旦間を置き、イリスが白衣から何か取りだす。
 灰色の携帯電話だ、手元で弄びながら尋ねてきた。

「これ、誰の携帯か知っている?」

 知らない。
 そう俺たちが答える前に、自分から回答した。

「テンの携帯よ、崖沿いの岩礁に挟まっていたの。なんであの時にテンがツリーハウスに当たりをつけられたのか気になってね、ロードのついでに探してたってわけ。履歴には知らない番号があったわ。テンが誰かと通じて、共犯者がいたみたいなの。私はこれをロードの番号だと睨んでいるわ、推測だけどね」

 無駄に携帯をぱかぱか開け閉めして、懐に戻す。
 腰に手をやり、微笑みながら俺たちに目を向けた。

「大方想像はつくけど、そっちの状況は? リリクランジュにバカ正直に頼み込んで、振られたってところかしら?」

「合っている」

 口ごもった俺の代わりに、アメリアは即答。
 堂々と開き直ったもので、イリスが苦笑した。

「リリクランジュへの説得は骨が折れるでしょうね。なにせ神様のように扱われてきた人物だから。ほら、結構有名だったでしょ。巨神教って宗教法人がクーデターを企てたって。そこの信仰対象がリリクランジュよ。七年くらい前の話で、ここ最近は音沙汰なかったけどね。つまり彼女にとって与えられるのは当たり前、奪われるなんてのは論外。このちびっ子を生贄にしても、取り引きにはならないわよ」

「勝手につかまえたくせに、ひどい言いぐさでぅ」

「うりうりうり」

「や~」

 文句いったミニミニがイリスに虐められている。
 仲が良いのか悪いのか、よくわからない有り様だ。
 俺はそれを横目に入れながら、言葉を返してやった。

「他に手がないんだから仕方ないだろ。まずは仲良くなるところから始めるだけだよ」

「あのリリクランジュと仲良く!?」

 間髪入れず、イリスの声がうわずった。
 大げさにまで首をふり、ないないと呟く。

「彼女とのファーストコンタクトを経て、仲良くなるなんて言ったのはあなただけよ。私でさえ穏便に済ませたいとは思うけど、協力は諦めている。だって会話にならないんだもの、物理的にも耳が遠いじゃない。ねぇ……?」

「うん、仲良くは無理だと思う」

 同意を求めるような言葉に、アメリアが便乗した。
 二人がかりで言いくるめられ、少し落ち込む。

 同意を求めるような言葉に、アメリアが便乗した。
 二人がかりで言いくるめられては、話が変わる。

「考えるべくは、なぜああも船を大事にしているのかよ。その船で脱出するわけでもなく、勝ち残りも狙わず、丸くなって寝ているだけだからね。私はそれに三つの可能性を考えたわ」

 ミニミニを小脇に抱えながら、三本の指が立てられる。
 イリスの語りに合わせ、一つ一つが手のひらに収まった。

「一つ目はただの嫌がらせ。被害妄想もくもくで目につくものに全て反抗しているからね。二つ目は自身の巨体で船なんて乗れないから、他の脱出方法に乗っかろうとしている説。足元でも見て、交渉にかけているのかもね。三つ目は私たちが脱出すると、困ることがある場合かしら。彼女だけが知る、何かがあるのかも。ま、それは次のトライで見極めるわ」

 風は止み、いつしか雲が上がった。
 くすんだ空に星が瞬き、イリスは促した。

「で、今から行く? それとも明日の朝にする? リリクランジュなら――まだ起きているかもしれないわよ」

 正直、眠気もあったし疲労もあった。
 作戦も何も頭の中でできあがっていない。
 それでも熱を冷ましたくなくて、舌先が上がる。

「行こう、やられっぱなしのまま眠れないよ」

※ ※ ※

 夜の雪道とは、なぜこうも幻想的なのだろう。
 上下に分かれた黒白のコントラストに足跡が続く。
 
 吐きだす息は立ち上り、顔にかかって溶けて消えた。
 会話はない、一言二言と交わしても長くは続かない。

 あいかわらずリリクランジュは体育座りしていた。
 顔を膝元に埋めて、全身に雪を積もらせている。

「――なに?」

 俺たちが話しかけるより前に、リリクランジュが反応した。
 膝裏の隙間から目だけを覗かせ、上下左右に瞳が揺れ動く。
 覚悟はしていたつもりでも、圧が強すぎて口ごもってしまう。

「いや、その……」

「あら!」

 目まぐるしく、表情が一変した。
 イリスに抱えられているミニミニを凝視している。
 膝を崩しながら前のめりとなって、猫なで声をした。

「あら~ミニィちゃん! 久しぶりでちゅねぇ、会いに来てくれたのぉー?」

 手のひらを返すようにガラッと態度が変わる。
 凄みのある目つきから、満面の笑みで破顔だ。
 上機嫌でどこからともなく例の赤子を取りだす。

「この子とね、遊んでほしいのぉ」

 アメリアから聞いてはいたが、本当にただの人形だった。
 桃色のストライブで、リアルな顔つきにおしゃぶりがある。

「ほらぁ~お姉ちゃんみたい。良かったでちゅねぇ」

 俺たちのことなど、まるで見えていないようだ。
 一人で勝手に盛り上がり、乾いた拍手音が響きわたる。
 実際、彼女の立ち振る舞いには誰も口を挟めないでいた。

「うー……」

 困り顔でミニミニが呟き、ツインテールまで垂れる。
 穴の開くほどに見られてか、渋々に人形を受け取った。

 言われるがままにあやし、名状しがたい時間が過ぎ去る。
 気まずささえ感じ始めた頃、リリクランジュの目が剥いた。

「ねぇ、いつまでいるの? 見世物じゃないんだけど?」

 怖い。虫けら相手でも、もう少しまともに見られるはず。
 話すべき言葉が喉に引っ込み、からからに乾き始める。

「言わないの?」

 棒立ちで固まっていると、アメリアに肘鉄された。
 イリスが何も言えないでいる俺に苦笑いを浮かべる。

「嫌よ、私だって命が惜しいわ」

「早く帰れよ、あんたらには興味がないんだから――ミニィちゃんは一緒にいてくれるもんねぇー?」

 一方には拒絶して、またころりと態度を変える。
 話は通じず、要求を叶えても妥協の余地なし。

 とはいえ、このまま引き下がれば前回の二の舞いだ。
 俺はリリクランジュの奥にある船を見据え、走りだした。
 雪道をかき分け、横をそのまま素通りしながら一声を飛ばす。

「行け、逆方向!」

 彼女らは過敏に読み取った。
 イリス、アメリアが背を向けて駆けだす。
 ミニミニを通して、赤子の人形を抱えたまま。

 リリクランジュは船に向かう俺、エリアCに戻る彼女らを見た。
 みるみる顔が赤くなり、雪ぼこりを撒き散らして立ち上がる。

「――はぁ?」
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