3章07話 出航

文字数 3,048文字

 その日は不思議と熟睡していた。
 起きるのが恋しくなるくらいによく寝た。
 昼過ぎになり、ミニミニに起こされたくらいだ。
 
 寝ぐせのついた髪は水で丁寧に梳かす。
 いつものように眼鏡を拭き、白衣を羽織った。

 昼食と化した朝食をお腹いっぱいに食べる。
 これで断食は二日、断水を以って十時間で終了。
 今後は最適な食事サイクルをとっていかないとね。

「ふぅ」

 全ての準備を終えると、ミニミニの視線に気づいた。
 背中には命じて背負わせたリュッサックがある。

「本当に行くの? ミニたちだけで……」

 あれほど言ったのに、踏ん切りがつかないみたい。
 私はまともに顔も合わさず、素っ気なく返した。

「嫌なら残ってもいいわよ」

「嫌じゃない、お姉ちゃんと一緒なら嫌じゃないの」

 嘘ばっかり、事あるごとにツリーハウスを見ているじゃない。
 この子にとって、血の繋がりはそこまで大事なのかしら。
 まぁ、アーベルの家柄に執着している私も私だけどね。

 無視して歩き進めるにつれ、ツリーハウスを見えなくなった。
 抜け駆けするのだ、当然ながら挨拶も一声もかけていない。

 今生の別れではないし、一足先に戻るだけ。
 必ずや増援を連れてくる、決して見捨てはしない。

「やぁ、やっぱり来たんだね。そんな気がしてたんだよ」

 エリアDの船場ではOGに目撃された。
 仁王立ちで腕を組み、コートを揺らしている。
 私は足を止めぬまま、彼に釘を指してやった。

「止めても無駄よ」
 
「止めないさ」

 毒気を抜かれる言葉だろうと、警戒は解けない。
 一定距離を保ちながら横を通り過ぎていく。

 すれ違う寸前に、OGが手を差し出した。
 竹串と厚紙で自作したような日時計が乗っている。

「頑張って、ただそれだけ」

 その声色は柔らかく、優しさを感じた。
 ありがたく日時計を受け取らせてもらう。

 OGは満足げに微笑み、小さく手を振った。
 私たちの出航も見ずに、立ち去っていく。
 軽快な足取りで鼻歌まじりに姿を消した。
 
「――()()()

※ ※ ※

 離れゆく島を見ながら、感傷に浸る。
 冷たい潮風は寂しさをより強固にさせた。
 手すりに腕を乗せるなり、自然と顔を埋める。

 当初より皆での脱出を訴えかけ、結局二人か。
 自身で判断し、決めたことではあるけど寂しい。
 ミニミニでさえ、私の嘘に縋っているだけなんだし。

「ごめんねアメリア、許してソラくん。少し待っていてちょうだい」

 ミニミニの頭を撫でながら、船尾で名残を捨てる。
 操舵室に戻りかけるも、何か聞こえて足が止まった。

 水しぶきを上げて、近づいてくる物体がある。
 魚にしては図体が大きく、異様な速度をしていた。

「イリス、ミニミニ!」

 ソラくんだ、私たちを呼びながら泳いできている。
 私はとっさに身を隠して、物影で口元を抑えた。

「OG……!」

 言いふらしたわね、ソラくんを叩き起こして。
 どうせそっちの方が面白くなると思ったんでしょ。

「ソラさん!」

 ミニミニは私を振り切り、姿を見せにいった。
 船体から身を乗りだしては、手を伸ばしている。

「行くなーー! 皆で行こうーー!!」

 あらん限りの声量で、ソラくんの熱意が貫通する。
 両手で耳を塞ごうと声は聞こえ、説得が続いた。
 追いつかれるのも時間の問題に違いない。

 駄目だ、思考を止めずに考えろイリス。
 お前は天才一家、アーベルの人間だろう。
 不安要素を介さず、先導者になると決めたはずだ。

 どうする? どうすればいい? ソラくんを退けるにはどうすべきだ?

「アーベル」

 苦悩の果て、アーベルは最も邪悪で非道な方法を思いついた。
 導かれるように二足で起立し、海面で遊泳する彼に声を落とす。

「――ねぇソラくん、なんでリクランジュを屠ったの? 本当に殺す必要があったのかしら。確かに彼女は話が通じず、邪魔な存在だったわ。けれど私たちは獣でないでしょ、会話する力がある。我が子をあやしていただけの彼女に落雷を落とすなんて、やりすぎじゃない?」

 予想外の言葉だったのだろう、彼が速度を落としている。
 しかし止まるまでには至らない。まだまだ折れない。
 血に眠る悪夢が口を開き、舌先を黒く濁らせる。

「テンだってそうよ。何度も殺されたけど、やり返したら同じ穴のムジナでしょ。あなた環境と状況さえ整えれば、平気で人命を奪えるタイプ? 倫理観とかないのかしら。私にはそれが不思議でしょうがないわ」

 ソラくんが――少年が徐々に止まり始めた。
 声が震える、これを言えば間違いなく彼が壊れる。
 でも抑えきれない悪意が止めどなく口から零れ落ちる。

()()()()()()()()()()()()()()?」

 お願い、もう来ないで。あなたは十分に頑張ったわ。
 少しは休んでいいのよ、信じて任せるべきなの。
 ――だからこれ以上、私に言わさせないで。

「こっちには来るな。シリアルキラーに殺されでもしたら、かなわん」

 止まった。呆然とその場で波に身を任せている。
 いつもどこか大人びていた彼が死人のような顔だ。

 言ってしまった。彼にそんな悪意がないことは熟知している。
 同時に、墓前で手を合わせる姿から後悔でさえ理解していた。
 だからこそ言ったのだ、責め立てる材料だと脳が判断した。

「違う、それは違うよ……お姉ちゃん」

 沈黙の時、ミニミニが横やりを入れた。
 船体に手を置きながら横目に見てくる。
 私は目線をすぐにそらし、鋭く吐き捨てた。

「ミニミニは黙ってなさい」

「でも」

「姉の言うことが聞けないの?」

 何と言おうが、反論は許さない。それで十分、黙ると思った。
 ミニミニは顔を海の方に向け、小声ながら言葉を漏らした。

「――ソラおにいちゃん」

「あなたの家族は私でしょ」

 イライラしている、不必要な弁論だ。
 一挙手一投足につい意識がいってしまう。

 瞬間、背中越しに目を凝視された。
 反射的に背いた私に、ミニミニが語る。

「イリスねえねえはミニの顔すら見てくれなかった。きっと好きでも嫌いでもない。どうなったっていいと思っている。なら、たとえ本物じゃなくても気にかけて、目を合わしてくれる人といたい。本音で話して、泣いてくれる人の側にいたいの」

 舌っ足らずな話し方じゃない、淡々と迫る声色だ。
 何をするかと思えば、よじ登って船の上に立つ。
 私が声を挟み、止める間もなかった。

 リュックを背負ったまま飛び込み、水しぶきを上げる。
 何もせず、ただ漂っていたソラくんを泳いで支えた。

「……そう」

 幸か不幸か、これで確定した。
 ソラくんはミニミニを見捨てられないだろう。

 荷物つきの彼女を庇いながら泳ぐなんて無理だ。
 それでも僅かな可能性さえ芽生えぬように楔を打つ。

「ミニミニ、あなたはリリィ=クランジュの娘よ。私の妹なんかじゃないわ。でも、血縁だけが全てじゃないでしょ。愛してくれる人はちゃんといる。実際、この数日は悪くなかったわよ。いい子にして待っていてね、達者でいるのよ」

 声は聞かず、顔も見ない。一方的に済ます。
 私は眼鏡を外しては、ソラくんに投げ渡した。

「餞別よ、いずれ返してもらいに行くから大事に持ってなさいね」

 その眼鏡は大事な私の姉の形見よ、命にも等しい。
 誓って必ずとりに戻るから、私の想いを汲み取って。

 あなたは頑張った、本当によく頑張った。
 だから休んで、背負い込みすぎないで。

 ここからは私の戦いよ、必ずや道を切り開く。 
 ――少しくらい、カッコつけさせてちょうだい。

 私は船に乗ったまま、前へ前へと航海する。
 呆然と浸る彼らを背にして、鼻をすすった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み