3章08話 こうかいとともに

文字数 3,010文字

 目をそらし続けた事実を遺憾なく突きつけられた。
 あそこまで明確な拒絶を受けたのは後にも先にもない。

 覚えているのはそこまでで、あまり記憶になかった。
 自分がどうやってミニミニと島に戻ったか覚えていない。
 ずぶ濡れの身体から滴り落ちる水滴が足取りを重くさせる。

 俺はそれを拭うこともなく、一歩進んだ。
 リリクランジュの娘ならミニミニから逃げた。 
 どんな顔をしていいかわからず、俯きがちになる。

 正面にはローファー靴から伸びた足があった。
 導かれるように目を上げれば、鳩ぽっぽに気づく。
 珍しく険しい顔つきをしていて、胸ぐらを掴んできた。

「聞きましたですよ、イリスさんは? 船は? どうなったんですか!? 先に行っちゃったんですか!?」

 何か答えようにも、言葉に詰まって黙る。
 力なく首を横に振るので精一杯だった。

「もう!!」
  
 何か鳩ぽっぽが悪態をつき、足踏みをしている。
 臆病な俺はそれをひと目に、勝手な言い訳をした。

「追いつけなかった、俺が行った時には姿形が……」

 いっそ夢でありたかった。
 何も見ず、諦めて帰ったのだと舌先が回る。

 鳩ぽっぽはそんな俺を穴が開くほど凝視した。
 言い終えるや否や、おもむろに手を振り上げる。

 ――パシンッ!
 
 叱りつけられるように両頬を叩かれた。 
 痛覚と衝撃で、血が微かに循環する。

「嘘です、見逃してきたんです」

 えらく冷たく、軽蔑に満ちた声だ。
 呼応が小さくなっていくのを感じる。

 間違っていた? 
 是が非でもイリスを連れ戻すべきだった? 
 連れ戻してどうなる、また戦わないといけないのか?

「あんなに皆で頑張ってきたのに……」

 違う。俺はどっちも選べずに放棄したんだ、決断することを。
 鳩ぽっぽが何度も振り返りながら去っていくのをただ見つめる。

 心のどこかで何かが切れた。膝をつき、うつ伏せに倒れる。
 冷たい土の感触が心地いい、そのまま居なくなりたい。
 身体を丸め、どうかこのまま溶かしてくださいって。

 ――だというに、誰かに抱き起こされた。

「ソラ」

 誰の声だ、邪魔しないでくれよ。
 素直に休ませてくれ、疲れたんだ。

 そう口を開きかけるが、強く抱きしめられて閉口する。
 細く、線のように柔らかい身体だ。懐かしい匂いがする。

 まさか甘えてばかりの彼女に甘えられるとは思わなかった。
 俺は彼女に――アメリアに身を預け、深々と目を閉じた。
 
※ ※ ※

 航海は続いた、今は三日目だ。
 船酔いには慣れたけど、陸地は見えない。
 大丈夫、食料はまだある。十二分に凌げる。

 私はちびちびと噛みしめるように水を飲んだ。
 一人になった寂しさから必要以上に飲んでるかも。
 船酔いの気持ち悪さを水で誤魔化している節がある。
 
「船よし、方角よし……」

 シワだらけの地図を今一度だけ引き伸ばす。
 船の絵と左に伸びた線を指でなぞって口にした。

「Escape」

 不思議な言葉、口ずさむだけで勇気が湧いてくる。
 あれだけのことをしたのだ、手ぶらでは帰れない。
 私は静かな海で船を進めながら、お腹を抑えた。
  
※ ※ ※

 航海から五日、食料が尽きた。
 もっと保てたはずなのに、予定より随分早い。
 現実は計画通りにいかないと後悔が募りゆく。

 飲料水はまだあるけど、保ってあと数日。
 陸地は見えず、四方八方に海があった。
 地平線の向こうにまで青色が広がっている。

「やっぱり罠だったのかしらね」

 何十何百と同じようなことを繰り返す。
 今更ながら過去の自分を責め立てた。

 ミニミニを見放すにしてもリュックは回収すべきだった。
 私の武器も目的も弱さでさえ、共有すべきだったかな。

「あーー……」

 喉が渇き、腹は空いた。皆に会いたい、一人は寂しい。 
 私は船首で棒立ちになりながら航海と後悔を続けた。

※ ※ ※

 航海から七日、飲料が尽きた。
 依然として陸地は見えない。
 恵みの雨はなかなか降らない。

 喉の渇きがひどくなり、嫌な汗をかいた。
 どれだけ睨んでも日時計の進みが遅い。
 もう何年も船上にいるような気がする。

 本当に船は進んでいるのだろうか。
 自分はなぜあそこまでして海に出たかった。
 皆の信頼を裏切ってでも一番乗りに執着した。

 もっと最善の手があったのではなかろうか。
 何より、ソラくんを傷つけずに済ませたかった。
 私は貧乏ゆすりを止められず、今日も後悔した。

※ ※ ※

 後悔から十日、イライラしてきた。
 陸地はない、海の中で生きている感覚。
 渇きに惹かれ、海が段々と憎くなってきた。

 皆の元へ戻りたいと嘆く自分を何度も戒めた。
 彼らの笑顔が薄くなる。胸にぽっかりと穴が開く。
 だからだろうか、人知れずに口が動くようになった。 

「それでは、第三回脱出同盟会議を始めるわよ。はい、拍手~ってこら、アメリア! あなたもソラくんを見習って手を叩き、音頭を取りなさいな。いつまで経っても空気が読めないのだから」

 声が聞こえる。
 困惑したような声だ。

「ああ、そう。そうね、元の世界に戻ったら何がしたいかでも話し合いましょうか」

 アメリアがちらちらとソラくんを盗み見る。
 ソラくんが困り顔をしながら私たちの仲裁に入る。
 私がふざけたことばかり言って、二人を笑いに包ませた。

 今日もまた、みなでこうかいを続けた。

※ ※ ※

 こうかいから十四日、何かにぶつかった。

 岩礁にでも当たったかと一考するも、何もない。
 気のせいかしら、ゆらゆらと海面が揺らぐだけね。
 
 わからない、わからないと思う反面、わかりたくないって理解した。
 辛うじて残っていた血の気が引く。青くなった顔が更に青ざめる。
 からからに渇いた喉がなんとか音を吐いた。

「う、そ」

 懸命に足を動かし、つまずきながら向かう。
 船から身を乗りだして、限界まで手を伸ばした。

 が、ぶつかる。空気に手のひらが吸いつく。
 船がこれ以上は進めませんと嘆いている。

「うそ……」

 私は何度も何度も手を伸ばした。その存在を確認する。
 正面だけではない、右斜め前も左斜め前も”見えない壁”だ。

「うそだ、うそだ! うそだっ!!」

 まるで虫かごの中であるかのように、隔たれている。
 どんなに叩いてもびくともせず、相当な厚みを感じた。

「は、は、はは」

 渇いた喉から乾いた笑い声が出る。
 優秀な脳みそはとっくに悟っていた。

 ――ここが世界の”果て”であると。
 
 食料だけでなく水も何もかもが尽きた。
 詰んだ。餓死の道しか残されていない。惨たらしく死ぬだけだ。
 この果てから島まで約二週間、何もかも尽きた状態では帰れない。

「やっぱり、嘘だったのね」

 がたがたの手が何とか地図を取りだす。
 溢れでる涙は地図を水浸しに晒した。
 Escapeの文字がひどく歪む。

「あ」

 ――刹那、電撃でも走るような衝撃を受けた。
 地図を上向きにして、真っ直ぐに伸びた線に触れる。

『陸にあること自体に意味があるんじゃないか』

 ソラくんの言葉と今の状況が繋がっていく。
 まるでせき止められていたダムが決壊したみたい。
 全て理解した、この世界と今までの軌跡を完全に把握した。

 出入り口は西じゃない、()()()()()()()のだ。
 二次元的な解釈ではなく、三次元が正しい。
 つまり、ええと、この世界は一言で。

「――()()()

 嘘つきが舌を引っこ抜かれるのと同じ。
 目には目、歯には歯、命には命をあてる。
 私たち自殺者は何度も殺される罰を受けている。
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