1章02話 オルトルイズム

文字数 2,549文字

 死は人生の終着駅であり、それ以上はないと思っていた。
 だって皆、『一度きりの人生を楽しめ』って言うだろう。
 一度きりしかないから、人々は今に奮闘できるのだ。
 
 でも実際、死んだこともない人間が妄想で語っただけ。
 死後に待っているのは安らぎでも平穏でもない、天罰だ。 

「――起きろ」

 まどろみの中、頬を叩かれる感触がした。
 ぼんやりとした意識が浮かび、まぶたは開く。

 真っ白に染まるような、上も下もない世界が見えた。
 行ったことはないけれど、ウユニ塩湖にいるみたいだ。

 俺はその中で、椅子に座っていた。
 小学校にもありそうな木製の安い椅子。
 なぜか両手両足がロープでくくられている。

「おはよう、ソラ」

 ふいに声をかけられ、面前の人物に気がつく。
 のっぺらぼうだ、細長い全身は黒に染まっている。

 男性のような輪郭で、丸まった顔に目口はない。
 彼が頬に皺を作り、どこからともなく音を発した。

「貴様は死んだ。九月第一週、九人目の自殺者だ。貴様のような罪人には転生の機会すら与えられぬ。存在ごと消され、消滅だ。初めから貴様なぞ無かったこととなる」

 淡々と吐き出せれた言葉でようやく状況を理解する。
 どうやらここは『死後の世界』というやつらしい。
 フライトに失敗して岩礁に当たった覚えがある。
 
 瞬く間に後悔が先立つも、面前のそいつが動いた。
 地団駄を踏み出し、発言の節々に苛立ちを混じえる。

「しかし何の因果か、事情が変わった。本来であれば現区間の死者は八名だが、一名多く訪れておる。どこぞの誰かが”運命”を書き換え、何者かを殺してみせたらしい。くだらない復讐心であろう。忌々しいことながら、莫大なデータ量から被害者ならびに加害者は特定に至れなかった」

 現実離れした妄言が右から左に流れる。
 言っている意味も意図も、まるで理解できない。
 ただ一つ、俺の命が握られていることはわかった。

「たかが一人、されど一人だ。全ての生命は端から端まで運命に定められている。常に一部の狂いもなく、比率を合わせなばならん。これがまた問題となる。貴様らは輝かしき命を無下に散らした愚者だ。九人から一人に絞って生き返らせて調整するなど、選ぶに選べぬ馬鹿ばかり」 

 一転して今度は、舌先に悪意を絡めた。
 愉快で楽しげな様子に不愉快になっていく。
 
「そこで気づいたのだ、選べないのなら選ばせればいいと。結果――まるごと孤島に閉じ込め、対象者で殺し合わせることにした。貴様らは死者の中でも特に笑える最期を迎えた奴らだ。きっと面白くなる。そうして残った人物にこそ、命を尊重した証として生き返らせればいい」
 
「ふざけるな」

 口を挟まずにはいられなかった。
 黙って聞いてれば、デスゲームをさせる気らしい。
 椅子に括られたまま、のっぺらぼうを睨む形になる。
  
「お前の勝手な都合で、そんなことができるわけないだろ。人を馬鹿にしてんのか」

 対して彼は即答せずに、もったいつけた。
 のっぺらぼうな顔つきで、ただ凝視してくる。
 刻一刻とすぎる空白の時、やつが顔を伸ばした。

「貴様は人生を捨てる覚悟がなかった、半端者の夢追い人だ。なぜ人体のみで空を越えるという大望がありながら、学校になど通った。一日の過半数を無駄に捨てた。本当に叶うべき夢があるのなら、それだけに注力すべきだ。寝る間も惜しみ、なりふり構わずに我を通すべきだ。結局何も得ず、何も叶えずに、ただ死んだじゃないか――違うか?」

 今度は俺が閉口する番だった。
 脳天をハンマーでぶん殴られた気分だ。
 反論したくとも言葉がでず、無言で唇を噛む。

「なぁソラよ、このまま終わっていいのか。やり直しを望む心でさえも海に沈んだか」

 胸の奥底で何かがくすぶり始めるのを感じる。
 命がけだったけど、別に死にたいわけではない。

「違うだろう、貴様はまだ心の底で要因を探っている。次なる機会、改善策を練っている。なればこそ、立ち上がれ。他者を蹴落としてでも、自己を叶えろ。自分はここで終わるべき人間でないと証明してみせるのだ」

 俺だってもし生きてられるなら、どんな形でも生きていたいさ。
 最後まで父さんに謝れず、母さんにも会えなかったのだから。
 喉元にまで何かせり上がるが、押し込んで首を横にした。

「――嫌だね」
 
 俺が空を目指したのは母さんに会い、連れて帰るためだ。
 その時、母に会えなくなるような人間になるつもりはない。
 間違えたと後悔して、足元ばかり見ていた過去が脳裏をよぎる。

「殺し合いなんかしない、みんなで生き残れる道を探す。お前の思い通りになるつもりはないぞ。それでもいいなら連れていけ。出し抜かれるのが怖ければ、この場で消してみろ」

 言ってやった。迷いはしたが、俺なりの結論だ。
 どうせ一度は捨てた命、やるだけやってやる。

 椅子に縛られた格好で意気込んだ俺に、彼は呆けた。
 止まったように沈黙するも、ふらふらと左右に揺れる。

「くくく……面白い、そうきたか。さすがだな、何とも頑固で馬鹿正直なやつよ」

 一応、話がまとまったらしい。
 簡素な一言で、両手が真下に向けられる。

「いいだろう、好きに暴れてこい」

 立ち所に、ぽっかりと陥没穴が空く。
 椅子ごと斜めに傾き、あごが上を向いた。

「急げ、ゲームはもう始まっているのだ。マンボウみたいにぽんぽん死んで、精々笑わせてくれよ」

 相変わらずの中傷っぷりだけど、僅かな激励も感じた。
 その後も何か話していた言葉は下降中の風音に消される。
 
 縛られた身体では受け身すら取れず、なすがまま。
 奈落の世界に吸い込まれ、背中がスーッと寒くなる。
 前髪が逆立ち、横に流れた視界はそれを写してみせた。

「――すげ」
 
 孤島だ、大海原に四つの島々が浮かんでいる。
 上ではない、真下に青空が広がっている状況だ。

「おぉぉぉぉ!」

 向かい風が心地よく、湧き出た汗は蒸発していく。
 思わず身を委ねたくなるも、間髪入れずに落下衝撃。

 そのまま頭を打ちつけ、ぐきっと首が曲がった。
 木っ端微塵になった椅子から投げ出され、転がる。

 冷たい地面にうつ伏せとなって、ぴくりとも動けない。
 吐き出した息が顔にかかり、感覚が遠のくを感じる。
 瞑目する寸前、鬱蒼と浮かぶ赤色の文字が見えた。
  
 ――99
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