1章07話 進む道

文字数 2,827文字

 追い風が吹いている。
 背に張りつく熱が風で蒸発する。

 勢いに押され、自然と身体は進みでた。
 後ろは崖だから気をつけろと言わんばかりだ。
 
 ただし、前は前で刀を携えたテンがいる。
 じりじりと距離を詰められ、また後退した。
 踵が宙に沈むのを感じて、俺は口火を切った。

「一応確認しておくが、どうしてもやる気か。脱出する気はないのか」
 
 返事など期待していない、時間稼ぎを狙っている。
 一方でどうすべきか考えた瞬間、テンは顔を上げた。
 にじり寄る足を止め、長い黒髪は胸元に垂れる。 

「この世界での一日は現世での一日」

 あまりにも一瞬で、誰の発言かわからなかった。
 色素の薄い唇は閉じたままだったようにも思える。
 淡々と流れる無感情な声は、小声ながらよく響いた。

「脱出、大いに結構。やり合わずに済むのなら、それに越したことはなかろう。しかしどれだけの時を要する。三日か、一週間か、はたまた一ヶ月か。その間、運営が邪魔してこない保証は? 裏切り者が出やしないか? そこまでの苦悩を経て、もし脱せられなければどうする?」

 一歩ずつ、一歩ずつテンが接近をしてくる。
 眉間のしわは色濃くなり、大口から歯が覗いた。

「馬鹿馬鹿しい、オレには時間がないんだ。父が、友が待っている。臆病者は絵空事を抱いて逝け」

 突如、テンが足を振り上げた。
 砂埃とともに無数の小石が飛んでくる。

 とっさに身をよじるも、視界から彼が消えた。
 右、左、前と目が行き来して、真下に行きつく。

 テンは小さく身を縮め、足元にしゃがみ込んでいた。
 深く閉ざされた双眼と目が合い、刀を突き出される。

 ――ズッ
 
 切っ先は頬に触れ、肉ごと持っていかれた。
 大急ぎに距離をとっては、荒らげた息を整える。
 頬から流れる血液は俺のシャツを赤く染めていく。

「慣れているなぁ、人を傷つけることに」

 返り血をものともせずに佇む姿はまさしく肉食動物。
 しかし表情は気高きそれでなく、つり上がった笑顔だ。

「だったら、まずニタニタ笑うのをやめろ」

 頬を抑えながら返した言葉に、テンが反応した。
 楽しげな笑みは波引くような真顔に変わる。
 明らかに空気が変わるも、止められない。

「さっきから黙って聞いてれば、弱音ばっかり言いやがって。本当に協力する気あるなら、なぜ解決に向けて行動に移さない。受け身だけで文句をいう。結局お前は他の連中がどうなろうと興味はなく、自分が誰よりも強いことを証明したいだけだろ。もっともらしい理由を後ずけするな」

 そう言い切った途端、テンが動きだした。
 むき出しの刀を光らせながら向かってくる。

 対して俺もテンと向かい合う形で走った。
 ぐんぐん肉薄し、手の届く位置にまで近づく。
 が、交差の一瞬にひらりと避けて通り過ぎた。

 テンが振り返り、追いかけようとして足を止めた。
 そのまま逃げるのではなく、向かってきたからだろう。

「ほぅ」
 
 後方を一瞥した後、身体の向きを変えてくる。
 崖に蹴り落とされぬようにしたのかもしれない。
  
 残念、外れだ。俺の狙いはそんな低次元ではない。
 勝手に踊るテンを無視して、更にスピードを上げる。
 崖先へと迫りゆき、腰を落として膝は折り曲げ――。

「飛んだ?」

 飛び上がった。
 テンの呆けを置き去りにして浮上する。

「馬鹿が、届くわけがなかろう!」

 崖上でテンが一人、喚いている。
 実際かなり厳しい、届くわけはない。
 
『前に落ちて死んでいるから飛び降りて海を渡るのは現実的じゃない』

 落ちることを考え、失敗に躊躇した。テン、お前と同じようにな。
 別に責めはしないさ、それが普通で俺が異常な自覚はある。
 だけど後悔したくないから、めげずに何度でも挑むのだ。

 ――ドボンッ
 
 結局縦には伸びても横に伸びず、あえなく落下した。
 それでも死んではいない。今度は生き延びた。
 岩礁も渦潮もなく、平坦な海に落ちている。

「ぷはっ」

 速攻で浮き上がり、クロールで海を泳いだ。
 疲労と損傷でまともに泳げないけど、関係ない。

 テンは追いかけなかった、崖先で棒立ちしている。
 その後もしばらく俺を睨み、森に帰っていった。
 目も見えぬ状態で海を泳ぐのは流石に無理か。

「やれやれ……」

 ようやく訪れる束の間の静寂、危機は去ったのだ。
 どっと力が抜けていくも、海中では体温が下がる。

 水泳を再開して、対面の岩肌を目指した。
 十メートルくらいゆえ、全然登れる範囲だ。
 地層のように凸凹しているから足場も問題なし。

「ほっ」

 慣れたものだ、崖登りはフライトで飽くほどやっている。
 そう油断していた。頂上に近づくにつれ、気が緩んだ。 

 片手で掴んだ突起がばらばらになって崩れる。
 上にいくほど雨か何かで脆くなっていたらしい。

「うわ!」

 支えを失った身体が崖から離れる。
 右手を差し出したまま、背中は海面を向いた。
 あの時と同じだ。空に近づきすぎた俺は真っ逆――。

「大丈夫?」

 落ちなかった。恐る恐るに目を向ければ、掴まれている。
 崖端から覗き込む人物は同い年ぐらいの女の子だった。

 涼しげな目元に鼻筋は薄くて、艶のある髪の毛をしている。
 頭にヘッドフォン、首にマフラー、ライフルを肩がけと装備が多い。

「いくよ」

 音圧のあるイリスや甲高い鳩ぽっぽとも違う、澄んだ声だ。
 端的な宣言とともに引っ張られ、崖上に登り詰める。
 俺は止めていた息を長々と吐きだし、礼を告げた。

「た、助かった、ありがとう」

 まだ心臓がバクバクとしている。本当に死ぬかと思った。
 彼女のことは面識にないが、心当たりならあった。
 イリスの発言で度々でてきた人物に違いない。
 
「君がアメリア?」

 彼女ことアメリアは返答代わりにこくりと頷いた。
 猫が好きなのか、胸元には猫のワンポイントがある。

「よく先回りできたな。俺とイリスがツリーハウスで話していた時、外で待っていたんだろ」

 疑問は尽きず、続けて問いかけた。
 アメリアが左方を指差し、簡潔に答える。

「銃で応戦したけど、全然当たらなかったからすぐ逃げた。あとは向こうに木橋があったからそれで渡ってきた」

「まじか」

 早速目を向けるも、橋らしきものはない。
 地平線の先で昇りきった太陽だけが覗ける。

「なくね?」

「ソラが崖から飛んだ時点で切り落としたよ。凄い飛距離だったね。本当に飛び越えるかと思った。でも、飛ぶ前にもっと周りを見てほしかった、手振ってたのに全然気づいてくれないし」

「うっ」
 
 称賛と同時に痛いところを突かれ、小さく呻く。
 お喋りなイリスと違い、必要最低限を話す。
 淡々と無感情で、押せば引くような口ぶりだ。

「行こ、のんびりしている暇なんてないから」

 かつ、人使いは荒い。
 俺の息が整ったのを見るなり、すたすた歩きだす。
 確かに立ち止まっている時間なんてないのだけれど。

「わかったよ、行こう」

 俺は歩く、まだ見ぬ地――エリアBなる島へと。
 濡れた身体も乾かぬまま、点々と地面に水滴を残して。
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