第3話 スパイサー王 西暦525年
文字数 3,929文字
グレートブリテン島 Great Britain Island
スパイサー城 Spicer Castle
戦の恐怖を紛 らわす為か、昨夜のスパイサーは酒に溺 れ、泥酔 し、今朝は昼になっても起きてくる気配さえない有り様であった。
寝室の外では、洗顔、着替えを手伝う従者が、何時現れるであろう予測もつかない王の為に、朝早くから廊下で待機 を続けていた。
そこに宰相 セラヌが登場する。
「なんとこの有り様か!?」
セラヌは絶句し、指でこめかみを押さえるポーズを見せる。
「お前たちは何故、王を起こさぬ?」
従者たちに尋ねる。
「何時ものように扉をノックして、入室の許可を乞うのですが、『まだ眠い。起こすな!』と王が申されますので… お起きになるまでここでお待ちしています」
若い従者が神妙 な面持 ちで答えた。
「左様か!?」
セラヌはそう言うとノックもせずに、一人、王の寝室に入っていった。
セラヌを止める者など誰もいない。
城内のすべてを仕切るセラヌを畏 れぬ者は、スパイサー城には居ないのである。
柔らかな毛布をすっぽりと頭からかぶり、何時までも眠り続けるスパイサー王。王の寝台に近寄り、宰相セラヌが声をかける。
「王よ。お起き下さいませ。本日の昼食にと、キッチンテーブルの上には、王の大好きな食材が所狭しと並べてありましたよ。既に陽は高く昇り、昼食の時間となっております」
毛布にくるまったスパイサーの身体が、ピクリと反応する。
「お着替えを済まされ、共に食堂へと参りましょう。程よく焼かれた鶉 の香ばしいかおり。オリーブオイル、生ハム、チーズと瑞々しい野菜を贅沢に使ったサラダなど、今日も豪華な昼食です。暖められた、トリュフと玉葱のスープの香りが、鼻腔 にひろがり、食欲をそそります。焼きたてのパンにのせる、王の大好きな生クリームもたっぷりと用意をしています」
セラヌは食に卑しいスパイサーの胃袋に畳みかけるように話す。
「セラヌよ。旨そうではある。しかし余 は、まだ毛布にくるまっていたいのだ」
スパイサーが気怠 げな様子で応 える。
「お疲れのご様子、察し致します。昨日の王のご活躍を思えば、王が昼になってもお起きになれないのは当然の事。私が御労 りせねばと考え、参上しました。ここに、我が一族に伝わる秘密の丸薬 を用意しています。この青い丸薬は肝 の働きを促進させ、酒や毒の浄化に効果を発揮いたします。こちらの黒い丸薬は胃腸の動きを活発にし、再び生き生きとした食欲を取り戻す事に役立つでしょう。そして赤い丸薬、性の疲れを回復する秘薬。更に緑の丸薬を飲めば、王の塞 いだ気持ちなど立ちどころに晴れ、心は爽やかな明るさに包まれることでしょう。青、黒、赤、緑、すべての丸薬を水と一緒にお飲みください。程なく、王の疲れは全て汗となり体から流れ出でまいります。これらの調合 による効果は私が保証いたしますれば…」
スパイサーがゆっくりと毛布を払い除 け、寝台の上に座す。
「良薬は口に苦けれども病 に利あり。にございます」
セラヌは丸薬と水をスパイサー王に手渡す。
色とりどりの丸薬を多めの水とともに一気に飲み干したスパイサー国王。あまりの苦さに、王の表情はみるみると青ざめてゆく。
「セラヌよ瓶 を持て!! 耐えきれぬ!!」
「スパイサー様。一時 の辛抱 です。立ち上がり前を向かれ、ゆっくりと鼻で呼吸をなさいませ!」
スパイサーは言われた通りに、「スピー、スピー」と鼻の呼吸を続けた。
「スパイサー様。もうじき滝のような汗が出てまいります。そしてお身体がスッキリと成されるのです!」
「ええい。セラヌよ。嘘を申せば許さぬぞ!!」
「嘘などは申しません。ほら、額 から汗がにじみ出てまいりました。お顔全体からも、汗が噴き出して来ております。如何です!?」
セラヌの言う通り、スパイサーの汗腺 という汗腺から、一斉 に汗が流れ出る。
「セラヌよ。これは凄い! 口の苦みも消え、気分も上々だ!気怠 かったこのからだが、なんと爽快に変化した事か!?」
「我が一族に伝わる秘伝の丸薬、その効果をお認め下さいますか?」
「見事である。ぬしには何か褒美 を取らせる」
「お言葉に甘えまして。それではスパイサー様。ゆっくりと昼食を済ませてからで結構です。ほんの少しのお時間、中庭 に集まり来られた人々に、王のお姿をお見せ下さい」
「よしよし。昨日からの約束だからのう」
「恐れ入ります」
そう言って、王に深々とお辞儀 をしたセラヌは、扉の前で控える従者達を寝室に招き入れる。従者達は手際の良い動きで、汗に濡れたスパイサーの寝間着姿を、見事な王装束へと変貌させた。
その後、二人は食堂へと移動。
「もうこれ以上は食べられない!!」
セラヌは、その言葉を待って、中庭に面する二階のテラスへと、スパイサーを連れ出した。
頭に王冠を戴き、マントを羽織った堂々とした風貌 で国王が中庭に現れる。庭に集まる諸公貴族、臣下 、兵士、民衆から一斉に大きな歓声が沸き上がる。口々に賛辞 の言葉を述べ喝采する人々。その様子にすっかり気分を良くしたスパイサーは、温和な表情を見せ人々に手を振り返す。
「こ度の戦勝で、国王のご威光は不動のものとなりましょう」
スパイサーの耳元でセラヌが囁 く。
「むう。良き日かな。余も頑張った甲斐 があったと言うもの。これからも民の為を思い、更に良き国を造り行くぞい!」
自己中心的な思考と行動で常に国民を苦しめてきたスパイサーが、珍しく高尚 な発言をするもので、周囲に居る臣下、兵士は皆一斉に瞬きを繰り返すなど、戸惑いの表情を隠せないでいた。
その中で唯一 セラヌだけは、静かに微笑みを浮かべている。
スパイサーの心に芽生えた小さな慈愛 の心など、快楽と欲望の前では、いとも簡単に消し飛んでしまう。その事を知っているからである。
「ご報告があります」
セラヌが国王の耳元に告げる。
「なんじゃ?」
「昨夜、手の者が、バッジョを捕らえました」
「おおっ。そうか。それはご苦労であった。ふふふっ。これで今宵 は憂 いなく遊べる。おおっ。可愛いおなごも沢山来てるではないか! 皆懸命に手を振りおる!」
やはりこの程度の人物なのである。
宰相セラヌは嬉しそうに王を見詰め話し続ける。
「今朝、目覚めたバッジョの咽喉 を毒で焼き付けております」
「ほおーっ。それではもう喋 れぬと言う訳だな!」
「はい。よだれを垂れ流すのみの有り様にございます」
「ほーおっ!」
「王のお許しが得られれば、これよりバッジョを中庭に引き出したいと考えております」
「今、ここにか?」
「はい」
「せっかくの良いところではないか!? 皆が余の為に歓声を上げ、大勢手を振ってくれているのだ!!」
「理解しています。それ故 今ここに、奴を引き出してくる必要があるのです」
「何の為にだ?」
スパイサーが宰相セラヌに尋ねる。
「王に逆らい、手痛く打ち負かされたバッジョをここに引き出すことで、更に民 の心は興奮に震えます。アーテリーやバッジョのカリスマ性を消し去る事で、民は王を、自らの拠所 と信頼を強めるのです。王への尊敬の念、そして忠誠の心を確かなものとする為の大事な演出。私には良い案があります」
「尊敬と忠誠とな?」
「はい。バッジョをここに引き出し。民の前で、奴の罪状を声高らかに読み上げます。その上で、『過ちを悟り謝罪し、涙を流し慈悲を乞うている姿は哀れである。二度はないが、命のみは助ける』そう王に宣言をしていただきたいのです」
「ああーん。余はあの黒眼帯など赦 す気持ちはないぞ」
「勿論でございます。それは私が秘密裏 に始末いたしますゆえ」
「気が進まぬ。もう二度とあの黒眼帯の顔など見たくもない。そう思うておる余の気持ちが、お前には分らんのか⁉」
スパイサーは、折角 の楽しい時に、己の心を曇らせるセラヌを叱り付ける。
「スパイサー様。それでも尚、お願いをしなければならない宰相というお役目、これ程辛い役目も他には御座いますまい!」
セラヌもそう言って譲らない。
「儂は嫌じゃ。それより見てみよ!! あの美しい乙女達を… セラヌよ、あの女子達 の事をよく調べておけ。良いな!? しかと申し付けたぞ」
(また始まった。セラヌ様も、王には手を焼かされる)
二人のやり取りを側で聞く臣下達の心の呟きが、耳に聞こえて来るようであった。
口には出さぬが、城内で働く者は皆、スパイサーの怠惰 な性格に辟易 していた。それ故宰相の苦労にも、皆の同情が集まって来ているのだ。
「王よ。私の願いを聞いて下さるのなら、今宵 はあの女子達も招待して、多くの乙女と王だけの、豪華な戦勝パーティを準備いたしますが如何でしょう?」
セラヌが一つの提案をする。
「あの女子達を誘っての戦勝パーティとな…… ふむう!!」
「王の大好きな目隠しゲームも企画いたしますが!?」
「ふむう!!」
「貸衣装屋に命じて、たくさんのドレスを用意させましょう。王の好みの服装で乙女がパーティーに参加をする。王のお得意のダンスも披露されては如何ですか?」
セラヌは幼稚な王の脳に訴え掛ける。
「ふうーっ!」
スパイサーは随分悩んでいる様子で溜息を吐く。
「さぞや、楽しい時間となりましょう!」
セラヌが王の耳元で囁いた。
「ふむう。止むを得ぬ。しかし、しかしだ。バッジョからは絶対に儂の姿が見えぬよう工夫をせよ! 万が一、奴と眼でも合おうものなら、例え宰相といえども決して許さぬからな。その積りでいよ!」
「ははあっ。ありがたき幸せに存じます。王のお言葉、しかと胸に刻みました。万事はこのセラヌにお任せ下さい」
国王に慇懃 な態度で礼を述べ、セラヌはその場を退席する。
スパイサー城の中庭では、絶え間ない人々歓声が響き続けていた。
スパイサー城 Spicer Castle
戦の恐怖を
寝室の外では、洗顔、着替えを手伝う従者が、何時現れるであろう予測もつかない王の為に、朝早くから廊下で
そこに
「なんとこの有り様か!?」
セラヌは絶句し、指でこめかみを押さえるポーズを見せる。
「お前たちは何故、王を起こさぬ?」
従者たちに尋ねる。
「何時ものように扉をノックして、入室の許可を乞うのですが、『まだ眠い。起こすな!』と王が申されますので… お起きになるまでここでお待ちしています」
若い従者が
「左様か!?」
セラヌはそう言うとノックもせずに、一人、王の寝室に入っていった。
セラヌを止める者など誰もいない。
城内のすべてを仕切るセラヌを
柔らかな毛布をすっぽりと頭からかぶり、何時までも眠り続けるスパイサー王。王の寝台に近寄り、宰相セラヌが声をかける。
「王よ。お起き下さいませ。本日の昼食にと、キッチンテーブルの上には、王の大好きな食材が所狭しと並べてありましたよ。既に陽は高く昇り、昼食の時間となっております」
毛布にくるまったスパイサーの身体が、ピクリと反応する。
「お着替えを済まされ、共に食堂へと参りましょう。程よく焼かれた
セラヌは食に卑しいスパイサーの胃袋に畳みかけるように話す。
「セラヌよ。旨そうではある。しかし
スパイサーが
「お疲れのご様子、察し致します。昨日の王のご活躍を思えば、王が昼になってもお起きになれないのは当然の事。私が
スパイサーがゆっくりと毛布を払い
「良薬は口に苦けれども
セラヌは丸薬と水をスパイサー王に手渡す。
色とりどりの丸薬を多めの水とともに一気に飲み干したスパイサー国王。あまりの苦さに、王の表情はみるみると青ざめてゆく。
「セラヌよ
「スパイサー様。
スパイサーは言われた通りに、「スピー、スピー」と鼻の呼吸を続けた。
「スパイサー様。もうじき滝のような汗が出てまいります。そしてお身体がスッキリと成されるのです!」
「ええい。セラヌよ。嘘を申せば許さぬぞ!!」
「嘘などは申しません。ほら、
セラヌの言う通り、スパイサーの
「セラヌよ。これは凄い! 口の苦みも消え、気分も上々だ!
「我が一族に伝わる秘伝の丸薬、その効果をお認め下さいますか?」
「見事である。ぬしには何か
「お言葉に甘えまして。それではスパイサー様。ゆっくりと昼食を済ませてからで結構です。ほんの少しのお時間、
「よしよし。昨日からの約束だからのう」
「恐れ入ります」
そう言って、王に深々とお
その後、二人は食堂へと移動。
「もうこれ以上は食べられない!!」
セラヌは、その言葉を待って、中庭に面する二階のテラスへと、スパイサーを連れ出した。
頭に王冠を戴き、マントを羽織った堂々とした
「こ度の戦勝で、国王のご威光は不動のものとなりましょう」
スパイサーの耳元でセラヌが
「むう。良き日かな。余も頑張った
自己中心的な思考と行動で常に国民を苦しめてきたスパイサーが、珍しく
その中で
スパイサーの心に芽生えた小さな
「ご報告があります」
セラヌが国王の耳元に告げる。
「なんじゃ?」
「昨夜、手の者が、バッジョを捕らえました」
「おおっ。そうか。それはご苦労であった。ふふふっ。これで
やはりこの程度の人物なのである。
宰相セラヌは嬉しそうに王を見詰め話し続ける。
「今朝、目覚めたバッジョの
「ほおーっ。それではもう
「はい。よだれを垂れ流すのみの有り様にございます」
「ほーおっ!」
「王のお許しが得られれば、これよりバッジョを中庭に引き出したいと考えております」
「今、ここにか?」
「はい」
「せっかくの良いところではないか!? 皆が余の為に歓声を上げ、大勢手を振ってくれているのだ!!」
「理解しています。それ
「何の為にだ?」
スパイサーが宰相セラヌに尋ねる。
「王に逆らい、手痛く打ち負かされたバッジョをここに引き出すことで、更に
「尊敬と忠誠とな?」
「はい。バッジョをここに引き出し。民の前で、奴の罪状を声高らかに読み上げます。その上で、『過ちを悟り謝罪し、涙を流し慈悲を乞うている姿は哀れである。二度はないが、命のみは助ける』そう王に宣言をしていただきたいのです」
「ああーん。余はあの黒眼帯など
「勿論でございます。それは私が
「気が進まぬ。もう二度とあの黒眼帯の顔など見たくもない。そう思うておる余の気持ちが、お前には分らんのか⁉」
スパイサーは、
「スパイサー様。それでも尚、お願いをしなければならない宰相というお役目、これ程辛い役目も他には御座いますまい!」
セラヌもそう言って譲らない。
「儂は嫌じゃ。それより見てみよ!! あの美しい乙女達を… セラヌよ、あの
(また始まった。セラヌ様も、王には手を焼かされる)
二人のやり取りを側で聞く臣下達の心の呟きが、耳に聞こえて来るようであった。
口には出さぬが、城内で働く者は皆、スパイサーの
「王よ。私の願いを聞いて下さるのなら、
セラヌが一つの提案をする。
「あの女子達を誘っての戦勝パーティとな…… ふむう!!」
「王の大好きな目隠しゲームも企画いたしますが!?」
「ふむう!!」
「貸衣装屋に命じて、たくさんのドレスを用意させましょう。王の好みの服装で乙女がパーティーに参加をする。王のお得意のダンスも披露されては如何ですか?」
セラヌは幼稚な王の脳に訴え掛ける。
「ふうーっ!」
スパイサーは随分悩んでいる様子で溜息を吐く。
「さぞや、楽しい時間となりましょう!」
セラヌが王の耳元で囁いた。
「ふむう。止むを得ぬ。しかし、しかしだ。バッジョからは絶対に儂の姿が見えぬよう工夫をせよ! 万が一、奴と眼でも合おうものなら、例え宰相といえども決して許さぬからな。その積りでいよ!」
「ははあっ。ありがたき幸せに存じます。王のお言葉、しかと胸に刻みました。万事はこのセラヌにお任せ下さい」
国王に
スパイサー城の中庭では、絶え間ない人々歓声が響き続けていた。