第15話 ヴェルキンゲトリクス 紀元前52年
文字数 5,074文字
ガリア・オーヴェルニュ地方 ジェルゴヴィア
ソフィーとパトリシアは寝室のベットから飛び降り、大急ぎで明かりの灯る居間へと飛び込んだ。
「ヴェルキンゲトリクス!!」
二人は、自宅に訪れたヴェルキンゲトリクスに飛びついて行く。
「何時もこれだ。ヴェルキンゲトリクスの魅力の前には、兄でさえ存在価値を失う」
幼い姉妹の兄であるヴェルカツシベラヌスが、戯 けた調子で、共に来ていた双子のセラヌリウスに同情を求める。
双子のセラヌリウスは、ヴェルカツシベラヌスの隣で静かに微笑んでいた。
「ねえ、ヴェルキンゲトリクス。ローマ兵は、この街にも遣 って来るの?」
幼いソフィーが、真剣な面持 ちをして尋ねる。
私も、母も、突然の来客に持て成しの用意をしていた叔母達も皆が、一斉にヴェルキンゲトリクスの口元に視線を向ける。
「その通りだ。ローマ軍は二日後にジェルゴヴィアの街に遣って来る。彼等は既にアリエ川を渡河 したのだ」
ヴェルキンゲトリクスが、遥か遠くを見詰めるような眼差しをして答えた。
私達は一瞬息を飲み込む。
料理を手にした叔母の脚が、がくがくと震えていた。
「私、恐くないよ!」
不安と恐怖に飲み込まれ、先程まで毛布に潜り込んでいたソフィーが、ヴェルキンゲトリクスに向い声を上げた。
ヴェルキンゲトリクスは、幼いソフィーに微笑みを向ける。
「その通りだとも、何も心配は要らない。君達の事は僕が守るのだから」
ヴェルキンゲトリクスは、はっきりとした口調で応えた。
「パトリシアはどう? 君は不安に心を曇らせてはいないかな?」
アヴァリクスの街がローマ軍に攻め落とされ、街に住む人々が、無惨にも尽 く殺されたのだと… その話を聞いた時から、私の心は朝も昼も夜も常に不安と恐怖で満たされていた。
恐ろしい姿をしたローマ兵が家のドアを蹴り壊し、優しい母を、そしてソフィーと私を、鈍い光を放つ剣で次々と刺し殺す。その想像に悩まされ、恐ろしくて自分がどうにかなりそうになるのである。
そして今も、ヴェルキンゲトリクスが側に居てくれている今でさえも、迫り来るローマ軍の事を想像すると恐怖が込み上げて来るのだ。
だけどそうは言えなかった。
「少し恐い。だけど大丈夫。ヴェルキンゲトリクスが守ってくれるんだから」
私は必死に恐怖を飲み込んだ。
「よし二人とも椅子に腰掛けて。僕の話を聞くんだ!」
私達はヴェルキンゲトリクスの大きな腕の中から床に降ろされる。
「姉さんも、皆も、テーブルに着いて僕の話を聞いて下さい」
ヴェルキンゲトリクスは、私達を自分の周りに手招いた。
ヴェルカツシベラヌス兄さんや、二人のセラヌリウスは立ったまま、叔母から渡されたぶどう酒を飲んでいた。
最後にヴェルキンゲトリクスの座る席の前にぶどう酒が運ばれ、叔母が席に着くと、ぶどう酒を一口、口に含んでからヴェルキンゲトリクスは話を始めた。
「ローマ人が、自由の地ガリアに侵攻を始めて今年で七年になる。ローマと言う国は、カルタゴを滅ぼし、マケドニアを属州支配するのみでは飽き足らず、ヒスパニア、シリアにも攻め込み支配地域を拡大させてきた。彼等の欲はどどまる所を知らず、今度は、我等ガリアの征服を望み、大部隊を引き連れ攻め込んで来ているのだ」
「どうしてローマ軍は強いの? ローマ兵は弱いんじゃなかったの!? 身体もガリア兵より小さいのに…」
ソフィーが声をあげる。
幼いソフィーには、私達ガリア人よりも肉体的に見劣りする小さな身体のローマ兵が、どうしてガリアの戦士よりも強いのか不思議なのだ。
それは私もそう。
はじめ、ガリアの民は皆、カエサル率いるローマ軍を軽く見ていた。ローマ人が戦を仕掛けて来た所で、ローマ兵などいか程の者かと嘲 る大人も多かったのだ。
ガリア人がローマ人を自分達より弱い民族と見下す背景には、遠い昔の記憶が係わっているのだが… それは、三百年も昔に、ガリアの先祖が今の状況とは逆に、アルペン山脈を越えて都市ローマに雪崩れ込みローマを征圧した。その時ローマ軍は、勇猛なガリア戦士の前に呆気無く敗れ。都市ローマは城門さえ無防備に開けられたままの姿で、ガリア兵士に蹂躙 し尽 くされたのである。その時ローマ人は、屈辱と民族の不名誉を自らの武力で奪回する事も出来ずに、三百キログラムの金塊をガリア人に差出し、許しを乞い、ガリア軍にローマから去ってもらった。ローマ人の惨めな敗北のニュースは大陸を駆け抜け、多く人々の知る所となる。以後、ガリア人のみならず他の多くの民族も、ローマ兵を弱く見るようになったのだ。
「今はもう過去の記憶は忘れ去らなければならない」
ヴェルキンゲトリクスは、テーブルを囲む私達の顔を見ながら答えた。
私は一瞬、心の中を読まれたかと思いドキリとする。
「身体の大小等の偏見も総てをだ。今、我等を襲い来るローマ軍は、訓練と実戦を重ねた強い戦闘集団なのだから」
そう言い放つと、ヴェルキンゲトリクスはグラスに注がれたワインを全て飲み干してみせる。
私達は静かにヴェルキンゲトリクスを見つめていた。
「我等ガリアの民はゲルマン戦士の武勇を恐れても、身体の小さなローマ人を恐れる者は誰一人もいなかった。しかしローマ軍と戦い、彼等の戦術の見事さを目の前にして、今やローマ軍を嘲る者は誰もいなくなった。侮 ってはいけない。しかし敵を過大に評価しすぎてもいけない。ローマ軍が勝利を続けているのは、戦士の勇猛さや兵士の戦闘能力の高さが我等に勝っているからではない。それは我等が知らない戦術と攻城法によるものなのだ。飲み水を求めた時、我等は泉に行って新鮮な水を汲んでくるだろう。しかしローマ人は、川から続く水の路を造り、家にいながらして何時でも水にありつく事を考え行う。さらに我等は川や湖で身体を洗い浄めるが、ローマ人は大きな水槽をこしらえ、そこに水を引き入れ身体を浄める。彼等は全てにおいてこのように考え工夫し、何かを造り出す民族なのだ」
「大きな水槽ってなあに」
ソフィーが尋ねる。
「大きな石を切り出し組み合わせ、その中に水を入れ何人もの人間が身体を洗うようだ」
兄、ヴェルカツシベラヌスが答える。
「ええっ、汚い。水の神聖さも失われるわ」
私は思わず声をあげる。
「そう、総ては自然にあり。我等はそれに唯従えば良いのに、彼等はそうは考えないのだ」
それ迄、一度も口を開いた事がなかった双子のセラヌリウスが、物静かな口調で私達の会話に入って来た。
「しかし戦の上では学ぶ事が沢山あるのも事実だ。彼等には、たった一日で大きな川に橋を架け、全軍団を対岸に渡す技術もあるのだ」
ヴェルキンゲトリクスは溜め息を吐いた。
「一日で川に橋を架けるですって?」
叔母が驚いた声を上げる。
「本当なんだ。僕らはローマ軍がこの地にやって来られないように、エラウェル川の全ての橋を破壊した。そうしてカエサルの軍勢の対岸に布陣 し、ローマ軍の渡河を妨 げていた。しかし隠れていたローマの工兵部隊が、あっという間に橋を造り直し、奴等は河を渡りはじめた…」
入り口の近くに立っていた兄のヴェルカツシベラヌスが、皆に直に見てきた事を伝える。
更にヴェルカツシベラヌスはアヴァリクスの街の話を始めた。
「我々が… アヴァリクスの街がローマ軍に利用されないように、事前に焼き払う事を求めたのは知っているだろう。只これは、街に住むピトリゲス族の人々の懇願によって行われる事はなかった。我々の言う通りにしてくれていれば、ピトリゲス族の人々も、あのような悲惨な死を迎える事もなかったんだ。更に言えば、この時迄の我々の作戦は成功し、ローマ軍を飢えさせ、彼等を深刻な食料不足に迄追い込んでいたのだから、これは我等にとって二重に悔やむ結果になってしまった」
「ヴェルカツシベラヌス。流れた時が戻る事はないのだ」
隣に居た双子のセラヌリウスがヴェルカツシベラヌスを窘 める。
「ああ、解っている。唯、この時僕は内心、アバリクスの街は天然の要害と防壁が強固で、流石のローマ軍でも街を攻め落とすには長い年月を要するだろうと考えていたんだ。街の正面に陣営を置き、攻城の準備を進めるローマ軍の食料調達や輸送路を封じ込めていた我等が、奴等を更に飢えさせ、ローマ軍を撤退するより仕方ない状況に追い込むのであろうと、固く信じていた。しかし奴等は、アヴァリクスの強固で高い城壁の前に、森のように大きな階段装置を造り、それを利用して、たった半日でアバリクスの街を攻め滅ぼしてしまった。その巨大な仕掛けをどう説明したら皆に理解してもらえるだうか。我々が攻城の為に使用する、城壁に掛ける梯子 なんかを想像しては絶対に理解は出来ない。そんなちっぽけなスケールではない。もっと巨大な、一つの山のように大きい階段装置をアバリクスの城門の前に造ったのだ。その装置があれば、如何なる城壁も、更には切り立った崖さえも乗り越えられるだろう」
ヴェルカツシベラヌスは興奮した口調で話した。
「その通りなのだ」
ヴェルキンゲトリクスが口を開く。
「彼等の河に橋を架ける土木技術。そして大規模な攻城装置を造る建築技術。投矢機や投石機械などの武器製造技術もそうだが… 全てに渡ってそれは、我々が知らなかった彼等特有の技術なのだ。我々ガリア人にとっては未知の技術であったもの。しかし、今後はそれを学び、我等も彼等のように行うのだ。そしてこれは皆に言う。我等がこのように未知の技術に遅れをとっていたとしても、決して落胆してはならない。これまで我々は、部族ごとに別れて戦って来た。『森に住み森で戦え』と言うセラヌリウスの進言もあり、小規模な部隊でも神出鬼没の業で、ローマ軍を、あわや飢えによる全滅寸前に迄、追い込んだではないか。それが今やどうだ、ガリアの各部族は一斉に蜂起し、ガリア全土から続々とジェルゴヴィアに駆け付けて来ている。ローマ軍を迎え撃つガリア軍は、今や、敵の数倍の規模にまで達しているのだ。更にジェルゴヴィアの防壁工事は、ローマ人の技術も取り入れて念入りに行わせている。次に勝利するのは我々の方である」
ヴェルキンゲトリクスの熱い想いが、皆の心を震わせていた。
「ガリア王の言う通りだ! 今度は我々が勝利する番だ! そうだろうセラヌリウス」
ヴェルカツシベラヌスが双子のセラヌリウスの肩を叩く。
二人のセラヌリウスは優しい微笑みを浮べて、兄に頷いている。
「今度こそ、俺様の力をローマ人に見せつけてくれるわ!」
ヴェルカツシベラヌスが自身の厚い胸板を叩いた。その瞬間に飲んでいたワインが咽から気管に入ってしまったのであろうか。ヴェルカツシベラヌスは何度も噎 せ返り、苦しそうに背中を丸めた。
その姿がとても滑稽 で、一緒にいた私達は皆、腹を抱えて笑ってしまっていた。
そして何時しか、私達の心からローマ軍に怯えていた気持ちが消えていった。
「ソフィー。パトリシア。見ていて御覧。数日後に、この街を追われ敗走するローマ軍の姿を御覧に入れよう」
ヴェルキンゲトリクスが、私達の目をみて力強く言い放った。
「さあ、ゆっくりとはして居られないんだ」
そう告げると、ヴェルキンゲトリクスは兄と二人のセラヌリウスを引き連れて去って行った。
帰り際、双子のセラヌリウスが、ドアの前に立つ私達に向かい大きく手を振ってくれた。
『セラヌリウスは不思議な人』
あの二人からは森のような安らぎを感じる。私はセラヌリウスに、懐かしい臭いさえ感じていた…
数日後、街の城壁を挟んで、ガリア軍とローマ軍の戦闘が開始された。
この街を与えられし褒美 と考える獰猛 なローマ兵士が、部隊ごと百人隊長に率いられ、城壁を登り街に雪崩れ込もうと攻め込んで来る。城壁の内側では、ジェルゴヴィアもアバリクスのようになるのだと怯える人々が、城壁から身を乗り出しローマ兵士に媚びを売る姿さえもあったと言う。しかし、ヴェルキンゲトリクス率 いるガリア戦士の勇猛果敢 な戦闘行動が、城壁に登るローマ兵士を次々と突き落とし迎撃 して行く。
この最初の戦いでローマ軍は四十六人の百人隊長を失い、七百人もの兵士を亡くしたと言う。
そして三日後、ヴェルキンゲトリクスが私達に言った通りに、ジェルゴヴィアの街からローマ軍が逃げ去って行った。
ジェルゴヴィアの街の至る所で、勝ち閧 をあげる勇ましいガリア戦士の声が鳴り響いた。この夜は街を挙げての祝宴となり、人々はガリアの王、ヴェルキンゲトリクスを高らかに誉め讃えた。
ソフィーとパトリシアは寝室のベットから飛び降り、大急ぎで明かりの灯る居間へと飛び込んだ。
「ヴェルキンゲトリクス!!」
二人は、自宅に訪れたヴェルキンゲトリクスに飛びついて行く。
「何時もこれだ。ヴェルキンゲトリクスの魅力の前には、兄でさえ存在価値を失う」
幼い姉妹の兄であるヴェルカツシベラヌスが、
双子のセラヌリウスは、ヴェルカツシベラヌスの隣で静かに微笑んでいた。
「ねえ、ヴェルキンゲトリクス。ローマ兵は、この街にも
幼いソフィーが、真剣な
私も、母も、突然の来客に持て成しの用意をしていた叔母達も皆が、一斉にヴェルキンゲトリクスの口元に視線を向ける。
「その通りだ。ローマ軍は二日後にジェルゴヴィアの街に遣って来る。彼等は既にアリエ川を
ヴェルキンゲトリクスが、遥か遠くを見詰めるような眼差しをして答えた。
私達は一瞬息を飲み込む。
料理を手にした叔母の脚が、がくがくと震えていた。
「私、恐くないよ!」
不安と恐怖に飲み込まれ、先程まで毛布に潜り込んでいたソフィーが、ヴェルキンゲトリクスに向い声を上げた。
ヴェルキンゲトリクスは、幼いソフィーに微笑みを向ける。
「その通りだとも、何も心配は要らない。君達の事は僕が守るのだから」
ヴェルキンゲトリクスは、はっきりとした口調で応えた。
「パトリシアはどう? 君は不安に心を曇らせてはいないかな?」
アヴァリクスの街がローマ軍に攻め落とされ、街に住む人々が、無惨にも
恐ろしい姿をしたローマ兵が家のドアを蹴り壊し、優しい母を、そしてソフィーと私を、鈍い光を放つ剣で次々と刺し殺す。その想像に悩まされ、恐ろしくて自分がどうにかなりそうになるのである。
そして今も、ヴェルキンゲトリクスが側に居てくれている今でさえも、迫り来るローマ軍の事を想像すると恐怖が込み上げて来るのだ。
だけどそうは言えなかった。
「少し恐い。だけど大丈夫。ヴェルキンゲトリクスが守ってくれるんだから」
私は必死に恐怖を飲み込んだ。
「よし二人とも椅子に腰掛けて。僕の話を聞くんだ!」
私達はヴェルキンゲトリクスの大きな腕の中から床に降ろされる。
「姉さんも、皆も、テーブルに着いて僕の話を聞いて下さい」
ヴェルキンゲトリクスは、私達を自分の周りに手招いた。
ヴェルカツシベラヌス兄さんや、二人のセラヌリウスは立ったまま、叔母から渡されたぶどう酒を飲んでいた。
最後にヴェルキンゲトリクスの座る席の前にぶどう酒が運ばれ、叔母が席に着くと、ぶどう酒を一口、口に含んでからヴェルキンゲトリクスは話を始めた。
「ローマ人が、自由の地ガリアに侵攻を始めて今年で七年になる。ローマと言う国は、カルタゴを滅ぼし、マケドニアを属州支配するのみでは飽き足らず、ヒスパニア、シリアにも攻め込み支配地域を拡大させてきた。彼等の欲はどどまる所を知らず、今度は、我等ガリアの征服を望み、大部隊を引き連れ攻め込んで来ているのだ」
「どうしてローマ軍は強いの? ローマ兵は弱いんじゃなかったの!? 身体もガリア兵より小さいのに…」
ソフィーが声をあげる。
幼いソフィーには、私達ガリア人よりも肉体的に見劣りする小さな身体のローマ兵が、どうしてガリアの戦士よりも強いのか不思議なのだ。
それは私もそう。
はじめ、ガリアの民は皆、カエサル率いるローマ軍を軽く見ていた。ローマ人が戦を仕掛けて来た所で、ローマ兵などいか程の者かと
ガリア人がローマ人を自分達より弱い民族と見下す背景には、遠い昔の記憶が係わっているのだが… それは、三百年も昔に、ガリアの先祖が今の状況とは逆に、アルペン山脈を越えて都市ローマに雪崩れ込みローマを征圧した。その時ローマ軍は、勇猛なガリア戦士の前に呆気無く敗れ。都市ローマは城門さえ無防備に開けられたままの姿で、ガリア兵士に
「今はもう過去の記憶は忘れ去らなければならない」
ヴェルキンゲトリクスは、テーブルを囲む私達の顔を見ながら答えた。
私は一瞬、心の中を読まれたかと思いドキリとする。
「身体の大小等の偏見も総てをだ。今、我等を襲い来るローマ軍は、訓練と実戦を重ねた強い戦闘集団なのだから」
そう言い放つと、ヴェルキンゲトリクスはグラスに注がれたワインを全て飲み干してみせる。
私達は静かにヴェルキンゲトリクスを見つめていた。
「我等ガリアの民はゲルマン戦士の武勇を恐れても、身体の小さなローマ人を恐れる者は誰一人もいなかった。しかしローマ軍と戦い、彼等の戦術の見事さを目の前にして、今やローマ軍を嘲る者は誰もいなくなった。
「大きな水槽ってなあに」
ソフィーが尋ねる。
「大きな石を切り出し組み合わせ、その中に水を入れ何人もの人間が身体を洗うようだ」
兄、ヴェルカツシベラヌスが答える。
「ええっ、汚い。水の神聖さも失われるわ」
私は思わず声をあげる。
「そう、総ては自然にあり。我等はそれに唯従えば良いのに、彼等はそうは考えないのだ」
それ迄、一度も口を開いた事がなかった双子のセラヌリウスが、物静かな口調で私達の会話に入って来た。
「しかし戦の上では学ぶ事が沢山あるのも事実だ。彼等には、たった一日で大きな川に橋を架け、全軍団を対岸に渡す技術もあるのだ」
ヴェルキンゲトリクスは溜め息を吐いた。
「一日で川に橋を架けるですって?」
叔母が驚いた声を上げる。
「本当なんだ。僕らはローマ軍がこの地にやって来られないように、エラウェル川の全ての橋を破壊した。そうしてカエサルの軍勢の対岸に
入り口の近くに立っていた兄のヴェルカツシベラヌスが、皆に直に見てきた事を伝える。
更にヴェルカツシベラヌスはアヴァリクスの街の話を始めた。
「我々が… アヴァリクスの街がローマ軍に利用されないように、事前に焼き払う事を求めたのは知っているだろう。只これは、街に住むピトリゲス族の人々の懇願によって行われる事はなかった。我々の言う通りにしてくれていれば、ピトリゲス族の人々も、あのような悲惨な死を迎える事もなかったんだ。更に言えば、この時迄の我々の作戦は成功し、ローマ軍を飢えさせ、彼等を深刻な食料不足に迄追い込んでいたのだから、これは我等にとって二重に悔やむ結果になってしまった」
「ヴェルカツシベラヌス。流れた時が戻る事はないのだ」
隣に居た双子のセラヌリウスがヴェルカツシベラヌスを
「ああ、解っている。唯、この時僕は内心、アバリクスの街は天然の要害と防壁が強固で、流石のローマ軍でも街を攻め落とすには長い年月を要するだろうと考えていたんだ。街の正面に陣営を置き、攻城の準備を進めるローマ軍の食料調達や輸送路を封じ込めていた我等が、奴等を更に飢えさせ、ローマ軍を撤退するより仕方ない状況に追い込むのであろうと、固く信じていた。しかし奴等は、アヴァリクスの強固で高い城壁の前に、森のように大きな階段装置を造り、それを利用して、たった半日でアバリクスの街を攻め滅ぼしてしまった。その巨大な仕掛けをどう説明したら皆に理解してもらえるだうか。我々が攻城の為に使用する、城壁に掛ける
ヴェルカツシベラヌスは興奮した口調で話した。
「その通りなのだ」
ヴェルキンゲトリクスが口を開く。
「彼等の河に橋を架ける土木技術。そして大規模な攻城装置を造る建築技術。投矢機や投石機械などの武器製造技術もそうだが… 全てに渡ってそれは、我々が知らなかった彼等特有の技術なのだ。我々ガリア人にとっては未知の技術であったもの。しかし、今後はそれを学び、我等も彼等のように行うのだ。そしてこれは皆に言う。我等がこのように未知の技術に遅れをとっていたとしても、決して落胆してはならない。これまで我々は、部族ごとに別れて戦って来た。『森に住み森で戦え』と言うセラヌリウスの進言もあり、小規模な部隊でも神出鬼没の業で、ローマ軍を、あわや飢えによる全滅寸前に迄、追い込んだではないか。それが今やどうだ、ガリアの各部族は一斉に蜂起し、ガリア全土から続々とジェルゴヴィアに駆け付けて来ている。ローマ軍を迎え撃つガリア軍は、今や、敵の数倍の規模にまで達しているのだ。更にジェルゴヴィアの防壁工事は、ローマ人の技術も取り入れて念入りに行わせている。次に勝利するのは我々の方である」
ヴェルキンゲトリクスの熱い想いが、皆の心を震わせていた。
「ガリア王の言う通りだ! 今度は我々が勝利する番だ! そうだろうセラヌリウス」
ヴェルカツシベラヌスが双子のセラヌリウスの肩を叩く。
二人のセラヌリウスは優しい微笑みを浮べて、兄に頷いている。
「今度こそ、俺様の力をローマ人に見せつけてくれるわ!」
ヴェルカツシベラヌスが自身の厚い胸板を叩いた。その瞬間に飲んでいたワインが咽から気管に入ってしまったのであろうか。ヴェルカツシベラヌスは何度も
その姿がとても
そして何時しか、私達の心からローマ軍に怯えていた気持ちが消えていった。
「ソフィー。パトリシア。見ていて御覧。数日後に、この街を追われ敗走するローマ軍の姿を御覧に入れよう」
ヴェルキンゲトリクスが、私達の目をみて力強く言い放った。
「さあ、ゆっくりとはして居られないんだ」
そう告げると、ヴェルキンゲトリクスは兄と二人のセラヌリウスを引き連れて去って行った。
帰り際、双子のセラヌリウスが、ドアの前に立つ私達に向かい大きく手を振ってくれた。
『セラヌリウスは不思議な人』
あの二人からは森のような安らぎを感じる。私はセラヌリウスに、懐かしい臭いさえ感じていた…
数日後、街の城壁を挟んで、ガリア軍とローマ軍の戦闘が開始された。
この街を与えられし
この最初の戦いでローマ軍は四十六人の百人隊長を失い、七百人もの兵士を亡くしたと言う。
そして三日後、ヴェルキンゲトリクスが私達に言った通りに、ジェルゴヴィアの街からローマ軍が逃げ去って行った。
ジェルゴヴィアの街の至る所で、勝ち