第39話 ジェームスの告白 西暦2025年July

文字数 3,864文字

 ニューヨーク マンハッタン 5番街
 New York Manhattan Fifth Avenue
 セントラルスターホテル 
 Central Star Hotel 

 サンダー家筆頭執事ジェームス・モートンの脇は、冷たい汗にしっとりと濡れていた。無理矢理着せられたタキシードの上着が汗を隠してくれてはいたが、この先どう立ち回れば良いのか、それを思案(しあん)()ねていたのである。

 目の前に座る男が創り出した竜に襲われた瞬間、自分の身体が支配され心が読まれるのが解った。人間の為せる業では無い。私はまるで甘かったようだ。

 ジェームス・モートンは自分のとった勝手な行動を心底後悔していた。

 親方様の世紀を超えた奇跡(きせき)の再会に水をさしてしまった。1500年の時を超え、やっとカーレル様はアーテリー王子の化身(けしん)と逢うことを叶えたと言うのに。ああ、これはなにも今に始まった事ではない。私の落ち着きのない行動で何度親方様の良い機会を壊して来た事か。あの日は正にそう、バスのタラップに(つまず)いて、そのまま前方に倒れ込んだ私は、転生されたアーテリー様の靴先だけを見て、座席の脚に頭を打ちつけ気絶してしまった。この世に転生し来られたアーテリー王子の、お姿もまだ見ていないという始末なのです。カ-レル家の筆頭執事としては、なんとも情けない限りです。

 運び込まれた病院の個室で、意識が回復した私は、服を着て帰り支度(かえりじたく)を済ませます。一階の会計に行く為に病棟のエレベータに乗り込みました。しかし気持ちが(ふさ)ぎ込んでいた私は、間違って病棟地下の三階にまで降りてしまうのです。ふらふらと地下の廊下を彷徨(さまよ)い、たまたま覗いた霊安室の中で、何とも恐ろしい光景を眼にします。

 仄かな明りが灯る霊安室に放置されていたのは、(あるい)は身元不明の屍体(したい)であったのでしょうか。御遺体(ごいたい)に付き添う人が誰も居ない事が、私にそう思わせた訳でありますが。裸にされ、ベットに仰向けに寝かされ、身体の上に唯、申し訳程度に布を掛けられた丈の若い女の屍体。

 しかしその屍体が、時折、縦に揺れ動くのです。不思議な現象を前に私の視線は釘付けとなります。からだは、霊安室の扉に掛るカーテンの陰から一歩も動けなくなっていました。暫く目を()らして見ていると、屍体が動くのは胸部と腹部のみに限定されている事が次第に解って来ました。何かが屍体の内部に潜り込み、腹部と胸部の間を行き来しているのだと、気付いたのです。そして私は、仰向けに寝かされた屍体股の間から、血に覆われた黒い物体が飛び出して来るのをしっかりと見てしまった。

 脚はわなわなと震え髪は逆立ちます。どうか見つかりませんように。そう願いながら必死でカーテンの陰に身を隠していました。血だらけの姿で屍体から這い出て来た生き物は、猫のように舌を出しては自分の身体を()め回し、付着した血液を(ぬぐ)っていました。

 血液がきれいに舐めらて行くにつれて、その生き物の姿が(あらわ)になって行きます。蝙蝠(こうもり)に似た途中から()がれたような鼻、大きく天に向い(とが)った耳、そして折り畳まれた翼や蛇のような尻尾まで、それはまるで中世の絵巻に出て来る悪魔そのものの姿だったのです。

 カーレル財団に勤め、サンダー家の執事として生きて来た私は、転生されるアーテリー王子の化身と共に命を懸け、悪魔らと戦う積もりではありました。ですが、まさか本当に悪魔がこの世に存在するだなんて… 真に心の底では、私は悪魔の存在を信じてはいなかったのだと気づかされます。

 薄暗い霊安室の中で、悪魔は何と人間の子供に姿を変えて行きます。私の目の前で、醜い姿の悪魔が、可愛らしい人間の子供に()けて行くのです。もうこの日は信じられない事ばかりが起ります。私が過ごして来た人生の知識や経験はいったい何だったのか。

 異なる世界に身を入れてしまったのだ。私は自分に言い聞かせます。

 悪魔は人間への変化を終えると、何食わぬ顔でだぶだぶのズボンを穿き長袖のシャツに(そで)を通します。床に落としていたツバのある帽子を頭にかぶると、病棟地下の霊安室を出て行きました。

 その姿は只の薄汚れた人間の小僧そのものです。悪魔は上手く化けて人間の社会に溶け込んでいるのです。それが先程までここに居たトルマと呼ばれる男の正体です。

 目の前にいる他の奴等も、きっと悪魔が化けた姿に違い在りません。特に高価なソファーに座る男、視線の冷たいこの男からは、物凄い威圧を感じます。魔王。この男こそが魔王セラヌなのでしょうか? 男の機嫌は良く、メイドに注がれたシャンペンを楽しそうに味わっています。

 話を戻します。私が病棟地下霊安室で見たトルマの話を続けましょう。

 霊安室を出て行くトルマが、カーテンの陰に隠れる私に近付く前に、咄嗟(とっさ)に隣の部屋に身を隠し、私は子供姿のトルマをやり過ごします。屍体の内部に潜り込み内臓を食べていたからなのでしょう、それで鼻が効かないのが幸いでした。私は知られる事なく、トルマの尾行に成功するのです。そして浮浪者のような真似を幾日も続け、やっと、トルマ達が連絡に使う酒場を見つけたのです。

 我等カーレル財団が総力をあげて戦う魔王セラヌは、悪魔や魔族の棟梁(とうりょう)。奴等の尻尾を掴むまでは財団には戻らない。その一心で私は、孤独な単独行動を強行したのです。

 サンダー家初代総統バッジョ様から三十八代続く、我がカーレル財団が最も重要な目的としているのは、転生し来るアーテリー王子を我等の財団に確実にお迎えする事にありました。しかし私がそう言えば、カーレル様は「その後に起こる聖戦に立ち向かうことが、より重要なのだ」そう反論される事でありましょう。

『転生された王子と共に聖なる戦いに挑み、確実に勝利する』
 その為にサンダー家は、1500年に渡る時間を使い財団を繁栄させて来たのですから、それは当然です。

 そしてサンダー家には、決して行ってはいけないと禁じられていた行為もあります。『王子を財団にお迎えするまでは、魔族の探索(たんさく)はしない事』これは、探索をする事により、逆に我が財団の正体が魔族に知られる事となる。それを怖れた初代の指示でありました。

 財団に魔族と戦える体制が整い、転生されし王子をお迎えして、そこで初めて魔王セラヌを探す魔族の探索を行う予定とされていたのです。

 この世に転生されたアーテリー王子を迎える事に成功した今、財団本部では魔族に対する探索が開始されている事でありましょう。財団の科学技術の総力をあげて、魔族の捜査は既に行われている筈です。そのような気持ちでおりましたので、私はふとした事から始まったこのチャンスを、逃したくはなかったのです。

 浮浪者になって幾日が過ぎた日の事であったでしょうか。あの頃は日にちの感覚さえ忘れる程に、気持ちの張り詰めた生活を送っていましたので、それが何日か等とは忘れてしまいましたが… 小僧に見える背の低い悪魔トルマが情報交換に使用する薄汚れた酒場に、場違いな美しい女が現れます。

 女が酒場の扉を開けるなり、中に居る客は一斉に入り口の扉に視線を送ります。華やかな女に対して()(へつら)うトルマ達はまるで平身低頭。格が違うという事なのでしょうか。マギー様と呼ばれた美しい女と女に従う男達には、トルマ達とは違う大人の風格が漂っていました。

 その時私は思いました。トルマ達が悪魔の世界の使い走りで、マギー様と呼ばれた女の一団は魔族の幹部なのだと。特にその女は特別な存在なのだと、私は一目で確信します。

(魔王セラヌに近づいた)
 そう感じた私は、勝負に出る事を思い付きます。この酒場で、初代総統バッジョ様や魔王セラヌの名前を出して奴等の反応を伺い、反応があれば()かさず財団に連絡を入れる積りで、奴等に挑んだのです。

 不測の事態に備え、私は早朝の酒場から一度外に出て、総ての経過を記載したメールを財団に送信します。財団の職員に私の居場所が特定出来るように、スマホの位置情報システムをONにしました。これで財団所有の人工衛星は私の姿を(とら)え、私が呼べば、財団の特殊職員が陸・海・空、最速の手段を使い即座に駆け付けて来るシステムが起動します。このニューヨークであれば10分も掛らずに、武装した財団職員が私の許に駆け付けてくれる筈でもありました。そこに私の過信(かしん)があったのです。

 恐い事は恐いのですが「悪魔など、高度な科学力を有する我等にとっては凶暴な動物を退治(たいじ)するようなものだ」と、(おご)っていたのです。

 酒場の裏でくすねた酒を(あお)り、酔った演技で酒場に戻ると、そ知らぬ顔で奴らの近くに座りました。

「俺はバッジョ。正義の騎士。魔王セラヌよ、お前の企みなど俺が叩き潰してくれる」
 私はそう息巻いて奴等の反応を伺います。

(奴等は即座に私に、驚いた視線を投げ掛けるであろう)
 そう考えていました。

 しかしその場ではまるで反応が無く。私の声が酒場の喧噪(けんそう)にかき消されると、又、何事も無かったかのように時間が流れました。

(奴らは私を見る事さえしなかった)
 当ての外れた私は、とぼとぼと外に出て溜め息を吐きます。何事も起こらずにホッとしたような、しかしそれも残念であるような、そんな気持ちです。

(魔王セラヌとは異なるグループの悪魔達なのか?)
 そのように思いました。

(まあ仕方がない。あの小悪魔トルマと、この酒場の情報を土産に財団に帰ろう)
 私はそう考え、イエローキャブを拾おうと道路を歩いていました。
 
 しかし予期せず襲われ、私は車のトランクに放り込まれてしまったのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

Sophie(ソフィー) 

堕天使ルシフェルと対峙する程の、ピュア(pure)なパワーを持つ少女。




ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み