第18話 アレシア 紀元前52年

文字数 4,608文字

 ガリア・オーヴェルニュ地方 ジェルゴヴィア

「どん。どん。どん。どん」
 荒々しく戸口を叩く音が聞こえて来たのは、私達がそろそろ寝ようと話していた時の事であった。

 外は雨が降り続いていた。

「誰?」
 母が戸口越しに外へと声を掛ける。

「私だ」
 声の主は、私達と親しい、オーヴェルニュ族反ローマ派長老のものであった。

「今、お開けします」
 使用人の爺やが、戸口にかけた(かんぬき)を外し、扉を開ける。

 雨に濡れた外套(がいとう)を羽織る反ローマ派の長老が、悲し気な瞳で母を見詰め、家の中に入って来た。

 私は長老の瞳に、思わず息を飲み込む。

「ガリアは負けたよ…」
 長老はそう口を開いた。

 瞬間、周囲の時間は停止した。誰も動けず、全ての風景が凍りついた。

 しばらくの間を経て「ぽちゃん。ぽちゃん」と、雨の(しずく)が屋根をつたい地面に落ちる音が聞こえ出す。

 その音を遮るようにして母が話し始める。

「ヴェルカツシベラヌスはどうなったのですか? ヴェルキンゲトリクスは? ガリアの戦士は、どうなったのですか!?
 母の声は次第に大きくなり、それは、世界の静寂(せいじゃく)を切り裂く叫びへと変わった。

「ヴェルカツシベラヌスは逃亡中に捕まり、そのまま生け捕りにされた。ヴェルキンゲトリクスは我等総ての責任を背負って、ユリウス・カエサルの前に投降(とうこう)した」
 反ローマ派の長老はそう答えた。

「どさっ…」
 膝から崩れ落ちるように、母が床に倒れ込んだ。私とソフィーは倒れ込んだ母に寄り添う。

 長老は何も言わず、テーブルに添えられた椅子に腰掛けた。

 女が一人、精神的な打撃から気を失いかけた。しかし、そんな事などまるで問題にもならない。今はそう言う状況なのだ。長老は無言で語っていたのかも知れない。

 二人のセラヌリウスが、叔母が、そして家の使用人達が、長老のそばに集まって来た。私とソフィアは母に寄り添いながら、長老の次の言葉に耳を傾けた。

「ヴェルカツシベラヌスは、よく戦ったそうだ」
 長老は肩を落としたままの姿勢で、ガリア戦士の戦いを話し始めた。

「二十五万のガリア救援部隊が到着した時、城市アレシアはローマ軍の築いた封鎖施設(ふうさしせつ)に包囲され、完全に閉鎖されていた」

「城市にヴェルキンゲトリクスとガリア歩兵を完全に封じ込め、外から現れるガリア救援部隊もアレシアには近寄れないように、ローマ軍は外に対しても完璧な二重の防衛施設を築いていた」

「その中(完璧な二重の防衛施設)で自在に軍団を移動させられるだけの広さを保ち、ローマ帝国総督ガイウス・ユリウス・カエサルは、自らを閉じ込めていたのだ」

「ガリア救援部隊がローマの防衛施設に容易(ようい)に近付けない中で、防壁を挟み対峙する両軍最初の戦いは騎馬戦から始まる」

「カエサルは、ローマ軍の総ての歩兵を防衛施設の上に登らせ、内外のガリア軍に向け兵士を(すき)なく配置すると、騎兵を陣営から引き出し、外に対峙するガリア救援部隊に向けて出撃の命令を下した。これに応じたガリア救援部隊も騎馬隊を出陣させる」

「騎馬兵のみが集団で戦うローマ軍の騎兵に対し、ガリアは騎馬する主人の側に弓兵や軽装歩兵が付き従い戦うのが伝統。これがローマ騎兵を多いに困惑させ、戦いはガリア軍優勢に進んで行く。しかし日が西に沈みかける頃、ローマに味方するゲルマン人の援軍騎兵が一団となってガリア騎馬隊に襲い掛る」

「ゲルマン援軍騎兵の参入にガリア騎兵の足並みは乱れ、囲まれた弓兵や軽装歩兵は次々と殺されて行った。戦況を盛り返す事が出来ず、ガリア騎兵は自陣に退却するしか他に為す術が無かったようだ」

「このようにして一日めの戦闘は終了した」
 長老は語った。

「二度目の戦闘は、まる一日置いた真夜中に始められた」

「ガリア救援部隊は、一日目の戦いの後、柴束(しばたば)梯子(はしご)、ローマの防壁を引き倒す為の鈎竿(かぎざお)などを十分に作って、次の戦いに(のぞ)んだ」

「こっそりと自陣を抜け出し、ローマの防壁施設に近づいたガリア救援部隊は、突如大きな声を上げ、アレシアに籠るガリア歩兵にも接近を知らせる。外からこの声を聞いたヴェルキンゲトリクスは即座に反応する。城市のガリア歩兵に命令を出し、ローマ軍の防衛施設に内からの攻略を開始したのだ」

「ガリア軍は闇夜の中、内外よりローマ軍の防壁施設に挑んだ。(ごう)の中に柴束を投げ込み、防壁に立つローマ兵を投石や弓矢で狙い、作戦通りの戦いが進められて行く。しかし、攻め込んだ多くの戦士が、足下に隠し埋められた(くい)や、鋭く削られた太枝にからだを串刺しにされる。罠を避け先に進む戦士の行く手を、5mの幅と深さがある二つの深い堀が(さえぎ)る。堀は河の流れを変えたローマ軍により水で満たされ、立ち止まったガリア戦士には弓矢や石が容赦なく襲い掛った。防柵の手前には鋭い逆茂木(さかもぎ)も埋め込まれている。更に長い槍が防柵越しにガリア兵を刺し殺して行った」

難攻不落(なんこうふらく)の防衛施設を攻めあぐねるガリア戦士の前に、夜明けが迫っていた。夜が明け、側面から攻撃を仕掛けられるのを恐れたガリア救援部隊は、日の出を前に陣営に引き上げる。内より(ごう)を埋める作業を続けていたヴェルキンゲトリクスとガリア歩兵も、引き上げの知らせを受けると、アレシアの街に戻って行ったようだ」
 話し続けた親ローマ派の長老は水を所望(しょもう)する。

 二度も手痛く敗北を喫したガリア救援部隊は戦術会議を開き、現地人も交え、ローマ軍の防衛施設の弱点を調べ始めた。そして一つの丘を見つける。アレシア城市の北方に拡がる丘。流石のカエサルも、余りにも広い城市全てを、防壁施設で囲む事は出来なかったのだ。そこでカエサルは、総督代理アンティスティウスとカニニウス・レビルスに二個軍団を与え丘を守らせていた。

 使用人のネネが運んだ水が、長老の咽を潤す。長老は再び話しはじめた。

「ガリア救援部隊は六万の精鋭部隊を編成して、城市北方に拡がる丘の攻略を開始した。攻撃の総指揮官に選ばれたのが、お前たちの兄ヴェルカツシベラヌスだ。ヴェルカツシベラヌスは六万の兵士を率いて、闇を利用し、密かにガリア本陣営を離れた。そしてローマ帝国総督代理アンティスティウスとカニニウス・レビルスが守る丘の背後へと回り込むと身を隠した」

「ヴェルカツシベラヌスは兵士達に食事と休息を与えた後、突撃を開始する。ヴェルカツシベラヌスの行動に合せガリア騎兵隊も平地の防壁施設に殺到する。城市アレシアの砦で様子を見ていたヴェルキンゲトリクスも、大急ぎで飛び出して来る。防壁施設の内外あらゆる所で同時に戦闘が開始され、ガリア兵士の勇ましい叫びがローマ軍を包み込んで行った」

「ヴェルカツシベラヌスが率いる精鋭部隊の攻撃は極めて苛烈(かれつ)で、丘を守るローマ軍の陣形を崩し彼等を追い詰めて行く。丘の陣営を二個大隊では守りきれないと判断したローマ総督カエサルは、この危機に、総督代理の中で最も有能な将軍ラビエヌスと六個大隊を救援へと向かわせる。しかしヴェルカツシベラヌスの精鋭部隊は、この大隊さえ次々と撃ち破って行った」

「ヴェルカツシベラヌスは闘神(とうしん)の生れ変わりか!? 彼の戦闘は、それ程に素晴らしいものだったようだ」
 長老は目を細め、私達家族を見つめた。

「ヴェルカツシベラヌスが指揮(しき)を執るガリア精鋭部隊の凄まじい攻撃に、ローマ軍総ての危機を感じとったカエサルは、戦局を左右するのは正にこの時、この場所であると判断をする。カサエルは深紅(しんく)外套(がいとう)(まと)い、自ら四個大隊を率いてヴェルカツシベラヌスが攻める戦場に臨んで来たのだ」

「この時、戦の大局を見据(みすえ)采配(さいはい)を振るえる者がガリア救援部隊におれば、この戦いはガリアが勝っていた筈だ」
 長老は悔しそうに拳を握り締めている。

「この役目を担うのはヴェルカツシベラヌスではない。ヴェルカツシベラヌスは、戦況(せんきょう)の真っ只中で奮闘(ふんとう)している獅子なのだから… それはヴェルキンゲトリクスにて唯一可能であった。ヴェルキンゲトリクスが包囲されたアレシアの中ではなく、城市の外に居て総指揮を執っていたとしたら、彼は間違いなく次の一手を打っていただろう」

「深紅の外套を纏ったカエサルに向けて、そこに味方の全騎馬兵を放てばよかったのだからな! そうすればローマ軍は総崩れと成り、ガリアに真の自由が訪れた筈だ…」

「ふっふふ。ふっふふ」
 長老は気が触れたかのように急に笑い出した。

「だがその一手を打ったのは、カエサルの方であった!」
 今度は一転、長老が怒鳴り声を上げた。

「カエサルは深紅の外套を纏い自らが戦場に(いど)むのと共に、自軍の騎兵と歩兵の別働隊を密かにヴェルカツシベラヌス隊の背後に回り込ませていたのだ」

「深紅の外套を纏ったカエサルの姿を見つけ、興奮し、我を忘れカエサルに殺到するヴェルカツシベラヌスの精鋭部隊は、背後より突如として現れた別働隊に背中を攻め込まれる」

「前面にはカエサル率いる四個大隊。更には新たなる別働隊も戦場に到着した。こうとなっては、流石(さすが)のガリア精鋭部隊も敵に背を向け逃げ(まど)うしかなかったのだと言う」

「逃げまどうガリア精鋭部隊に対し、ローマ軍による大殺戮(だいさつりく)が繰り広げられた。陣営にてこの様子を見ていたガリア救援部隊は、陣営もそのままに、我先にとその場から逃げ出してしまったそうだ」

「二十五万も居た救援部隊が、何と言う事だろう…」
 長老は絶句する。

「多くの戦士が無惨(むざん)にも殺されたが、ヴェルカツシベラヌスは生け捕りにされ生きている。そしてガリア戦士の多くも、捕虜となって生きている。これは、ヴェルキンゲトリクスが一身に責任を負い、我が身と引き換えに皆の助命をカエサルに約束させたからだと言う…」

「ヴェルキンゲトリクスは戦いの翌日、一番美しい甲冑(かっちゅう)に身を包み、よく手入された白い愛馬に(また)がると、アレシアの門を通ってカサエルの許へと向かった」

「ローマの陣営では、屈強な将軍達に周囲を守られ、深紅の外套を纏い将机(しょうき)に腰掛けるカエサルの姿があった」

「ヴェルキンゲトリクスはローマの陣営をゆっくりと馬で一周する。ローマ軍総統ガイウス・ユリウス・カエサルの前に着くと馬を止め、全ての武器を大地に投げ捨てた。馬から降りると静かに甲冑を脱ぎ、その場に座り込んだという。後は連れ去られるまで、ヴェルキンゲトリクスは微動(びどう)だにせず、(おのれ)(ほこり)を周囲に見せていたようだ」

「ヴェルキンゲトリクス…」
 ソフィーが小さな声を上げた。

「これで儂の話は全て終わりだ」
 長老はそう言うと席を立ち、戸口に向い私達に背を向けた。

 驚きと絶望に支配された私は、ほんの小さな声を発する事も出来なかった。

 ヴェルキンゲトリクスや兄ヴェルカツシベラヌスの事を想い、勇敢(ゆうかん)な総てのガリア戦士の事を想い、涙だけが頬を伝った。

 戸口を開け、立ち止まった長老は言った。

「我々の誇るべき勇気が失われようとしてる。ガリア人の心までもが支配されようとしているのだ。束の間(つかのま)の休息を取ったローマ軍は進軍を始めた。ハドウェイ族ではローマ軍への完全な降伏を決めたのだと言う。我がオーヴェルニュ族でも、親ローマ派の人間が不穏な動きを始めている。よいか!? 即座に逃げるのだ!! 今はまだここにローマ軍が押し寄せて来る事はないが、親ローマ派の人間が、お前達をこのままにして置く(はず)はない。きっとヴェルキンゲトリクスの血縁(けつえん)、ヴェルカツシベラヌスの家族であるお前達を使い、ローマ軍への助命を企てる事であろう。一刻も早くここから逃げるのだ!」
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登場人物紹介

Sophie(ソフィー) 

堕天使ルシフェルと対峙する程の、ピュア(pure)なパワーを持つ少女。




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