第34話 大魔女 イザベル 西暦2025年 July
文字数 2,218文字
アトランティック オーシャン バミューダ
Atlantic 0cean Bermuda
大魔女 イザベルの別荘
The Grande Sorciére Isabel's Villa
子猫を膝に乗せた老婆が、安楽椅子に腰掛け、無言で黒毛の背を撫で続けている。薄暗い室内、シャンデリアの明かりは、仄かなものに調節が為されていた。
「大婆様。総ての準備が整いました」
屋敷の居間に現れた大柄の男が、航空貨物コンテナへの物資積み込み作業が完了した事を、老婆に報告する。
「みゃあー」
まるで大婆様と呼んだ男に答えるかのように、子猫が鳴き声を上げる。老婆は無言で男の身なりを確認していた。
「みゃあーっ」
子猫が再び鳴き声を上げた。
「準備万端なのは解った。お前達がセラヌ様と月に向かう為の大切な準備だ。念には念を入れて、もう一度点検してから報告に来な!」
滑舌も良く、老婆が言葉を発した。
「はい」
男は最敬礼で答える。
「それとだ!」
「はい!?」
「建設中の月面基地での計略」
「はい」
「予定通りに事を運んだんだろうね?」
「はい」
「しかしあれから二週間も時が経過したよ。事が起きるのが、少し遅いんじゃないのかい?」
老婆の言葉が部屋に響き渡る。
「全て大婆様の仰せの通りに、工作を済ませました」
男が老婆に申し述べる。
老婆の名前はイザベル。並外れた体力と恐ろしい魔力を持つ大魔女である。
「本当かい?」
イザベルが聞き返す。
「はい」
立ち尽くす男の首筋に、冷たい汗が伝い流れた。
「大丈夫なんだろうね? ミスなど起せば、お前達の命など消し飛んでしまうよ!」
「はぃ」
男は敏捷 な小動物のような、落ち着かない素振りを見せる。
「それではもう少し待つとするかい。吉報 が届くのをね!」
大魔女イザベルが膝に抱く子猫が舌舐めずりをする。
「お前達が、しくじり無く仕事を済ませていれば、あと少しで世界は騒然となる。我等の企ての成果は、テレビ局でも大きく報道が為される筈だ!」
「はい」
「その時、お前達には即座に出動命令が下る事になるよ。私からの最後の出動命令だ。お前、清々するだろう!? 月に行けば地球に残る私とは、縁が切れるからね」
老婆の容姿をした大魔女が、ガハガハと豪快な笑い声を上げた。
「よし。行きな!」
「はい」
極度の緊張から解放された男が、大魔女イザベルの側を立ち去ろうとする。
「あっ。ちょっと待ちな!」
しかしイザベルが指を使い、椅子の前に男を手招く。
「お前、ちょっと前においでな!」
「はぃ」
「やっぱり、まだまだだねえ。お前の耳、また大きく尖 っているじゃないか!?」
男は、はっとして、自分の両耳を隠すように押さえる。
「気を抜くんじゃないよ! 人間に知れてしまうじゃないか!」
「はぃ」
大魔女イザベルに一喝された男は、すっかり萎縮してしまう。
「しっぽはどうなんだい!?」
男は両耳にあてていた手のひらをゆっくりと離し、今度は自分の尻に手をあててみる。手に堅い棒のような筋が触れた。
「ズボンが盛り上がっているじゃないか!? ズボンが破れてしっぽが飛び出したら大変だよ!」
「はいぃ」
狼狽 えた男の両耳が更に大きく伸び始める。
「お前。耳を縮 めな! しっぽも仕舞いなよ!」
「ひっひいっ…」
大魔女イザベルの罵声に動揺した男の化けの皮がはがれて行く。全身の筋肉は、はち切れんばかりに盛り上がり、男の洋服がびりびりと破れて行った。
「ああ、もうどうしょうも無いね!?」
イザベルが呆 れ返る頃には、男の姿は、毛むくじゃらなそのもの本来の姿にすっかりと戻っていた。
「折角 、セラヌ様が人間の肉体を与えてくれたと云うのに… 駄目だねえ!? 悪魔の血がどうしてもからだを変化させてしまう。私らのように、赤子のからだから肉体を慣らして来た者は大丈夫なんだけどね。人間の成体を量産型のクローンで与えられたお前達は、直ぐに尻尾 が出るよ!」
醜い生き物に変化した男が興奮し咆哮 を上げる。男は最早 人間とは呼べぬ有り様となっていた。爬虫類のような目をギョロつかせ、大きく尖った耳は天に向かい立ち上がっている。上向きで鼻孔を正面に見せた蝙蝠 のような鼻。油断なく絶えず動き続ける鼠のような口元。毛むくじゃらのからだは堅い筋肉で覆われ、背中には折り畳んだ翼が生えていた。尻から出た尻尾の先には、今にも食い付きそうな蛇の頭が覗いている。
「だけどね、何もセラヌ様は、お前達の姿が御嫌いと言う訳ではないんだよ。時期が来れば地球上の何処へだって、その姿で飛んで行って好いのだと仰 ってくれるよ。それ迄の辛抱 じゃないか」
大魔女イザベルは小指の爪を立て、歯に挟まった昼食の肉をほじりながら話している。
「だからさ、詰めを誤らぬよう努力を続けなよ。ほら、尻尾をしまい耳を縮めな!」
意外と優しいイザベルの言葉に、男 の耳は小さく変化を始める。尻尾や翼はしまわれ、表情も人間のものへと造り替えられて行く。
「そうだよ。それで好い。しっかりやっておくれよ!」
イザベルが溜息を吐いた。
「お母様!! お母様!!」
部屋の外から、屋敷の廊下を走り来るけたたましい音が聞こえて来た。
「何だい騒がしいね。だけどあれは私の娘マギーの声だよ。お前は早く消えな。そんなボロボロの洋服を纏 ったままじゃ、娘に変な勘ぐりをされぬとも限らないからね」
大魔女の顎で行く先を示された男は、廊下とは反対方向のドアを開け退室して行く。
Atlantic 0cean Bermuda
大魔女 イザベルの別荘
The Grande Sorciére Isabel's Villa
子猫を膝に乗せた老婆が、安楽椅子に腰掛け、無言で黒毛の背を撫で続けている。薄暗い室内、シャンデリアの明かりは、仄かなものに調節が為されていた。
「大婆様。総ての準備が整いました」
屋敷の居間に現れた大柄の男が、航空貨物コンテナへの物資積み込み作業が完了した事を、老婆に報告する。
「みゃあー」
まるで大婆様と呼んだ男に答えるかのように、子猫が鳴き声を上げる。老婆は無言で男の身なりを確認していた。
「みゃあーっ」
子猫が再び鳴き声を上げた。
「準備万端なのは解った。お前達がセラヌ様と月に向かう為の大切な準備だ。念には念を入れて、もう一度点検してから報告に来な!」
滑舌も良く、老婆が言葉を発した。
「はい」
男は最敬礼で答える。
「それとだ!」
「はい!?」
「建設中の月面基地での計略」
「はい」
「予定通りに事を運んだんだろうね?」
「はい」
「しかしあれから二週間も時が経過したよ。事が起きるのが、少し遅いんじゃないのかい?」
老婆の言葉が部屋に響き渡る。
「全て大婆様の仰せの通りに、工作を済ませました」
男が老婆に申し述べる。
老婆の名前はイザベル。並外れた体力と恐ろしい魔力を持つ大魔女である。
「本当かい?」
イザベルが聞き返す。
「はい」
立ち尽くす男の首筋に、冷たい汗が伝い流れた。
「大丈夫なんだろうね? ミスなど起せば、お前達の命など消し飛んでしまうよ!」
「はぃ」
男は
「それではもう少し待つとするかい。
大魔女イザベルが膝に抱く子猫が舌舐めずりをする。
「お前達が、しくじり無く仕事を済ませていれば、あと少しで世界は騒然となる。我等の企ての成果は、テレビ局でも大きく報道が為される筈だ!」
「はい」
「その時、お前達には即座に出動命令が下る事になるよ。私からの最後の出動命令だ。お前、清々するだろう!? 月に行けば地球に残る私とは、縁が切れるからね」
老婆の容姿をした大魔女が、ガハガハと豪快な笑い声を上げた。
「よし。行きな!」
「はい」
極度の緊張から解放された男が、大魔女イザベルの側を立ち去ろうとする。
「あっ。ちょっと待ちな!」
しかしイザベルが指を使い、椅子の前に男を手招く。
「お前、ちょっと前においでな!」
「はぃ」
「やっぱり、まだまだだねえ。お前の耳、また大きく
男は、はっとして、自分の両耳を隠すように押さえる。
「気を抜くんじゃないよ! 人間に知れてしまうじゃないか!」
「はぃ」
大魔女イザベルに一喝された男は、すっかり萎縮してしまう。
「しっぽはどうなんだい!?」
男は両耳にあてていた手のひらをゆっくりと離し、今度は自分の尻に手をあててみる。手に堅い棒のような筋が触れた。
「ズボンが盛り上がっているじゃないか!? ズボンが破れてしっぽが飛び出したら大変だよ!」
「はいぃ」
「お前。耳を
「ひっひいっ…」
大魔女イザベルの罵声に動揺した男の化けの皮がはがれて行く。全身の筋肉は、はち切れんばかりに盛り上がり、男の洋服がびりびりと破れて行った。
「ああ、もうどうしょうも無いね!?」
イザベルが
「
醜い生き物に変化した男が興奮し
「だけどね、何もセラヌ様は、お前達の姿が御嫌いと言う訳ではないんだよ。時期が来れば地球上の何処へだって、その姿で飛んで行って好いのだと
大魔女イザベルは小指の爪を立て、歯に挟まった昼食の肉をほじりながら話している。
「だからさ、詰めを誤らぬよう努力を続けなよ。ほら、尻尾をしまい耳を縮めな!」
意外と優しいイザベルの言葉に、
「そうだよ。それで好い。しっかりやっておくれよ!」
イザベルが溜息を吐いた。
「お母様!! お母様!!」
部屋の外から、屋敷の廊下を走り来るけたたましい音が聞こえて来た。
「何だい騒がしいね。だけどあれは私の娘マギーの声だよ。お前は早く消えな。そんなボロボロの洋服を
大魔女の顎で行く先を示された男は、廊下とは反対方向のドアを開け退室して行く。