第1話 魔王 (Erlkönig) 西暦525年

文字数 9,082文字

 グレートブリテン島 Great Britain Island
 スパイサー城 Spicer Castle 
 王の寝室 King's Bedroom

「余は震えておったか? 遠慮は要らん正直に申してみよ。カチカチと甲冑を鳴らしておったか? それとも、カタカタと歯を鳴らしておったか? 城に戻り甲冑を脱がされながら、余は震えていたのか!? どうであった。だが、あの時の恐怖はお前らには解るまい。城から追い出した弱々しい子供が、恐ろしい阿修羅と成長し、儂に襲い掛かって来た。それも風よりも速く、城門から一気に駆け抜けて来た」

 スパイサー城、王の寝室で、国王スパイサーと宰相(さいしょう)セラヌが、会話を交す様子がみられる。

 室内に運ばせた(たらい)に湯を注ぎ。女達にからだを清めさせ。ぶどう酒を口にした。

 湯と酒の(いや)しを受けたスパイサーは、先程と比べれば、いくぶん硬い表情がとけて来ていた。しかし戦の余韻(よいん)によるものであろうか、いつにも増して、饒舌(じょうぜつ)な振る舞いのスパイサーであった。

 セラヌは床に視線を落としていた。端正な横顔が、燭台(しょくだい)の明かりから逃れるような姿勢で、王の前に(ひざまず)いている。

「セラヌよ。総てお前の言った通りに余も動いた。だがどうじゃ。危うく余の首が飛ぶところであったのだぞ。だいたいお前が用意した人質が出てくるのが遅すぎるのだ。人質が出されるのがもう一時(いっとき)遅かったら、儂の命が(つい)えていたわ!」
 そう言って、眼下に控えるセラヌに苛立(いらだ)ちをぶつける。

「王よ。まずは心よりお詫び申し上げます。こたびの(いくさ)、波のように押し寄せる群衆から国を守る為には、どうしても王自らの御出陣をいただかなければなりませんでした。勿論、王の御身体には(わず)かな危害も及ばぬよう周到(しゅうとう)に準備をして来た積りではありました。しかし、アーテリーの予想外の凄まじさには、我が頑強な近衛兵もすべて()ぎ倒される有り様にて。不甲斐ない兵士の処罰は勿論のこと、私自身も大きな責任を感じております。恐れながら申し上げれば、偉大な国王のお力と御威光のお陰で、我が国の民は救われたのです」
 慇懃(いんぎん)な態度で宰相セラヌが申し述べる。

「ちっ。口の巧みな奴よ!」
 スパイサーは舌打ちをする。

「アーテリーの戦ぶりを、私は安全な城のテラスより見ていました。あの子供がなんと恐るべき戦士に成長したものか。奴らに王の御姿を見せ、城内におびき寄せ囲い、槍の(ふすま)で討ち取る手筈が… まさか槍の衾を跳び越え、一気に王のもとに迫り来ようとは。不測の事態に備え用意した人質が役に立ちましたが、王には肝を冷やす思いをさせてしまいました。しかし流石は我が王。その状況にも冷静に、そして見事な振る舞いでアーテリーから剣を奪い、脱がせた奴の甲冑を用いて敵の士気を挫くと、巧みな指揮で、一気に戦況を勝利へと導かれました。その見事な戦ぶりは、城内で固唾(かたず)を飲んで見守る全ての乙女、全ての臣下(しんか)の歓喜を呼び、貴方様への賛美で、城内は溢れんばかりの声援に包まれておりました。帰城された王の御身体の震えなど、『我らが王は、城に戻られても未だ戦場の興奮が収まらない御様子なのだ』と、誰もがそのように感じていた次第。私の耳にも、乙女、臣下が囁く、ひそひそとした小さな声が聞こえています。皆、王の勇猛さを称える言葉を口々に囁いていたのです」

「そうか。余も何故この体震えるか不思議であったが、そちに言われ(ようや)く理由が解った。成程、未だ収まらぬ戦場の興奮。流石は我が(しもべ)セラヌよ。よいよい立ち上がれ。(ひざまず)かず立って余の酒の相手をせよ!」
 スパイサーはそう言うと、従者(じゅうしゃ)(さかずき)を運ばせ、セラヌにも酒を注がせた。

「余はそんなに勇敢であったか?」
「気高き山嶺(さんれい)の如くに」

「余の指揮は、それ程に見事であったか?」
「兵を動かす巧みさ、王に勝る者を知らず」

「全ての乙女が儂に焦がれる程にか?」
「乙女たちの心、既に王の思いの(まま)にて」

「そうか。そうであるか。ふふっ。それは素晴らしい!」

「はてセラヌよ。アーテリーを討ち取った後、奴の甲冑を脱がせ利用する手筈や筋書きも、総てはぬしの描いたものではなかったか?」

「いいえ。王と二人、相談は致しましたが、そのほとんどは王の御知恵にて。それに思い描いた通りに事を進める御方など、王以外にはおりますまい」

「面白いことを言う」
「有り難き幸せに存じます」

 深々と頭を下げ静かに目を伏せるセラヌである。

 あくまでも王に従順なセラヌではあるが、何故かこの男には、まるで卑屈さが感じられない。言葉とは裏腹に、優美な身のこなしからは気品さえ漂うのである。

「セラヌよ。(かつ)て逃がしたあの子供と黒眼帯のバッジョが、余に逆らい戦を仕掛けて来ると聞いた時には、奴らの愚かさを心底笑ったものよ。しかし、我が城に続々と向かい来る巨大な人波を見て、流石の余も恐怖を感じた。奴等はなんと多くの民衆を(たぶら)かし、ここまで連れて来た事か。だが余が負ける事は無かった。余は奴らの旗頭、王子アーテリーを突き殺してやった。そうしたらどうじゃ。奴に騙され集まって来た民衆など、蜘蛛の子を()らすように、散り()りに逃げ去って行ったではないか。皆、武器も投げ捨て、無様な逃げようで。ふっ、誠によい有様であった。しかしセラヌよ。人は信じられぬものよのう。まさか、あれ程迄に目をかけてやったジェリドとオーツが、余を(あざむ)き奴らに繋がっていたとはのう。今思い出しても(はらわた)が煮えくり返る思いじゃ。あいつらは、余の槍兵隊長と騎兵隊長ぞ!」

 激昂(げきこう)したスパイサーは、酒の入ったグラスを湯の中に叩きつけた。

 王の乱暴な振る舞いに、側に控える乙女が驚いて体を硬直させる。

「盥を片付け、次の間に控えていなさい」
 セラヌは、すべての女性をこの場から立ち去らせる。そして新しいグラスを王に手渡し酒を注ぎ直すと、再び跪き、王の気持ちを取りなすように話を始めた。

「いいえ。王は誰にも欺かれてはおりません。ジェリドとオーツなど、奴らは王を欺いていた積りが、逆に私に利用され、まんまと死んでいった愚か者。私が王に付き添っている限り、王を欺く者など、この世に存在はさせません」

「必ずか?」
「約束いたします!」

「ふむーっ!」
 スパイサーは静かに息を吐いた。

「王よ。奴等が王に策謀(さくぼう)を抱いた十年前のあの晩から、私は―ジェリドとオーツにはそれと気付かれぬよう、我が手の者を付け、二人を監視させておりました。王に対し不審な動きを見せた時には、即座に殺すことが出来るよう、抜かりなく手配をしていたのです。奴等にとって忠実な部下であった副隊長も、我が意を酌む者にて… 死の間際に見た部下の叛意(はんい)に、奴等はさぞ驚いた事でありましょう」

「セラヌ。お前はよく出来た男よ。しかし何故、ジェリドとオーツの謀反(むほん)を知った時に、お前は余にそれを教えぬのだ?」
 スパイサーの怒りはまだ収まってはいない。

「十年前のその時、事実を告げていたら、王はどうなさいました?」
「知れた事。その場でジェリドとオーツの首を()ねておるわ!」

「あの頃の我らの力で、居城持ちで多くの兵士を従えていた二人に、それが出来たでしょうか?」

「ぬうっ。お前。儂を誰と思っておる!?
 スパイサーが大声を上げる。

「王よ!」
「何だ!? お前とて…」

「我が王よ!」
 国王の瞳を見詰めながら、宰相セラヌが立ち上がる。

「お前とて王に逆らえば…」
 冷静なまなざしを見せるセラヌを前に、スパイサーは口籠(くちごも)る。

「王よ。この策謀は、王と王国の為には不可欠であったと私は信じています。我らの体制を転覆させようと何時か舞い戻るアーテリーとバッジョを、ジェリド、オーツ共々一網打尽(いちもうだじん)にする機会を、私は十年待ち続けていたのです」

「儂にまで隠してか?」
「どうかこの私めをお許しください」

 スパイサーは拳を握り締め、怒りで身体を震わせている。
 その様子を前に、セラヌは再び王の前に跪き(こうべ)を垂れる。

「王がどうしても許せぬと言われるのなら、このセラヌを処罰して下さい。従順な犬が飼い主に従うように、私はすべて、王の仰せのままに従うのみにございます」

 スパイサーは立派な顎髭(あごひげ)を指で挟み()かす仕草(しぐさ)で、跪くセラヌの首筋を見つめていた。何もスパイサーは、ジェリドとオーツの企てを、早い時期に自分に話さなかった事を責めたい訳ではなかった。セラヌの事だ、それはよく計算しての事であろうと理解はしていた。唯、自分の命が、この若輩(じゃくはい)時より知りたる不思議な男に握られているような気がして、不安に駆られ、怒りを続けているのである。眼下に跪き我の機嫌をうかがうセラヌの姿を見て、『自分に忠誠を誓っているうちは良い。従わなくなったら誰かに殺させるまでよ』と、何時ものように思うスパイサーであった。

「偉大なる王よ。私がジェリドとオーツの裏切りを知ったのは、ゼルティ前王が血を吐き亡くなられた日より、ちょうど次の満月の夜、エレーヌ前王妃が居城から転落死した夜に(さかのぼ)ります。ゼルティ前王の死因を怪しんだエレーヌ王妃は、何かを感じ、バッジョを呼び寄せ極秘に王の死因の調査を始めます。前王妃にも困ったものです。前王が亡くなり、スパイサー様が次期国王と噂されている時期に、前王の一人子、幼いアーテリーが成人するまでの期間を、王妃が王子の後見人となり、この国を治めるなどと言い出すのですから… 当時城内は、前王に忠義(ちゅうぎ)を誓う近衛隊長のバッジョ、槍兵隊長のジェリド、騎兵隊長のオーツ、奴等三人衆の強い発言力で政治も動いていた時節。しかも奴等は、それぞれに諸公貴族の家柄の出。十分な後ろ盾を持ち、数多の騎士を従え、周辺の諸公貴族との交流も盛んな実力者です。あ奴等が王妃に付き添っている状態では、スパイサー様が次期国王に即位される事など、それはまるで叶わぬ夢のように、至難な情勢であった。私はそのように記憶をしています」

「ちっ。はっきりと言う!?  儂も、あの頃の事は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。それ以前の事もな!! 苦い思い出ほど不思議と鮮明に覚えているものだ… 儂とゼルティは異母兄弟の間柄。つまり腹違いという訳だが。儂らの親父は戦いに明け暮れ、ようやっと国らしいものを立ち上げた時には、既に死の(やまい)にからだを(むしば)まれていた。あの頃ゼルティは二十歳、儂は十六の青二才。寝たきりとなった親父が国を任せると言い遺したのは、英才の兄、ゼルティの方であった。儂のおふくろは悔しさで狂い死んだような有様で。儂も気を紛らすように、盛り場に身を(ひた)していた。そんな時だったな、若い祭司(さいし)であったそちに出会ったのは」

「はい」

「セラヌもうよい。膝を立てて楽にせよ。お前はあの頃からまるで年をとらぬ。神の教えを守らぬ(やから)が、よくも祭司などと」

「王には、その頃の私が祭司に見えましたか? 懐かしいお話、続けてもよろしいでしょうか?」

 その場から怒りの気配は消え去っていた。

「よい。続けるがよい」

「それでは」
 そう告げると再びセラヌが話し始めた。

「スパイサー様の為に、私は(いや)しい者に指示をして、前王ゼルティの食事に毒を盛らせました。その行為により、我らにとって邪魔者であったゼルティ王は死んだのです。それにもかかわらず、今度はアーテリー王子の後見人として、王妃が国を治めるなどと… それはとても容認のできる話ではありませんでした。そこで今度は王妃エレーヌの食事に毒を盛った。しかしバッジョの警護の下、王妃の食事を毒見した者が血を吐いて絶命。調理部屋に忍び込ませていた我が手の者が捕まり、厳しい詮議(せんぎ)が行われました。我が手の者は口を滑らすなら舌を噛むよう操られし輩。決して秘密が漏れる事の無い手筈ではありました。只、バッジョは毒の入手経路を掴んだようで、執拗(しつよう)に近辺の調査を繰り返したのです。更に王妃には常に屈強な二人の護衛が付き従うようになり、王妃もなかなか隙を見せません。少々乱暴ではありましたが、私は手の者を増やして王妃に付く護衛の者を殺害しました。そして王妃は部屋の窓より地上に突き落とされたのです。使用した手の者は良い手練れの者でしたが、念を入れて、私はその者の口も封じました。これは私だけが知る秘密。しかし今、スパイサー様も知りましたな!?

「ええい知らぬ知らぬ。儂は何も聞いてはおらぬ」
「ふふっ。それが良いでしょう。その年は随分と人の血を流しました」

 人の死が嬉しいのか、話しながら()みを浮かべるセラヌである。

「塔造りの居館(パラス)から転落したセレーヌ王妃の側には、人だかりが出来ていました。王妃を部屋へと運び込む人々の中にバッジョの姿が見受けられます。駆け付けた医者が王妃の死を宣言すると、その場に立ち会った者が皆一斉に泣き叫び始めました。悲運な王妃の死を悼む彼らの哀哭(あいこく)を、私は部屋の外で聞いていたのです。すると突然、中より乱暴に扉が開き、怒りで鬼のような形相(ぎょうそう)をしたバッジョが、部屋を出て行きました。咄嗟(とっさ)に扉の陰に隠れた私は、手の者を呼び寄せ、密かに奴の(あと)をつけさせます。しばらくの時を置き、バッジョが幼い王子アーテリーを連れジェリドの居城に入ったとの一報が入ります。その知らせを受けた私は、『エレーヌ王妃とゼルティ前王の殺害を企てたのは、近衛隊長のバッジョである!』と城内に噂を広めさせます。ジェリドの居城などと遠くに出向き、城内にバッジョが居ないのですから、それは楽なものです。城内に居たバッジョの部下も全て拘束した。この先はスパイサー様も御存知の通り。逆賊を討つ旗頭に、亡き王の弟君(おとうとぎみ)スパイサー様の名を戴き、バッジョが留守の間に、素早く奴の居城カーレル城を攻め落とした。『アーテリー王子を(かくま)うようバッジョに指示を受けお連れした』と、只の子供に高価な甲冑を着せ、多くの護衛を付け奴の居城に向かわせると、カーレル城の兵士は、いとも簡単に城門を開ける始末。それは楽な仕事でした…」

 セラヌは微笑を浮かべ話し続ける。

「あの頃の私は、スパイサー様が次期国王に成られる為にと、様々な策謀を巡らせておりました。その妨げになる諸公の居城には、密かに手の者を配置していたのです。王子を連れたバッジョがジェリドの居城で話した内容も、遅れて現れたオーツを交えてなされた合議の全てを、私は知ることが出来ていたのです。カーレル城が我等に()められ落城した。その知らせを受けたバッジョの驚きは、たいそうな有り様であったようで… 今でもその嘆きざまを、この目で見たかったと、それはとても残念に思っています。しかし、こ度の戦で、命からがら逃げる奴の無様(ぶざま)な姿を見る事が叶いました。これも我が(きみ)スパイサー様のお陰に御座います」

「セラヌよ…」
 黙って話を聞いていたスパイサーが口を開く。

「バッジョは何を話していた?」

「はい。バッジョが成長した王子アーテリーを連れ王国に戻る日まで、ジェリドとオーツは引き続き国に留まり、兵を掌握できる地位に就いている事。バッジョは二人にそれを約束させていました。そして来るべき決戦の日に備えて、堅く友情を誓い合った奴等は、暫しの別れを交したのです」

「それをお前が利用したと!?

「はい。二人をそのまま我が国の槍兵隊長と騎兵隊長に任命するように、スパイサー様にお伺いを立てました。企ての総てを私に知られているとは夢にも思わぬジェリドとオーツは、喜んで王の任命を受け入れた… 力ある二人が臣下になった事で、その後は目立った抵抗勢力も居なくなり、スパイサー様の時代が幕開けと成ったのです」

「そうであったな。王妃派の二人が儂に付いた事で、すんなり王位が転がって来たのは事実である」

「お許しください。私はふたりの監視を続け、奴等には油断させるよう、部下に指示をしておりました。王には奴らの反意(はんい)を知りながら苦々しい日々を過ごしていただきたくはなかった。更には将来襲い来るバッジョとアーテリーの脅威を感じることなく、王には安らかな日々を過ごして欲しかったのです。私は王の盾となり、必ず王をお守りする覚悟にございました」

 セラヌの説明を聞いても尚、『危うく儂の首が飛ぶところであったのだぞ』と、不満の残るスパイサーではあった。しかし既に表情からは、怒りの色は消え失せていた。

「但し私は、このような大きな戦を望んでいた訳ではありません。バッジョとアーテリーを密かに始末出来れば、それこそがベストと考えていました。あの日より、姿をくらました二人を探し、我が手の者は国を離れ遠い他国を渡り歩きました。しかし二人の居場所を掴めたのは、奴等が王制に不満を持つ民衆を誑かし、蜂起(ほうき)をする寸前の時でしかなかった… 急いでアーテリーの身辺を調査した我等が成せたのは、あのシャルルという小娘を(さら)って来る事、それが、精一杯の事だったのです」

「セラヌよ。あの小娘はバッジョの娘なのか?」

「いいえ。バッジョには娘はおりません。あれはアーテリーの恋(わずら)う相手にて」

「アーテリーの恋煩いの相手とな。成る程。アーテリーの青臭い性衝動を利用するとは、何ともヌシらしい所業じゃ。それで、その娘はどうした? 既に村に送り返したのか?」

「これはスパイサー様。アーテリーとの約束を守り娘を村に返すなどと、まさか」

「よい。もうよいのだ。娘は返してやれ」

「敵に情けなど、スパイサー様らしくもない」

「いいやそうでもないやもしれぬ。殺戮(さつりく)に明け暮れる日々に、余はいささか疲れたのだ」

「それでは仰せの如く、娘は丁重(ていちょう)に村まで送り届けましょう。自分が(まね)いたアーテリーの最後を()の当たりにして、娘は最早抜け(がら)同然の状態。余計なことを喋られる心配もないでしょう」

「丁重にな。くれぐれも丁重にだ。アーテリーにまで呪われてはかなわん」
 そう言うとスパイサーは、鼻をかみ布を床に放り投げた。

「カツカツ」
 寝室の扉を外側から叩く音が聞こえる。

「誰か?」
 宰相セラヌが扉に歩み寄り尋ねる。

 扉の向こうの相手を確認したセラヌは、何やら言葉を交わし、スパイサーのもとに戻ってくる。

「スパイサー様。こたびの戦勝祝いに、近隣の諸公貴族が続々と城に訪れています。到着された皆様は現在、玄関ホールにお集まりいただいておりますが、王よ御面会なされますか?」
 表情に疲労の色が濃く現れるスパイサーに、セラヌが尋ねた。

「セラヌ。今宵はもう誰とも会いたくはない。ゆっくりと乙女の肌に抱かれて眠りたいのじゃ。何とかならぬのか!?

「はっ。総てはこのセラヌにお任せを。今宵は国王の戦勝祝いを盛大に()り行う事に致しましょう。諸公貴族のみならず、臣下、兵士、城下の民にも十分に料理と酒を振る舞い、夜明けまで祝宴を張る事にいたします。こ度の勝利に、国の全ての民が、スパイサー様の誉れに益々忠誠を誓うように。そして近隣の諸公貴族は、今宵振る舞われる美酒美食に、我が国の有り余る富の力を知る事でしょう」

「ふふっ。武の力は先程、余がみせつけたからのう」

「国王の御威光の前に、もはや我が国に戦を仕掛け来る者など、近隣には誰もおりますまい」

「ふふっ。うーぶるぶる」
 笑っていたスパイサーが急に身体を震わせる。

「スパイサー様。どういたしました?」

「いや、あのアーテリーの凄まじき修羅の形相。今思い出してもまだ恐ろしい」

「大丈夫です。目の前で突き殺したではありませんか。既にこの世から居なくなったものの事など、もうお忘れください」

「そうであった。それでセラヌよ、余の方はどうなるのだ?」

「早急に、美女たちに申し付け、美酒美食を運ばせましょう。国王様にはこの場にてごゆるりとなされますようお願い申し上げます。私は王の代理で祝宴の席に向かわせていただきます故、あとの事は心配なさらずにここでお過ごしください。その代り明日は、諸公、貴族、臣下、兵士のみならず平民も城内に入れ、中庭には溢れんばかりの人間を集めおきますので、二階からで結構に御座います、皆にお手などお振りいただければ幸いに存じます」

「明日な!? 明日で好いのだな!?
「明日に御座います!」

「よし、よし」

「扉の外には屈強な近衛兵が警護をしております。従者も控えておりますので、御用の際は何なりとお申し付けください。それでは早速に祝宴の準備いたします。ああそうでした。バッジョの事も私にお任せくださいますか?」

「バッジョをどうするのだ?」
「すでに罠を張っております」

「まだ生きているのか?」
「はい。先程変装した姿で城下に現れたと報告を受けております」

「ここには来ぬだろうな?」
「大丈夫です。既に我が手練れの手中に御座いますれば」

「本当だな?」

「はい。すぐに殺すことも出来ますが、もう少し泳がせて準備が整い次第、生け捕る積りでいます」

「生け捕った後は、八つ裂きにするのか? 猛獣に食らわせるのか?」

「スパイサー様がお望みなら獣にも食らわせましょう。しかし、他に良い考えもございます」

「どのような考えだ?」

「はい。反乱の首謀者バッジョは国王に許しを()う為に城に現れた。慈悲深いスパイサー王は、寛大にもバッジョを処刑せずに島に流した。そう国中に()れまわるのがよろしいかと…」

「セラヌよ。バッジョが詫びて命乞いをするとでも思っているのか?」

「どのような拷問をしてもそれは無理かと」

「それではどうするのだ?」

「ふふっ。事実のみが民の語らう噂になる訳ではありません。ましてこの国の歴史や事実は、スパイサー様と私が作り行くもの。お任せいただければ、いかようにでもお作りいたしましょう」

「ほおーっ。成る程のう」
「はい」

「バッジョを捕まえて」
「毒で咽喉(のど)を焼きます」

「手足を縛り。喋れなくしてか? そして城下を引き回す?」

「はい。奴がどんなに叫んでも、民衆の目には王に逆らった後悔の叫びとしか映りません」

「その後はどうする?」

「島流しにと沖に連れ出し、誰も見ていない海上で石を抱かせて沈めます」

「セラヌよ。この国に神はおらんのう」
「はい。スパイサー様の前では魔王もひれ伏しましょう」

「まさかそちが魔王ではあるまいのう?」
「スパイサー様、お(たわむ)れを」

 セラヌは静かに目を伏せた。

「ささあっ。王もさぞかしお腹がお()きになった事でありましょう。即座に料理を運ばせます。暫しの間お待ちください」

 そう言ってセラヌの長い腕が大きな弧を描く。深々と王に向かいお辞儀をしたと思った次の瞬間、既にセラヌの姿はそこになかった。次いで風が通り過ぎたあとのように、静かに寝室の扉が閉まる。

「相変わらず素早い奴よ…」
 身軽なセラヌの振る舞いに、今更ながら感心するスパイサーであった。
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登場人物紹介

Sophie(ソフィー) 

堕天使ルシフェルと対峙する程の、ピュア(pure)なパワーを持つ少女。




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