第37話 魔王セラヌ 西暦2025年 July

文字数 1,685文字

 ニューヨーク市のマンハッタン 
 NY New York City Manhattan

 高層の樹林、摩天楼の足下を静かに走る一台の車両(しゃりょう)がある。フロントが大きく前に突き出た形容、重厚で銀色に輝くボディが、美しい街並をすり抜けて行く。白革の後部座席には、優雅に腰掛ける魔王セラヌの姿があった。豪華で近代的な設備を有するセントラルスターホテルに向かって、車両は走り続ける。

 静かな車内で、魔王セラヌは遠い過去の感慨(かんがい)(ふけ)っていた。

(正義の騎士。あの黒眼帯、バッジョとか言ったな。カーリー・バッジョ? いや違う。何バッジョと言ったか。ふふっ、1500年も昔の事だ、流石の私の記憶も危うい。しかし奴が何故、再び私の前に姿を現すのか? 確か奴は、暗黒の時代、あの頃の私の傀儡(かいらい)スパイサーに楯突くアーテリーの騎士であったな。アーテリー王子。奴の事は1500年が経過した今も尚、鮮明に記憶している。奴の聖なる力は、あの頃の我が脅威でもあった。しかしアーテリーは上手く討ち取った筈。奴には人間の優しさや正しさが逆に(あだ)となった。ふふっ、それを利用させてもらった。そして、騎士バッジョなどは赤子の手を捻るがごとく簡単に補足し、牢に入れたではないか。いいや待てよ、奴を確かに補足はしたが、沈める積りで運んだ大海原で逃がしてしまったのか… その後、奴はどうした。はて、どうしたと言うのか? 何故思い出せない。ああっ、私は自分の記憶に霧を掛けている。無意識に自分の記憶をベールで覆い隠しているのだ。そう、この苦み。私はこの苦みを忘却(ぼうきゃく)する事を望んだ。今この時まで、1500年を超える長き間、私は兄セラヌリウスの記憶を覆い隠し生きる事を望んだのだ。この苦み、何と不愉快な感覚か…)

 魔王セラヌは静かに(つぶや)く。

(嘗て私には双生(そうせい)の兄がいた。太古の時代より、私達二人は同じセラヌリウスとして常に生死を共にして来た。しかし私は紀元前52年ガリアの地で、ルシフェル様に導かれ、唯一のセラヌとなり兄と別れた。それ故、次の転生に(おい)て最早我等兄弟が共に同じ母体から生まれ出る事はなかった。だが私は、兄セラヌリウスが西暦500年のブリテンに転生し生きている事を理解していた。その頃はまだ我等二人の無意識の領域は繋がっていたのだ。私は精神世界にて兄の存在を認識し、ヒベルニア島に兄セラヌリウスが存在する事を知っていた。繰り返す転生を止め、霊界や神界を捨てた今では最早、兄の存在を知り得る(すべ)はないが、あの頃はまだそれが可能であったのだ。あの日、沖に流したバッジョを兄セラヌリウスの意識が捕捉し、宇宙の意思が二人を結びつけようとしている事を知った。私は兄セラヌリウスの無意識の表像(ひょうぞう)を見る。大天使ミカエルに導かれしソフィーが、兄セラヌリウスとパトリシアを連れ、ルシフェル様や我等魔族に戦いを挑んで来る表像を私は見たのだ。その時私は悟った。暗黒時代のブリテンで、私とスパイサーが戦ったアーテリーやバッジョの正体を… 小憎らしいバッジョがパトリシアの化身。王子アーテリーはソフィーの化身であったのだ。その時、もっと早くに気付いていれば、別の仕様(しよう)もあったものよと、歯を噛む思いもしたな。しかしあの時はこうも思い直した。ソフィーの化身アーテリーは既に葬り去った。あとは確実にバッジョと兄セラヌリウスを葬るのだ。そう自分に言い聞かせた記憶がある。その後の私の行動は素早かった。即座にグレンに先発を命じ、更に兵士を満載(まんさい)した軍船三隻をヒベルニア島に遠征(えんせい)させた。その結果、暫くの年月を費やしはしたが、兄セラヌリウスの肉体は(つい)えた。だがバッジョは逃がしてしまう。その後もバッジョに対しての探索は続けたが、結局奴の消息は(つか)めなかったのだ)
 魔王セラヌは慎重に過去の記憶を整理していた。

(西暦525年のヒベルニア島に於て、兄セラヌリウスとバッジョはどのような会話をしていたのか? 奴ら二人が、この私を倒す相談をしていたのは確かだ。だが今やそれを知る術は無い)
 魔王セラヌは沈黙する。

 けたたましい都会の雑踏(ざっとう)。しかしセラヌの精神は、完全に静寂(せいじゃく)を支配していた。
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登場人物紹介

Sophie(ソフィー) 

堕天使ルシフェルと対峙する程の、ピュア(pure)なパワーを持つ少女。




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