第65話 というわけで

文字数 1,198文字

 この連載も終わります。
 まだまだ蒸し暑い日が続きそうだけど、これはもう仕方ない。
 七月二日から始めて、ちょうど二ヵ月、もう二ヵ月も経った!
 夏が終われば、あとは年末。秋は、あっというまに、でもノホホンと、確実に足音も立てずに過ぎていきそう。そう、秋はそういう季節なのだ。夏の疲れを癒すようであり、癒されることに微かな悲哀があるようでもあり、という。
 涼しくなると、モヤシが買えるのが嬉しい。近くのスーパーはなくなってしまったので、買い物に十五分ほどの時間を要する。熱にやられ、帰宅時にはモヤシは痛んでしまったのを見て以来、モヤシの購入を断念していたからだ。やはり野菜炒めには、モヤシがいて欲しい。
 冬になれば、料理は楽である。毎日、鍋ができるからだ。白菜、タラ、しめじ、まいたけなどで、簡単にできる。糸こんにゃく、人参、大根、何でもござれである。鶏肉も活躍する。

 アーモンドチョコレートなんかも、夏は溶けてしまうが、冬は常温でOK。冷蔵庫にあれこれ入れる必要もない。
 何でも値上がりする商品だが、うまく特売を、広告の品を活用していきたい。安物買いの銭失い、というが、こと食に関しては、失う前に食えるのだ。庭にある雑草を食えないものか思わないこともないが、これはきっと試さない。
 ところでタバコの話をすれば、ライトなタバコより、ヘビィなタバコの方が、妙な咳が出なくなった。咳は出るが、しっかり、ちゃんと出てくれるのだ。ライトなそれは、中途半端な、まどろっこしい咳になる。いつまでも後を引くようなのに対し、重めのそれは、後を引かない。たぶん身体に合っているのだ。この傾向は、読む本に対してもそうだし、そして重めさがなければ軽くもなれない。飛翔するためには、一度重心を下にする必要がある。つまり絶望とか、そんな気分は、何としても大切なことなのだ── ということは、キルケゴールによって実証済みである。

 人生において最大の苦痛は後悔であると彼は言う。これも必要以上に確かなことだ。後悔! あの眠れぬ夜に

のように、どこからともなく、呪いのように押し寄せやって来る、あの時・あの瞬間の挙動・判断への後悔! だが、それも、何とも愛すべきものである!
 そして欠かせないのは情熱だ。生には限りがあることを知り、ほんとうに知り、その中で、喜んで足掻くこと。これを喜びと言わず、哀れと言えまい。
 おそらくキルケゴールは、一般に、もう読まれまい。思考を要し、それに要する時間を要し、だからといって何だということになる。もう、そのような思索に、最初からフタをする人が増えたように思う。昔々からそうだったのだ。ゆえに、それが一般であったのだ。
 秋、冬と、よく、よくキルケゴールを耽読しよう。この人は、こういう言い方をするのだ、とわかったら、その一見難解な文体も、心地良く感じられることだろう。
 では、そういうことで。
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