ふたりの恋愛談義

文字数 1,739文字

「もしあのまま別れずに、いまも一緒であったなら、ふたり、どうなっていたのだろう。
 初恋に終わらない恋愛経験のある男女なら、誰しも想像する仮定の話です。えてしてそういう想像は、今一緒に暮らしている人への不満から起こるものです。
 もし、こいつでなく、あいつであったなら! 部屋はこんな乱雑になっていなかっただろう。あいつはキチンと、あるべきところに物を置いた。整頓能力に長けていた。それに比べて、こいつはどうだ。いつも出しっぱなしだ。そしてそれを、屁とも思っていないのだ。

 ああ、あいつだったら、料理もうまかったし、部屋がきれいだった! 家計のやりくりも上手だった。野球チームがつくれるぐらい、子どもも欲しがった! 等々、現在と全く違う状況を妄想し、人は今を嘆くのです。
 嘆くに相応しい、都合のいい材料を見つけ、それをわざわざ持って来て、手ずから調理し、不味い不味いと文句をいいます。そして自分を不幸だと思おうとします。滑稽なものですよ。不幸になりたくて、自分から好きで不幸になっているのに、そのことにまったく気づこうとしないとは」

 牧師のような黒い衣服に身をつつんだ、中年の紳士が言った。

「そうですよ、そうですよ、うちのひとときたら、以前つきあった恋人のことが忘れられず、今もたまに、写真なんか見ているんですよ! いやらしいったらありゃしない。 そんなにあの人が恋しいなら、さっさとわたしを捨てて、あのひとのところへ飛んでいけばいいのに。未練がましい。
 ねえKさん、男のひとって、ばかみたいに夢見がちですね。仙人が爺さんばかりなのも、うなずけますよ。夢ばかり見て、生きているのじゃないかしら。女のほうが、よほど度胸がすわってますよ。
 せこいんですよ、男は。肝っ玉なんて、だらしなくぶら下がってるだけで、いつもオロオロして、情けない。いちいち人のご機嫌うかがって、わたしがちょっと不機嫌だと、キミヲ・幸福ニ・デキナイなんて言って、この世の全責任を負ったような顔をするんです。

 男に、幸せにしてもらおうなんて考えたら、それこそ不幸の始まりですよ。女は、そんな弱くないですよ。男って、いつも過去に縛られて、自分のしてきたことばかりにこだわっているんですもの。愛の行為にしても、こっちの様子や反応ばかりうかがって。
 女はね、ただ大切にされて、愛されれば、それで幸せなんです。やさしく、そっと、抱きしめられるだけで幸せなんです。ひとりで発射を待つロケットみたいになって、どこへ行くんだと思いますよ、男は」

 地味なワンピースの、中年女が言った。

「でもマダム、恋をするというのは、たがいに夢を見合っているようなものではありませんか。あなたはあなたの夢を、かれはかれの夢を、おたがいの中に見ているんです。恋愛は、その最果(さいは)ての夢ですよ。
 幻想なくして生きていけるほど、人は強くありません。女と男は、とくにそれを手っ取り早く求め合えるように、生理的に、身体的につくられているんですね。そうして幻滅したり、失望したり、ひとりで勝手にやってるんです。だって相手に希望を見、欲を抱いたのはほかでもない、ひとりの中の幻想なんですからね!」

「だったら」中年女が言った。「もっと幸せであっていいはずですのにね」
「そう」牧師のような男が言った、「不幸になりたくて、好きで不幸になってるんですよ。同じ道理で、幸せも全く可能なのに」
「今度いってみようかしら、あなた自分で好きで苦しんでるのよ、って」

「いや、それをいっちゃおしまいです。おおかたの人はそれを認めたがらないでしょう。認めておやりなさい、せめてあなただけでも。不幸になりたい彼を、認めて、許しておやりなさい! さすれば、あなたの寛容と勇気に、彼は自由な鳥になって、海に帰るようにあなたに帰ってきますよ。自由、ひとりの心細さに、耐え得る人間は、そうザラにいるもんじゃありません」

「あなたとわたしのように?」
「ええ、ええ。… 今夜はいいところに宿をとってありますよ。不自由と自由を、行ったり来たりするのがアヴァンチュールの醍醐味ですからね、マダム。恋愛する心理は、どんなに人が変わろうが、時代が変わろうが、変わりゃしませんや」

 場末のサロン。時は二十世紀、初頭。
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