第48話 恐怖

文字数 959文字

 恐怖とは、何なのだろう?
 想像のうちにあることは無論だが、その想像される恐怖、想像が生み出し、そこに「ある」と実感される恐怖とは、何なのだろう?
 今、もし僕の前にナイフを持った男が現れ、こちらを向いてニタリと笑われたら、僕は恐怖におののくだろう。
 まだ殺されていないのに、殺される一瞬先の未来を想像し、恐怖に叫び声をあげるだろう。そしてその切先が僕の身体を突き刺すとき、僕はそのとき痛みに貫かれるだろう。次に来る一瞬先の、死への恐怖は、そのとき、まだ持ち得ているだろうか?

 同様に、歓喜の構造も、おなじ具合のように思える。
 期待、希望。これそのものは、未来にある。それを抱いているとき、胸はふくらむ。だが、その未来が、はたして希望にかなうものであるのか否かは、その未来がやって来るまで、雲をつかんでいるが如き状態にある。
 この場合の想像には、期待、希望が不可欠で、これなしにその状態はない。
 そしてそのときがやって来た時、さらに歓喜に打ち震えるか、こんなものかと物足りなさを感じたり、全く想像と真逆の結果で、失望、失意のどん底に突き落とされる心地がしたりする。

 だが、その一瞬先までは、希望と期待に、ひとり微笑んでいたりする。

 恐怖と歓喜、その精神的なメカニズム、時間は同じ時間であるのに、一瞬先までの時間のなかで、全く異なった心地で生きることになる。

 まだ死んでいないのに、そして死んだこともないのに、死への恐怖によって、ほんとうに病んでしまい、死んでしまうことだってあるだろう。

 その一瞬先の未来が来るまで、何をどう考えていようが、自由なのに。

 ところで、その精神、心ともよばれるものには、傷がつく。血が出るわけでもないのに、傷がつく。傷ついた心は、それを抱えるものに、メシも食えないほどにさせる。頭さえ、痛くさせる。
 そして、傷つくのはイヤだ、とおもう。
 すると、希望も、期待も、一緒に失せてしまう。

 希望のない時代。
 もしそういう時代があるとすれば、それをつくっているのは、臆病さではないか?
 傷つきたくない。失望したくない。
 希望なんか、持たなければ、自分を守ることができる…
 自分だけは、守ることができる。
 自分だけは。
 そうして、ほんとうの恐怖へ陥っていく気がする。
 つまり、まわりとの、隔絶によって。
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