第46話 女性観

文字数 912文字

 女性観、といっても、結局自分が今まで接してきた、接していただいた、女性に対する自分としての体験から得た、ぼくの中の「観」でしかない。
 それによれば、あまり厭世的なひとはいなかった。少なくとも自殺を考えたり(あ! 思い出したけど、すぐわかれてしまった… フラれてしまった)するひとと、ながくつきあえたことがない。
 波があって、ぼくにもペシミスティックでない時期もあった。が、自分の人生として見たとき、厭世、というより厭生、だったが、ああ、生キテルノ、ヤダナ、と捉えている時間のほうが多かったと思える。

 自殺、考えたことある? と僕が訊いても、ないなァ、と応えられるのがほとんどだった。ほとんどといっても、三人だけだが。
 思うに、ぼくは乾電池でいうところの、マイナスである。だが、女性、ぼくときっと少なくないはずの時間をともにしたひとは、プラスの、対極にあるひとが多かったのだと思う。
 この小文でいいたいことは、何ということもない、その対極── プラスとマイナスがあることで、ひとつの乾電池のように、一緒に生きた時間があったのではないか、ということだ。

 おなじプラスどうしでは、ダメだったのではないか、と思える。
 磁石だって、おなじだったら、反駁しあって、くっつかない(ですよね、たしか)。
 押して開けるドアは、一方から見れば、引かれて開くドアである。
 
 一方通行どうしでは、一方通行すら成り立たない。

 押して、引いて、こっちとあっちがあって、それで一つの乾電池的関係ができあがるのだと思う。
 そして、そうして初めて、ひとつとしての、だからぜんたいとしての、パワーのようなものが生まれるンだ、と思う。

 みんながみんな、おなじであるはずがない。
 そんな世界は虚妄だし、ちがっているからこそイイのだった。
 そのイイを、楽しめたら、もっといい。
 いちいち目くじら立てて、おなじになれ、などと、どの口が言えるかと思う。
 だが、おなじになりたいと思う。
 だが、ちがうから、そんな希望に身をまかせることができるのだ。
 違い、ヨシ。
 左右確認、ヨシ。
 指さし確認は、安全第一作業の基本である。
 ヨシ!
 ヨジ!
 よく確認して、この世を渡ろう。
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