第33話      〃      (2)

文字数 1,523文字

「婚前生活」は、先月開催された第2回課題文学賞に応募した。結果発表はまだだが、特に何のこだわりもない。面白い作品が書けたので、よかったと思う。「のだ」「である」調が、滑稽な感じに読まれたらと願う。いや、これはなかなか面白かった。
 ~賞、というからには、それにふさわしい作品が選ばれるべきだ。相応の作品は、ほかの作者さまが書いていらっしゃる。ぜひ、あの素晴らしい作品が選ばれればと願う。
「親子」も同じく第2回の課題文学に書いた。「写真で一篇」というので、これは難しかった。が、書いているうちに「あ、書ける!」と何やら嬉しくなって、そのまま特に何ということもなく書いた。
 書けないと思っていたものが書けたという、それだけの達成感で喜んだ作品。

「お帰りなさい、キルケゴール」は今年の2月から始めて、しっかり頓挫している… いつも、キルケゴールの視線は感じているが、はたしてその著作があまりに難しい。あの、とことん「行く」姿勢だけは、たえずかれと一緒にいるつもりではあるのだが、そこまで行けていない。もっともっと、埋没していいんだと思う。ただ、懐かしい友と出逢える感じがして、書いている時はいつも楽しい。

「椎名麟三『愛について』を読む」は、ほとんど写経と化している。椎名さんの本は青空文庫にもなく、kindleにもなく、このまま消えてしまうにはあまりに惜しい。戦後文学の第一人者であった椎名麟三は、少しでも読まれてほしい。
 読まれ続けるというのは、まして時代を超えて、難しいと思うが…。

 椎名さんとキルケゴール、どっちが先に自分に入ってきたのか、ほぼ同時期だったと思う。小学六年か、中学の頃だ。キルケゴールからは、自己の内に確かに入ってきた手ごたえを感じた。椎名麟三からは、(「深夜の酒宴」を読んで)生きていくとはどういうことか、というような、いわば「足ごたえ」を感じた。
 僕には実存ということが未だに解らないのだが、自分の中では、キルケゴールを発祥地として、椎名麟三にその地の歩み方を教わったような気がしている。

「戦時下にて」は、あの戦争が始まった時、ほかに何も書く気がしなくなって、書き始めた。もう四ヵ月経つんだ…。あの戦争が終わるまで、なるべく書き続けたい。内容が、戦争と関係なくなってしまうこともあるけれど、むりにタイトルにこじつけなくてもいいと思った。
 しかし、いつまで続ける気でいるんだろう? コロナあり、元首相の暗殺あり、わけのわからない通り魔事件あり、飛び込み自殺もしょっちゅうあり… 豪雨あり、暑さあり、あまり動きたくない、部屋でおとなしく引きこもっていたい気持ちになる。
「国葬にする」とか言っているけれど、そんなに偉大な人物だったのだろうか。

 この「夏は軽く」は、ほんとに暑い日々が続いた今月はじめに、あまり何も考えず書こうとして始めた。
 だが、やっぱり考えてしまう。
 夏が終わるまで、続けたいと思っているが、今年はやたら身体のガタが際立つ。何が健康か、とまた考える。自分なりのトシの取り方をしてきたわけだし、比べれば「これは不健康」となる。だが現実、個々に違うのだ、というところで、それこそこの身体、一個の身体としてだけ、見つめていたい気もする。
 衰え、とか、劣化、とか、それはぜんぶ比較の上での話。もしそうなったとしても、なっていることを自覚するが、これは私の自然なのだ、と思いたい気もする。
 そしてほんとうに自覚して、このままじゃいけない、変えよう、変わろう、とするのも、自然なのだ。
 基本は、「そのまま」だろうか。
 いつまで続くんだろうと思う。
 ただ、何か書いて、それが自分からそんなハズれていない時、しあわせな気持ちになる。
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