第42話 言葉

文字数 930文字

 たとえば「最近、調子がいい」などと、ここに書くとする。
 すると、その後、時間がたって、なんだか調子がわるくなっているような気になるときがある。
 断言、確言したことが、ウソになるような…。
 結婚式で、もし「汝は、新婦のことを永遠に愛しますか」みたいな質問を牧師さんにされたら、ぼくはやっぱり「わからない」と、泣きそうになりながら答えてしまいそうだ。その時はその気になっても、ほんとうには、やはりわからない。ホントウ、とは、永遠のこと、永遠に変わらぬものをいうのだろうか?
 椎名麟三は、「肉体を超えられないこと」を愛の限界とした。
 命あっての物種、というのはほんとうだろう。死んでしまえば、愛もへったくれもなくなる。そして愛には、相手も要る。自己愛だろうと、他己愛だろうと、

があっての愛である。

 愛とは、許すことだという。何を許すのか。許せないものを許すのだ。許せないものとは、その相手、対象を許せないとする自己である。自己を許すことが、愛へと繋がる、紐帯であるだろう。
 しかし、自己を許すとは? ナマケる自分がいる。ナマケたいとする自分がいる。暑いのをいいことに、何もしたくない。そして、それではイケナイ、と切実におもう。で、何やら動く。これは、ナマケたい自分が許せないということだろうか。ナマケる自分を愛せないということだろうか。

 今はそうでなくなったが、職場なんかにナマケているヤツ(手を抜いて、ほんとにチャンと仕事をしないヤツ)がいると、腹が立った時期があった。ふだんは温厚でとおっているから、あまりに手抜きするそいつにぼくが怒ると、上司がびっくりして、どうしたんですかと飛んできたこともあった。
 仕事とプライベートは違うといっても、基本的にチャラチャラした人間を、ぼくは苦手とした。それは、チャラチャラする自分が許せなかった、という面が為せたものでもあったろう…
 そのくせ、自分がしっかり仕事をしている意識があったから、しっかりやれよ、などと言われると、また腹が立ったりもした。

 売り言葉に買い言葉。ブーメラン。
 言葉を発するということは、相手に向かい、自分に向かいする。
「ほんとうは」などと言い出した時点で、自分はすでにダメだったのかもしれない。
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