第32話 投稿したものへの投稿(1)

文字数 1,616文字

 さて、恒例(?)の、自分の書いた文章への自省的な文を書いてみよう。
「月あかり」以降、投稿したもの。
 まず「一枚の絵」。今年の3月に公開し、これは恥ずかしいもの。「サボテン通信」という、今から25年近く前に友人知人に送っていた個人通信の中に書いた文章の1つ。
「のだ」「である」調にムリが感じられる。だが、やはり実際に会ったり、当時の職場で仲良くなった人には、「ぼくにもこういう経験、あります」と笑って言われ、親睦をふかめる文章にはなったと思う。
 太宰の影響が強い。強いのは影響だけで、書いた本人には、たいした強さはなかった。

 同じ3月に、「サボテン通信」を投稿している。これは1995年に、実際に「とまりぎ」という場所を開き、その際つくったビラをそのまま第1話に書き写した。名前は仮名を使っている。
 まだ僕の子どもも三歳だった!
 2話以降、その通信紙に書いていた僕の文章からの抜粋になる。いろんな方が寄稿して下さって、面白い通信紙だったと思う。コンビニでA3で両面コピーし、ページ数を間違えぬよう4~8ページの

をととのえ、三つ折りにして封筒に入れ、宛名を貼り、切手を貼り… ピーク時は6、70部、送っていたと思う。
 月例会に、やっぱりいろんな人が来てくれて、いろんな出会いがあり、楽しかった。

 5月には、このノベルデイズの課題文学賞だかに「十五の初夏の日曜日」を応募した。もちろん落ちた。だが、才気あふれる方からコメントを頂いたりして、とりあえず書いてよかった、というか、あれしか書けなかった、という「作品」。
 同じ課題文学、3つのキーワードは違っていたけど、やはり応募したのが「夜の記憶」。これはデイズ・ネオのツイッターで紹介された。(よくコメントを頂き、その方のおかげで今もこうして自分は書いていられるのではないかとさえ思う、その方から「紹介されてますよ」と教えて頂いた)
 これは、自分の書いた「作品」の中でも、作品です、とちょっと胸を張れるものだと思う。かろうじて起承転結もありそうだし、そんなものにこだわらぬでもいいだろう、というようなことも、何か教わった気がする。

「理髪店にて」は、その課題文学賞に応募した後の勢いで書いたような手ごたえがある。フィクションだけれど、会話の中に自分の云いたいことを云えた。
 О・ヘンリの短編に「緑の扉」というのがあって、中学のころ僕はこの小説を読み、実際に近所に「緑の扉」という名の美容室があった。
 たまたま風呂場で何を読もうかな、と部屋の本棚を見ていたら、О・ヘンリ短編集が目についた。その「緑の扉」を懐かしいなと思いつつ、湯船に浸かって読んでいたら、床屋の主人と客の設定で何か面白いものが書けそうだな! と思い立ったのが、この文章をつくるきっかけになった。

「愛ことば」はお遊びで書いた。一度、やってみたかった。あいうえお… から、文?をつくるやつ。
「ペシミスティック・サロン」は、初めてのチャット・ノベル。その形式が新鮮だったけど、うーん、こんなもんか、という感じ。できれば、やっぱり言葉だけで埋めたい。面白いとは思ったけれど…。そんな、チャットノベルである必要性は、自分に感じなかった。

「記憶の断片」は、アルファポリスに「厭世主義者の日記」みたいに書いていたやつを、思い切り短くした。ほぼ事実を書いているけれど、やはり明るくない。書く前は、焦点が定まっていたのだけれど、書き始めたらボヤけていくような感覚があったような。それを強引に自分に納得させたような感じが手ごたえに残っている。
 記憶というのは、どこからどこまでが記憶か、と思う。何十年も前のことなど、何十年も経った今までに、どうしたって捩じれているだろう。あの時は、あの時がホントウなのであって、あの時の中にしかあの時はなかった。
 あれは事実のノンフィクションだと言っても、はたしてホントにそうなのか、と思ってみたりもする。
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