第64話 「ドン・ジョバンニ」

文字数 992文字

 夏が終わる。終わった。
 終わるも終わったも、同じこと。
 過去形であれ現在形であれ、終わりは終わり。

 昨夜、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」をYouTubeで鑑賞。
 フルトヴェングラーによる、1950年代辺りの舞台で、CDを持っているが観たのは初めてだった。
 鳥肌と笑い、涙、と、ずいぶん感情の波に流された。一貫して言えるのは、モーツァルトの素晴らしさ。あの音楽は、確かにキルケゴールの言っていた通り、理念より感性のほとばしり、絶え間なく流れ続ける血液の流れ、と言っていい。
 ツェルリーナが可愛かった。どの役者さんがやっても可愛い。そして二重唱、三重唱… 重なり合う声の美しさといったら!
「ぶってよぶってよ、ねえマゼット」に笑えたし、ドン・ジョバンニの女たらしぶり、あの役者さんの目線や表情、イヤリングや滑稽(それを狙ったわけではないと思うが)な衣装、だが騎士然とした、いい役者だった。ラストの、騎士長の亡霊(昔の舞台だからこれが妙に生々しく、怖かった)の力に圧倒され、階段から転げ落ちるところは演技以上のものを感じた。

 はたして、ドン・ジョバンニは悪魔だったのだろうか? たぶらかされて、騙されても、まだ彼を愛していた女がいるではないか。ツェルリーナにしても、結婚したてなのに、彼の甘言によろめいているではないか。
 レポレロが重要な位置にいることは、キルケゴールによって気づかされた。この役者さんも実に豊かに表現されていて、笑える。
 しかし何といっても圧巻は、やはり騎士長の石像が晩餐にやって来て、戸口でのドン・ジョバンニとの最終的な問答、対話であろう。
「悔い改めよ、生活を変えろ」と言う騎士長(の霊の)像へ、「いやだ、いやだ!」と断固拒否するドン・ジョバンニ。
 そして「時間がない」と消えていく騎士長の石像に代わり、あまたの亡霊、怨念にまとわれた亡霊たちがドン・ジョバンニを覆い、つかまれ、とらわれて、地獄の業火へ落ちていくのだ。

 三時間あまりの舞台だから、途中、ずっと座っていてもぞもぞする時もある。だが、それもノリのいいモーツァルトによって乗り越えられる。
 喜劇だったのか、悲劇だったのか。ただ変わらぬのは、モーツァルトの生命的な音楽、生への喜び、そして死の喜び、その底流に流れ続けるエネルギー。
 誰が死んだのか? と墓石に刻まれているという、池田晶子の言も想起した。
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