第49話 タバコ屋

文字数 1,113文字

 30分かけてJRの駅前を目指す。
 暑い。
 信号待ちなど、ほとんどの人が日陰に集まっている。
 青になれば、歩き出す。まったく、歩くしかないからだ。

「こんにちは」「こんにちは」アクリルボード越しに挨拶を交わす。
「メビウスの…」と言い掛けたら、「ジタン、入りましたよ」
「あ、入りました?」
「はい、いつもすみません」
「いえいえ、ありがとうございます」

 どういう事情でか、ジタンは発注されてから納品までに時間がかかるよう。この一ヵ月の間に、べつのタバコを買う際、ジタン、あります? まだ入ってないんです、の会話を二回ほどした。
 で今日、いつもすみませんと言われ、いえいえ、ありがとうございます、と言い合ったわけ。

 財布から細かいお金を取り出していると、「暑いですねえ」
 ぼくもうなずき、「暑いですねえ」
 硬貨をお皿に置きながら、「夏バテとかしてません?」と聞けば、「はい、大丈夫です」と笑顔。
 ボードの下から、1カートンが出てくる。受け取りながら、「なんか夏バテ対策してますか」と聞いてみた。
「はい、してます。よく食べて、よく寝てます」と、ニコニコ。
「あ、それが一番ですよ」と、こっちもニコニコ。「でもなかなか続けるのは難しい…」
「そうですね、いろんな時があるから…。でも、心掛けてます」
「うん、心、心は、いくらでも掛けれるから」笑って言うと、「そうですよね」と笑われた。
 そして、おたがいにどうもありがとうございます、と言い合って別れるのだ。

 このタバコ屋に通い始めて二年くらい経つだろうか。
 通うといっても、カートン買いするので一ヵ月に三回くらいのペース。
 このタバコ屋のお姉さんは、いたって普通なのである。30くらいだろうか。どこにでもいるお嬢さんという感じだが、いつも相手の目を見て、しっかり話す。そしてちゃんと、こんにちは、ありがとうを言う。この普通、当たり前のことを、まったく自然にやってのけている。
 この自然さが好きで、わざわざ三十分かけてここへタバコを買いに行く。

 相手の目を見て話すというのは、じつは苦手だ。肝心な話をする時は見つめ合うけれど、それ以外では、相手がこっちの目を見つめているのに、こっちがその目を見つめると、見つめ合うことになってしまう。すると、何だか恥ずかしくなってしまう。
 タバコ屋の女主人と単なる客のあいだに、たいして肝心な話などあるわけがない。
 それでも、いつもしっかり相手の顔を見て、笑顔で愛想良く応対するこのお姉さんの接客態度に、いつも感心してしまう。ああ、またここへ来よう、と思う。
 しかし通い始めて約二年、初めて世間話をした。
 何となく見つめあって、笑いあって話ができた。
 楽しかった。
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