西風・Ⅲ
文字数 2,935文字
「何よりまず診察よ!」
二人の間に三つ編みの女性が割って入った。
「さあ、家に入りなさい」
「僕、診察なんかいい」
「あなたが口も聞けなくなったら、何も出来ないでしょう?」
「今は元気だし」
「一人でそうなれたのかしら? 医者の言う事を聞かないと、口も聞けなくしてあげるわよ」
泣きそうな顔で口をパクパクさせるタゥトの側に姉妹の姉の方が来て、神妙にささやいた。
「母さまに逆らわない方がいいよ。ホントにシンジャウかと思ったんだから、手も足も紫になって」
「ええっ」
「ファー、病人に怖がらせる事を言っちゃ駄目って……」
「はいはい―― いつも言われてマッス! 行こう、タゥト!」
姉娘はさっさとタゥトの手を引いて建物に入った。
明るく暖かな居間で、エノシラに触診され薬を飲まされる間、タゥトはそわそわと落ち着かなかった。
少し置いて、長と呼ばれた女性が入って来た。
先程着ていた分厚いマントを脱いで、薄手の部屋着に着替えている。
肩の柔らかい曲線に、タゥトの知っている他の女性とは全く違う婀娜(あだ)やかさがあった。
タゥトは、何か言おうとしたが、言葉が煮詰まって鍋底に貼り付いたみたいに喋れない。
だってその女性は、タゥトの前の椅子にゆったりと腰掛け、オレンジの瞳を瞬(まばた)きもせずにこちらを見つめているのだ。
かしこまったファーがお茶を運んで来て、長はスッと視線をそらせた。
そして茶を静かに含み、少し間を置いて口を開く。
「さっき、屋根から共に見ただろう?」
「ぇ、な、何を?」
「風だ。お前の村には悪い風など吹いてはいない」
「・・!」
タゥトは真っ赤な顔をして下を向いたが、長は意に介さぬように淡々と続けた。
「本当に私の力が必要な時は、お前の父が私を呼ぶ。しかしそうじゃない時は……」
長は半分残ったカップを静かに置いて、立ち上がった。
「呼ばない・・!」
***
「アデル」
立ち上がった長が窓に向かって呼ぶと夜闇に二つの光が滑り、最初に助けてくれた漆黒の少年が、屋根から半回転して降りて来た。
「はぃよ」
「お帰り、ご苦労だったな」
「別に。飛んで行けば大した事はない。手紙だ姉者(あねじゃ)」
「あっ、姉者!?」
思わず叫ぶタゥトに一瞥くれただけで、アデルと呼ばれた少年は、懐から封書を引っ張り出して女性に突き付けた。
青っぽい漉き紙は海霧の村で使われている物で、蝋印は海霧の神官……タゥトの父の物だった。
口をパクつかせるタゥトの前を通り過ぎ、長は窓辺でそれを受け取って広げ、目を落とす。
「エノシラ」
手紙を読み終えて顔を上げた長が、隅に控えている三つ編みの女性に話し掛けた。
彼女は先程から眉を八の字にして固まっている。
「はい」
「タゥトはどうだ?」
「一晩様子を見た方がいいわ。でももう『命の力の流れる場所』でなくとも大丈夫だと思う。うちで預かります」
「ああ、宜しく頼む。アデル、済まないが、明日この子を海霧まで送ってくれ。二人乗りだけれど行けるか?」
「俺を誰だと思っている?」
「うん、じゃあ任せた」
「僕、帰らない……」
小さな声で呟くタゥトを素通りして、長は幼い姉妹の前に屈んだ。
「お前達もご苦労だったな」
「うん、あ、はいっ」
ファーは、ちょっとタゥトを気にしながら返事をした。
「この子はまだ身体が治っていないから、看病を頼むな」
「はいぃっ。あっねえ、長さま、タゥト……」
「ん?」
「ちょっとカノンに似てマスよね」
周囲の空気が凍りついたのを敏感に感じたファーは、しゃっくりしたみたいに口を閉じた。
「そうだな」
長が静かに立ち上がり、姉妹の頭を撫でた。
「エノシラ、後を頼んでよいか?」
「ええ、おやすみなさい」
自身も凍りついていたエノシラはハッと我に返り、長に敬意の礼をした。姉妹も慌てて真似をした。
タゥトがドギマギしている間に、長はさっさと奥へ姿を消してしまった。
姉妹は茶器を片付けて運び、エノシラは持って来たストールを項垂(うなだ)れた子供の肩に掛ける。
タゥトは情けなくて恥ずかしくて消えてしまいたかった。
お目当てのヒトに会えたのに相手にもして貰えない。っていうか、自分が何を言いたかったのかも分からなかった。
「エノシラ、俺も一旦帰る」
漆黒の少年が、窓から屋根に手を掛けた。
「ええ、気を付けてね」
「それと」
項垂れた子供を黒スグリの目がギロリと睨む。
「太陽が止まって見えるのは、一つの場所からしかモノを見ていないからだ。もっと周りを見ろ、ガキ」
タゥトが目を上げると、もう少年はいなくて、窓木戸が揺れているだけだった。
外に出ると、エノシラはタゥトの肩に手を回して、支えようとした。
「僕、独りで歩けるよ」
「今はね。ここから離れたらそんな事言っていられなくなるわよ」
「?」
何を言っているのか? と思ったが、本当に長の家から遠ざかると、サソリに刺された足がズックズックと痛み出した。
さっき羽根みたいに屋根の上を歩いたのがウソみたいだ。
「大丈夫? ほら、やっぱり掴まりなさい」
エノシラは脂汗を滲ませる子供の腕を取って、自分の腕と絡めた。
「何で……?」
「長様の家はね、西風の里の中で、命の力が交差する場所に建っているの。色んな強い力が働くのよ。貴方の症状が重かったから、長様に頼んで、一番良い場所をお借りしたの」
タゥトは、あの書棚の部屋の爽やかな感じや、水が不思議に美味しかった事を思い出した。
「だったら、長さまぁ、明日までタゥトを寝かしといてあげればよかったのにぃ」
半歩後ろを歩くファーがふてくされた声で言った。
ミィがもう半寝で、フニャフニャと姉にもたれ掛かっている。
「そうね……」
いつもはブゥたれたら叱ってくる母がぼぉっと同意し、タゥトが暗い顔になったので、ファーは慌てた。
「ファ、ファーは、タゥトといたかったから、タゥトがうちに来る事になって、嬉しいよっ!」
エノシラ宅に着き、心を尽くしたベッドに寝かされたが、タゥトは目が覚えていた。
独立した一間を与えられ、親子三人は(お父さんは仕事であまり家にいないって、ファーが言っていた)、狭い隣でギュムッと寝ている。大事にして貰っているのに、切ない気持ちで一杯だった。
いきなり、ベッドの下から何かがヒョイッと出て来た。
「わっ!」
「しぃ~~っ」
口をすぼめたファーが、被って来た毛布をタゥトの頭に伸ばした。
「起きてるかなって思って」
「うん……」
「足、痛い?」
「だいぶん楽になった」
「母さま、名医だもん」
「ああ、うん、そうだね」
「身体ってね、ちょっと痛い思いをしないと、自分で治そうとしないんだって」
「へえ?」
「あんまり『命の力の場所』だけに頼っていたら、ダメなんだって」
「……」
「だから長さまは、タゥトを嫌いなのと違うと思うよ」
「……」
タゥトは毛布ごしの薄明かりの中のそばかす鼻を見つめた。
それをわざわざ言いに来てくれたのか。
「さっきも言ったけれど、タゥトはカノンに似ているの。あっカノンって、長さまのコドモね。額なんかホントにそっくり。だから長さま、どきどきしたんじゃないのかなぁ」
「どきどきって、何で?」
「うん、カノンね、行方不明なの」
「行方……不明?」
「そう、三年前から。うちのお兄ちゃんと一緒に」