君影 明日の君に・Ⅲ
文字数 1,768文字
窓の外を賑やかに駆け抜ける足音がする。
「待ちなさい、タゥト!」
「しつこいぞ、ファー!」
声はドップラー効果で近付いたり遠ざかったりする。
「あの野郎!」
アデルが窓から顔を突き出した。
「俺に伝書鳩やらせて、自分は女の子と追っ駆けっこか!」
「げ! アデル!」
「いいじゃない、どうせアディが、海霧に行きたくてしようがない癖に」
横槍を入れたファーに、アデルは青くなって赤くなった。
「アディって呼ぶな!」
「シアお姉ちゃんキレイだもんね~」
「うっさい黙れ!」
今度は、二人とアデルの追い駆けっこになった。
「アデルも何だかんだいって、まだまだ子供だな。……おおぅ?そんな大層な物を着なきゃダメか?」
祭祀用の裾の長い正装を突き出されたルウシェルは、眉をしかめて後退りする。
「残念ながら貴女は西風の長様です」
大層な身支度を整えたルウシェルは、エノシラと連れ立って自宅を出た。
馬の発着所で蒼の長を出迎える為だ。
共同の料理釜の横を通ると、娘達が釜番をしながら、お互いの髪を結いっこしている。
ルウを見止めると、かしましくさざめきながらお辞儀をした。
「何であんなにキャラキャラ騒いでいるんだ?」
「そうね、ナーガ様が来るってだけで、やっぱり若い娘(こ)達にとっては一大行事なんじゃないかしら。今も昔も憧れの王子様だもの。それにしても確かにテンションが高いわね。まぁ女の子はいつだって、お洒落とお喋りの口実が欲しいのだわ」
「来る方はたまったもんじゃないぞ」
黄色い喧騒を横目に通り過ぎ、空飛ぶ馬専用の発着場に到着した。
円形の生垣に囲まれた広場で、ここもリボンやら花飾りやらで彩られている。
出迎えに参加する元老院の老人達は、まだ来ていないようだ。
「すごい飾り付けだな、皆、どんだけナーガが好きなんだ」
「あら、ルウはナーガ様に会うの、楽しみじゃないの? 子供の頃憧れていた癖に」
後ろで侍従然と衣装の裾を直すエノシラが、シレッと言う。
「いつ誰がだ! 私の人生において、ナーガに憧れた経歴など一行たりとも存在しない。そもそも私が子供の頃はもう、おっさんだったんだぞ、くたびれたおっさん!」
「あはは、はいはい」
「くたびれたおっさんですみませんね」
突然の背後からの声に、二人は飛び上がった。
びっくり眼(まなこ)で振り向くと……
ちょっとふて腐れ気味の蒼の長殿が忽然と立っていた。
翡翠の額飾りに清流のような髪。相変わらず年齢不詳のゴージャスな容姿で、忍んでいるつもりだろうが全然忍んでいない。
「へ? ナーガ様? なんで、えっ、馬は?」
口をあんぐり開けるエノシラに、ナーガはひとさし指を立てて口をすぼめた。
「大きな声を出さないでくださいね。ちょっと先に貴女達だけに用事があって、そぉっと来たのです」
そう言うと、ナーガは手に持っていた半透明のなめし皮をバサリと頭から被り直した。
途端、その皮は辺りの景色と同じ色になり、スゥッと溶け込む。
姿を隠すのに重宝な、砂漠の飛びトカゲの魔力を含んだなめし皮だ。
「そぉっと来ないで下さい、蒼の長様がっ!」
エノシラが小声で叱咤する横で、ルウシェルは皮を眺めて首を傾げる。
「それ、父者(ててじゃ)の持ち物だよな。ナーガ、父者に先に会ったのか?」
同盟式は午後の約束だ。
砂の民の代表者とは、神殿で合流する段取りとなっている。
「あぁはい、これを借りたかったもので。そしたらハトゥンが、お返しに草の馬を貸してくれって言うから、馬をばくりっこして来たんです」
生垣の向こうでハトゥンの黒衣の馬が、不機嫌そうに飾りの花をガジガジ噛っている。
「父者…… 同盟式の日に何やってんだ。子供か!」
「ハトゥンは相変わらずですねぇ。くたびれたおっさんとしては、あの若々しさの秘訣を伝授して貰いたいです」
「そのネチっこく根に持つ所がおっさんだってんだ」
「ルウシェルも相変わらずですねぇ。くたびれたおっさんに若いエキスを分けてください」
「やめろ、おっさん丸出し発言、そのノリで西風の娘達に近寄るなよ。皆お花畑な幻想を抱いているんだから」
「あの、ナーガ様、私達だけに用事って?」
エノシラが、楽しそうな応酬の腰を折るのを申し訳なさそうに、そっと訪ねた。
「あ、そうそう、ここじゃなんですので、二人共、ちょっと着いて来て貰えませんか」
「??」