君影 明日の君に・Ⅵ
文字数 2,551文字
――聖(きよら)なる西風の空に幸多かれ
ファーが唄いながら、抱えたカゴの中から花飾りを投げ上げた。
西風の婚礼の儀式の時に唄う、無垢なる子供達の歌だ。
「お、お前達、悪ふざけが過ぎるぞ。それは、ふざけてやっちゃダメなやつだ」
ルウがあたふたしながら言った。
「大真面目だぞ、姉者。俺だって恥ずかしくて死にそうなんだ」
「アディ、真面目に唄いなさい!」
「アディって呼ぶな!」
言い争いをしながら花を投げ合う二人を背に、タゥトが一歩前に出て、抱えていた包みをスルスルとほどいた。
「そ、それ・・!」
ルウは真っ赤になり、ソラは目を見開いた。
広げられたそれは、襟に白絹刺繍の、青磁色の長衣。
十数年前、少女だったルウが、手を絆創膏だらけにしながら縫った、新郎の衣装。
「そ、それ、誰にも見付からない所に隠してあった筈……」
声を上ずらせるルウに、タゥトがシレッと言った。
「いいえ、めっちゃ真ん中にありましたよ。見付けるなって方が無理です」
衣装に釘付けになって黙ってしまっているソラに、タウトはそれを目の高さに掲げて近付いた。
「書物は読んであげないと寂しがるし、衣装も袖を通してあげないと寂しいよ、父様」
「……タゥト、それとこれとは……」
「この衣装は長様と一緒に、ずうっと着てくれるヒトを待っていたんだ。本当は僕が着てあげたいんだけれど、残念な事に寸法が合わない。仕方がないから父様に譲ってあげる」
後ろで掴み合いをしていたファーとアデルは同時に振り向いて、吹き出す寸前の頬を膨らませた。
「ナーガ、ちょっと命令して来いよ。あいつお前には逆らわないだろ」
柵にもたれて、ハトゥンがじれったそうに言った。
「自分の意志で袖を通さなきゃ意味がないです」
エノシラに言われて、泣く子も黙る漆黒のハトゥンは黙らされた。
昔から、この手の女性に、彼は勝てた試しがない。
「ねえ父様、着たくないの? じゃあやっぱり僕が着ちゃうよ。今はブカブカだけれどあと十年もすれば、この衣装にも長様にもピッタリの、最高の男になる予定なんだ」
タゥトが本当に袖を通しそうになって、ルウは眉を八の字にしてアワアワと喉から声を絞り出す。
ソラが思わず叫んだ。
「や、やめなさい!」
「なあに、父様」
「それを着る者を決めるのは、心を入れて縫った女性だ。お前じゃない」
「うん、その答えはさっき長様が言ったよね。けっこう勇気を振り絞った感じで言ったよね。父様、聞いていなかったの? 聞こえていたけれど、聞かなかった振りをしているの?」
柵の所のシドが、ナーガと顔を見合わせて口の端をぷるぷる震わせた。
誰かさんの若い頃をそのまんま見ているようだ。
焦然と黙っていたソラが、やっと声を出した。
「タゥト、立たせておくれ」
少年は慣れた感じで父親の懐の下に潜りこんで、背中で彼を押し上げた。
「彼は足がきかない」
アデルがルウにそっと耳打ちして、タゥトを手伝いに行った。
傾きながら立ち上がった男性は、ルウが目を見開いて凝視しているのに気付いて、慌てて訂正した。
「大した事はありません。杖を使えば不自由なく歩けますし。それより……」
「カノンを助けた時の怪我か!」
(やはり勘の良いヒトだ……)
男性は一瞬目を閉じた後ピシリと言った。
「これは私が自分で負った怪我です」
ルウは言葉を止められて、肩を震わせて黙った。
「私はソラを名乗れる者ではありません。昔、貴女の手を取って駆けたソラはもうおりません」
座り込んだまま、ルウは雷に打たれたみたいに震えた。
そう……このヒトならそう言う。
その言葉を聞きたくなかったから、会うのが嫌だったんだ。
しかし、ソラだったらそこで終わらせる言葉を、この男性は先を続けた。
「だけれど、その衣装を他人が着るのは絶対に嫌です。それは僕の物だ!」
「……!?」
目を見張って顔を上げるルウシェルの前に、あの時と同じ手が差し出された。
「僕はある人物に、『忘れられた者に対する思いやり』を教わった。だから恥ずかしながらもう真の心を吐露してしまおう。もし…… もし、今の私、海霧のリューズとして前に立つ事を許して頂けるのならば、本日この衣装に袖を通す事を、重ねて許しを請いたい」
シドとナーガが、今度は思い切り肩を竦(すく)ませた。
「長いっ! もっと普通に着られないのかっ」
「頑固がバージョンアップされていますね。何だか安心しました」
ルウは、差し出された手に指先だけ触れて立ち上がった。
「……えっと…… ああ――…… それ、あんまり近くで見ないでくれ。あの褒め上手なエノシラですら言葉を失くしていたんだ」
「着てしまえば見えないから大丈夫です」
ソラはそう言って、タゥトから衣装を受け取ると、本当に見ないようにしながら素早く袖を通した。
もうちょっと感動的に着て貰いたかったルウは、小さく口をパクパクさせる。
後ろでファーが、
「タゥトのお父さんって、軽く天然入ってる?」
と聞くのに、アデルが眉間に縦線を入れて何度も頷(うなず)いた。
次の瞬間、ルウは、自分の頭上の青空に白い円がばっと広がるのを見た。
「??」
三人の子供が、大きな丸いレースを広げ、息を合わせてルウの上に投げ上げたのだ。
彼女を包んでファサリと落ちたそれは、山紫陽花(やまあじさい)の刺繍見事な、真っ白なヴェール。
アデルが抱えていた荷物だ。
「三峰のカーリが編んだんだ、姉者」
「カーリ? あのカーリが?」
「ヤンとフウヤが手伝った所は悲惨だけれどな」
レース編みの所々に、変なコブと大穴がある。
「準備OKだよ!」
ファーの叫びを皮切りに、どこに隠れていたのか、ミィを先頭に里の子供達が一斉に駆けて来た。手に手に花かごを持っている。
「サチオオカレ!」
小さな手が優しい色の花飾りを投げ上げる。
「幸多かれ、幸多かれ!」
他の子供達も一斉に唄いながら花びらを投げ上げた。
いつの間にか、紅を塗った娘や里人達も混ざっている。
キラキラ舞う花吹雪の中、ルウがやっと口を開いた。
「き、今日は、砂の民との同盟式じゃなかったのか……?」
まるで子供が泣き出す寸前みたいな声だった。
「そんなの『ついで』に決まってるだろ。この状況でまだそんな事言ってんのか? どんだけ空気読めないんだ、姉者」