タゥト・Ⅱ
文字数 2,731文字
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「だからニシカゼのオササマは、僕の顔をまじまじ見たり、見ないようにしたりしていたの?」
「うん、カノンの事思い出したり、思い出さないようにしなくちゃって思ったりで、どきどきしていたんじゃないかな」
「そう……なのか」
毛布の下で喋り終えたファーは、視線を伏せて一息付いた。
「ファーの母さまもそうだよ。眉毛が下がってぼーっとしている時は、だいたいお兄ちゃんの事考えてる」
「へぇ」
気が付くと、ファーの様子や喋り方が昼間とかなり違う。
語尾も上がらないし、しっかりとした文章を話している。
「だから、ファーとミィの役割は、母さまがぼーっとしている暇がないくらい大騒ぎしている事なの」
「大騒ぎが役割なの?」
「そそ、子供がコドモらしくしていた方が、大人はホッとするんだよ」
タゥトは薄暗い毛布の下で、ファーの体温を感じていた。この子は何て温かいんだろう。
「ねえ、じゃあ僕は、どうしたらいいと思う?」
「んん? タゥトは何をしたかったんだっけ?」
「僕、えーと、オササマに会いたかったの」
「もう、会えたじゃん」
「……」
「会って、何かお話ししたかったの?」
「違う、そんなんじゃなくて」
「ん? ん?」
「会って・・」
タゥトは言葉に行き詰まった。
本当は、海霧の村を出た時にそんな目的はなかった。
倒れて一回生き返って、そしたら急に生きている間にニシカゼのオサに会ってみたくなっただけだ。
会ってどうするとか、何も考えていなかった。
だからあのヒトを…… ただ、無表情にしただけだった……
「僕、あのヒトに、笑って欲しい」
「へえ、どぉして?」
「多分、僕があのヒトの笑い顔、一杯盗っちゃったから」
「え? 何、それ?」
「聞いちゃったんだ、父様がお姉ちゃんに話しているの。僕が生まれて来たせいで、あのヒトが笑えなくなったって」
・・
・・・・
一体何でこんな事になったのか、エノシラにだって分からない。
朝起きたら、タゥトのベッドは空だった。
ファーの姿もない。
毛布と食料が一揃い消え、厩からファーの青毛がいなくなったとの報せが入った。
窓辺にデジャブな置き手紙。
『ファーは、タゥトと一緒に、ちょっと捜し物をしに行ってきます。少しの間帰らないけれど、ミィをお願いシマス。タゥトのお父さんに、ヨロシクオツタタタエクタサイ』
何て子・・!
エノシラは手紙を握りしめて、灰色の空を見上げた。
あの子が、いなくなった兄の穴を埋めようと不自然に気張っていたのは分かっていた。
でも本当は、自分が思うよりもっと先へ行っていたのだ。
(子供の成長の早さにおののくのって、いつもいつも急でちっとも慣れない)
***
海霧に覆われた谷あいの村に、黒衣の少年の馬が降り立った。
すぐさま建物から二人の人影が出て来る。
一人は灰色の細い髪が腰まで波打つ少女。
後から杖を付いて歩いて来るのは、青銀の髪の男性。
「タゥト! タゥトは?」
「すまない、シア、一緒じゃないんだ」
「ええっ! サソリの傷、そんなに悪いの?」
「いや、それはきっと大丈夫だ」
「??」
「帰るのを嫌がったのか」
男性・・昨日の手紙の主、海霧の神官リューズが、傾きながらゆっくりと歩いて来た。
「うん、まあ、そうだな」
アデルはぶっきらぼうに、鼻の下をこすった。
「じゃあ、まだ西風の里に? ああ、長様がたにどんなにかご迷惑を……」
「いや、あいつを迷惑に思う者など西風にはいない」
「でも、ねえ父様、あの子やっぱり誤解したままなんだわ。どうしよう」
「ゴカイも十戒もないだろっ!」
思わず大声を上げたアデルだが、怯えた顔の少女に慌てて首を振り、男性だけを睨み直した。
「そもそも、大昔、あんた達大人の間で色々あったのは、誰のせいでもないんだろ? その間に生まれた子供にだって勿論何の罪もない。なのに、たとえ陰ででも、その子供が傷付くような言い方をするんじゃないよ! 聞かれてるとか考えないのか!」
男性は黙って眉を寄せ、代わりに少女が言い訳をする。
「真夜中だったし、タゥトは寝ていると思っていたのよ。言い方だってそんなにおかしくなかったわ。父様は私が巫女を継ぐ機会に、私達の生まれを教えてくれただけだもの」
反論しているのは少女だが、アデルは尚も男性にだけ向いて続けた。
「どんな言い方だろうが、当人にしてみたらそう受け取っちゃうんだ。自分が生まれて来たせいでどうこうって。大人の癖にそんなのも分かんないのか」
男性は黙ったまま、漆黒の少年に言われ放題でいる。
「だいたい、あんたも姉者も素直じゃないんだ。憎しみあっている訳じゃないんだから直接会って話せよ。いつもいつもヒトを伝書鳩扱いしやがって」
「ああ、それは、アデル、……すまない」
「謝って欲しいんじゃないよっ」
「父様は、昔、カノンって子を助けた時に大きな怪我を負ったから…… その姿を西風の長様に見せたくないのよ」
「そんなの、あんたらが黙っていたら分からんだろが」
「いや、分かるよ」
青銀の髪のリューズは目の下のシワを深くして、揺るがぬ口調で言った。
「あの方には何もごまかせない。いつもいつも真っ直ぐに、ヒトの心を見透かすんだから」
「…………」
「アデル、君もそうだね」
「な・なんだよ! なにが!?」
「君に叱られているとモエギ様に叱られているみたいだ」
「・・! やってられっか!」
ルウシェルの手紙を渡して、リューズからの手紙を託され、いつもいつもこんな風に言いなりでパシッてやっている自分に、呆れる。
昨日なんて、いなくなった子供を砂漠へ迎えに行けって、無茶ブリもいい所だ。
そんなお人好しじゃねぇよ、俺は。シアが半泣きで気の毒だったから仕方なく引き受けてやっただけだ。
海霧を後にしながら、アデルは空の上で何度も舌打ちした。
十何年か前…… 西風の長ルウシェルの婚約者は、出先で馬だけ残して行方不明になった。
亡くなったと思われていたのが、記憶を失くしてこの村で生きていると分かったのが三年前。
だがややこしい事に、彼はその村で妻子を持ってしまっていた。
姉のシアは妻の連れ子だが、弟のタゥトは実子。
それでルウシェルは、黙って身を引いた。
・・のに、件の子供に昨日いきなり会ってしまったのだ。
(しようがないだろ)
ハブサソリに刺されたってったらエノシラの所へ連れて行くしかないんだから。
姉者…… あの子供の前で平静を保とうとして、滅茶苦茶テンパっていたな。
あんなんじゃとても、元婚約者に直接会う勇気なんか湧かないだろう。
「砂の魔なんかは一撃で沈める癖に」
***
モエギ・・ルゥシェルとアデルの母親で、故人。リューズは少年時代、彼女に弟のように大切にされて育ちました。(本編には関与しません)