アデル・Ⅱ
文字数 2,467文字
灰色の空からフワフワと、塵みたいな白い物が落ちて来る。
「これが雪」
牧草地の黄色い刈り跡の土手で、タゥトはぼんやりと座り込んでいた。
ファーの具合が回復して最初の暖かい日に、南へ向けて旅立つ予定だ。
「なーんか、思っていたのと違う」
指の上で溶けて水滴になるそれを見て、白い息と共にポソッと呟く。
「どんなのだと思っていた?」
いきなり声を掛けられて振り向くと、青銀の髪の少年がすぐ後ろに立っていた。
「あっ、えっと」
「座っていい?」
「……うん」
カノンは躊躇なく隣に来て座ったが、タゥトは微妙に目を逸らした。
「僕もさっき初めて雪を見て、そう思ったよ」
「えっ?」
「ほら、もっとこう、大きくて、五角形や六角形で」
「そっ、そうです! 花みたいな形で、白くて透き通っていて」
「そんなのが空からポロポロ落ちて来ると思って、凄く楽しみにしていた」
二人は同時に吹き出した。
「ソラの……父の書物の部屋に、スケッチのある写本があってさ」
タゥトが顔を上げると、少年はオレンジの瞳を細めて、自分の袖口を差し出した。
「よーく見ると、そんな形をしているんだよ」
毛糸の袖口に付いた白い粒、じっと見ると本当に幾何学模様の美しい形をしている。
「ホ、ホントだ! うわ――、こんなにちっちゃかったのか!」
「凄いよね」
「うん!」
二人は、袖口の塊が溶けて消えるまで、額を突き合わせて黙って眺めた。
「僕は……絵に描いて教えて貰ったんデス」
「そう……」
少年は、腕を降ろして袖の雪をはらった。
「ねえタゥト、君にお願いがあるんだ」
「あ、はいっ」
タゥトは何でも聞くつもりで、神妙に返事をした。
「西風の僕の部屋に、書物が一杯あるんだ。取り壊した旧棟から運び込んだ奴。それさ、たまに風に当てたり虫干ししたりしてくれないかな」
「??」
「僕、この冬、帰らないんだ」
「ええっ!」
「まだ学ばねばならない事が山とある。長殿が、今ファーが寝かされている暖炉の場所で寝泊まりさせてくれるって。そこで一冬指導を受けるんだ」
「だ、だって、西風の長様が待っているよ!」
「うん……」
風がちょっと吹いて前髪が顔を覆い、少年の表情が分からなくなった。
「学べる時間は限りがあるし、今僕がやるべき事はそれなんだ。ルウシェルもきっとそう言う」
もしかして、あの十字の光がいつか西風にも襲って来る事を考えている? そういう時の為に今、学べる限りの術を習得しておこうと。
ふっとそう思ったが、口に出したら薄っぺらくなる気がして、聞けなかった。
「窓を開けて部屋に風を入れて、気に入った物があったら読んであげて。書物も寂しがるから」
「でも……」
「ん?」
「西風の長様が、僕を嫌かもしれない」
「どうして?」
タゥトは信じられないという顔をして、少年を凝視した。
元婚約者が別の女性との間に作った子供が訪ねて来て、嫌じゃなない方がおかしいだろう。我が兄ながらまさかその辺りはド天然なのか?
「ああー、そうか。アデルに聞いていない?」
「何を、デスか?」
「亡くなった君の母上……アイシャさんと、ルウシェルと、結構仲良しだった事」
「えええええー―――!!」
「何だよ、カノン、喋っちゃったのか。お喋りだな」
厩に駆け込んで来たタゥトに胸ぐらを掴まれて、アデルは馬装を中断された。
「だって、あっちでは秘密中の秘密だったんだぜ。知っていたのは、海霧のリューズと亡くなった巫女殿、西風では姉者と俺、あと三峰のフウヤ」
「ごめん、タゥトは知っていたかなと」
カノンが呑気な顔で後から入って来た。
アデルは馬装を一旦止めて、腰を据えて話してくれた。
蒼の里が行方知れずになった次の春。
彼の元に、鯨岩に滞在していたフウヤが訪ねて来た。
自分はもうすぐ三峰に帰るから、居なくなった後の連絡係を引き継いでくれと。
「連絡係ぃ?」
タゥトが頓狂な声を出した。
「そう、海霧の巫女アイシャのした予知を、西風のルウシェルの先読みの力として吹聴する係」
「へ? は? はあっ!?」
「大袈裟に驚くなよ。俺だってその時初めて聞いたんだ」
アデルは眉をしかめながら続けた。
元々はアイシャが、言い出したらしい。
蒼の里が失せて立場の危うくなった西風の為に、出来る形で助力をしたいと。
事実、当時鯨岩の街を高波が襲ったが、フウヤがルウシェルの名を騙(かた)って皆を避難させ、被害を最小に食い止めた。
それが切っ掛けとなって、砂漠での西風の地位が爆上がりしたのだ。
「その他の西風の長殿の諸々の予言と活躍も、全てアイシャが教えた事だった。アイシャが亡くなってからもシア姉(ねえ)が引き継いでくれたんだ。せめて蒼の里が見つかるまでって」
「うん、自分の母親ながら、いきなりそんな予知能力が備わるなんて、嘘臭いなと思った」
カノンは相変わらず呑気な顔で、馬栓棒に座って笑っている。
「ぜんぜん聞いてないよ! そんな事!」
「言える訳ないだろ、お前みたいな空気の読めなかったお子ちゃまに」
「~~~~!!」
フウヤが三峰に戻った後、アデルが連絡係を引き継いだのだが……
女性達はアデルが飛べるのをいい事に、予言のない時でも手紙のやり取りをし始めた。
どうやら心のどこかの琴線が触れ合って、通じ合う物があったらしい。お互い周囲に弱音をこぼせない孤高の身ゆえ。
「男性の趣味も一緒だしな」
「なんだよ、それ、信じらんない! なんなんだよ、もお!」
タゥトはもう力一杯脱力して、板壁に背中をぶつけた。
「ふて腐れている暇はねえぞ」
「?」
「シア姉は、茶番が終わってもうちの姉者との文通を続ける気満々だ。俺はもう伝書鳩扱いされるのは御免だ。これからはお前がやれ」
「いや、だって」
「だって、何だ?」
「僕、飛べない……」
「なら飛べるようになれ! お前にも西風の妖精の血が入ってるんだろうが」
「・・デモ……・・」
「聞こえねえぞ」
「分かった、分かったよっ!」
「よし!」
「ルウシェルの茶飲み相手も宜しくね~~」
「…‥……」
***
アイシャ・・タゥトとシアの母。故人。死んだ夫にソラが瓜二つだったのが事の発端。