君影 明日の君に・Ⅷ
文字数 3,007文字
「まぁ、でも、結局最後のスイッチを入れたのはルウシェル自身だったのですがね」
同盟式を終えた酒宴の席で、ナーガが盃を酌み交わしながらハトゥンに言った。
リューズは最初、姿を隠して誰にも会わず、陰で同盟式の立ち会いだけをやって帰る、という条件で、やっとここに来る事を了承したらしい。
蒼の長殿の意向には逆らえないと、支え役のレンと共にトカゲの皮の下に隠れてやり過ごすつもりでいたのだと。
「それじゃ意味がねぇだろ、あの意地っ張り野郎」
だから、シドとつるんで一芝居打つ事にした。
「多分芝居だろうなあと思ってはいても、ハラハラしました。シドが提案したのですか? 勇気がありますねえ」
「いや、あの娘(こ)、シア……だっけ?」
「海霧の巫女殿?」
「ソラをレンの馬に乗せて先に送り出した後、彼女が俺らを呼び止めたんだ。可愛い顔してニッコニコして、ムシロと荒縄を出して来やがった」
「…………」
「血は繋がっていなくてもやっぱりあいつの娘だわな、と思った」
「はぁ……」
「ま、お蔭で我が娘の本音が転がり出せたから、結果オーライだろ。シドはまだ三半規管がオカシイってほざいているが」
「生涯貴方しかいないとか、私も言われてみたいですねえ」
「言われた事ないのか?」
「ないですよ、どうせ、くたびれたおっさんですから」
ナーガ達の場所からちょっと離れた子供席で、赤いバンダナのレンが、ボォッっと座り込んでいる。
目の前では、妹達やタゥトやアデルが、子供らしく無邪気に御馳走を頬張っている。
(けど、さっきの……)
皆が皆納得する中で、彼には一つだけ引っ掛かる事がある。
(ルウ様が叫んだ瞬間、トカゲの皮の下でリューズさん、足が悪いとは思えない凄い勢いで飛び出したんだよなぁ……?)
子供席から、向こう端の席に、本日の主役の二人が見える。
今更晴れがましいのも望まぬだろうと、皆がそっとして置いてあげている風で、静かにポツポツと語らっている。
「ま、いいか」
レンの小さな引っ掛かりは、賑やかな喧騒に埋もれて消えた。
***
風紋の砂丘、霞に紛れて。
――ザザ!
西風を伺っていた砂の中の大サソリが、少年の術に討ち抜かれる。
「そっちへ行きました」
「おお」
待ち構えていた逞しい腕が、取り逃がした一匹に何をさせる暇も与えず、真っ直ぐな正拳突きをぶちこんだ。
眉間の殻を砕かれ、巨体は力を失くして崩れた。
「凄い。素手で野牛を倒したって噂、眉唾じゃなかったんですね、スオウせんせ」
術用の杖を腰に収めながら、青銀の髪の少年がにこやかに歩み寄る。
「元気にしていたか、カノン。大した術だな、ナーガ長の指導かい?」
「はい、でも今はあのヒトに師事しています」
少年が指す上空。
片羽根の子供が白蓬色の草の馬に跨がって、寿(ことほ)ぎ事に沸く西風の里をジッと眺めている。
「せんせは警備役ですか?」
「賑やかしい空気には好事魔が寄って来がちだからね。結界が効いているとはいえ、用心に越した事はない」
西風周辺には、スオウとその教え子たちが散り、本日の祝いに何一つ味噌を付けさせる物かと、万全の目を光らせている。こういう体制が即座に取れる西風は、安泰と胸を張って良いのだろう。
「来ていたのなら、ルウシェル殿に顔を見せてあげればいいのに」
「今日は馬を取りに寄っただけだし。第一、デレデレした母親なんて一生で一番見たくない年頃ですから、僕」
カノンは久々の愛馬パロミノに手を掛けながら、眉間にシワを寄せた。
「そうか? さっき遠くからピンポイントの突風を放ってリューズ殿を思いきり突き飛ばしたのは、誰だったんだろうね?」
「……」
「手紙の偽造の古語訳に一役買ったのも誰なんだか。あれはタゥトには絶対に無理だ」
「…………」
カノンは口を結んだまま、口を尖らせて視線を逸らせた。
西風の里は結界に覆われているが、彼の目には、並んで座る二人が映っている。
うんざりするほど見飽きた青磁の衣装と、見たこともない女々しい表情の母。
「でも結局、リューズさんは海霧に帰らなきゃならないんです」
「ん? 神官の役職にあるからか? あそこは巫女殿が頂点で、神官はその補佐だと聞いたが」
「今朝方、ナーガ長に会って、少し話を聞きました」
「んん?」
請われて調印の立ち会いに出向いて来たという蒼の長殿は、約束の時間より大分早くに砂漠を訪れ、馬を連れに来たと言うカノンに偶然行き合っていた。
砂の民のハトゥンから内密に、先にこちらに寄ってくれとの手紙を貰っているらしい。
「私に馬を借りて、海霧のリューズでも殴りに行きたいんじゃないかな」
「はは……(鋭いヒトだ)」
「でも彼をあそこから連れ戻すのは無理だ。だって……」
「「『リューズ』が居ないと、海霧の時は流れない」」
同じ台詞を少年に被せられて、ナーガは驚きの目を見張った。
「やっぱりそうでしたか。不自然さを感じていたんです、あの村」
ナーガは少年の聡明さに心奥で舌を巻きながら、続きを説明してくれた。
巫女のアイシャの強い思いが、心ならずも全ての時を止めてしまっていた海霧の村。村人達も承知で、巫女殿と共に幾星霜、深い霧の下で太陽の帰りを待っていた。
タゥトのように『リューズ』が戻ってから生まれた命は別だが、それ以前の海霧の村人は、彼があの村に居ないと、年とる事も、子を成す事も、天に召される事も出来ない。
「多分、ルウシェルも知っている。アイシャと手紙でやり取りをしていたから」
「解く事は出来ないのですか? その呪縛」
ナーガは目を伏せてから空を仰いだ。
「掛けた本人のアイシャですら、解こうと試みてしくじった。術の失敗の代償を、その身で一度に払う羽目になった・・らしい」
少年はハッと驚愕の顔を上げた。
「知りませんでした」
「知っている者はごく僅かだし、今知らない者は一生知らなくともよい事だ。カノンも胸に刻むだけにしておいてくれ」
「……はい」
カノンは今一度、宴席の隅の二人を見やった。そこだけシンと色が違って、別世界のように見える。
「村から離れられない運命・・らしいです。色々理由があって……」
逞しい教官が、いつもの悼ましい目で自分を見ている事に気付いた少年は、顔を上げて声を張った。
「うん、僕がとっとと立派な西風の長になって、早晩にあのヒトを引退に追い込んでやればいいだけだ。引退したら、どこの片田舎で誰と暮らそうと自由だもんね」
スオウは肩を上げて苦笑した。
「そうだな」
ーーコォン
上空の子供が口琴を鳴らした。
背後の筋雲が揺れて空間を歪めている。
「じゃ、僕、行きます」
カノンはパロミノに跨がって、教官に敬礼をした。
「元気でな」
行きかけて少年は、独り言のように言葉を発する。
「運命に色んな枝道があるのなら、貴方が僕の父になる世界も何処かにあったのかな」
「!?」
教官は弾かれたように顔を上げたが、少年はもう子供と合流し、雲の中へ溶けていた。
後には何事もなかったかのように、砂漠の青空に雲が千切れているだけだった。
~ 君影 明日の君へ・了 ~
~ 風のあしあと・完了 ~
***
カノンは、蒼の長の元を発って、今はシンリィに師事しています。
そのエピソードは『七時雨(ななしぐれ)』内、『ふたつめのおはなし』で。
これにて「風のあしあと完了」です。
ここまでお付き合い頂きまことにありがとうございました。