星霜・Ⅲ
文字数 1,553文字
タゥトは意を決して振り向いた。
「あの、蒼の長さまに伝えたい事があるんです、急ぎなんです!」
「長様? えーと、カノン、長様は仕事?」
「今日は坂の上の執務室だと思うけれど?」
カノンは男の子をまじまじと見て、首を傾げた。
「んー、やっぱり、会った事がある気がする……」
タゥトは二人の脇をすり抜けて駆け出した。
坂の上、坂の上、とにかく登ればいいんだ!
角で馬桶に蹴つまづいた。
飼葉をぶちまけた方向に急な登り坂があり、その先に天啓のように石造りの立派な建物が見えた。きっとあれだ!
頭に割れ鐘みたいな声が響く。
《 馬鹿者! 過去に関わる奴があるか! 今なら道を開いてやれる、とっとと戻れ! 》
目の前の道が二手に別れた。
一つは今登っている赤土の上り坂、もう一つはさっきまで居た白い霞に埋もれた道だ。
「でも、でも、今なら蒼の里の運命を変える事が出来るんだよ!」
《 それで良いのか? 》
「どうして? 蒼の里が助かれば、あの子達も西風に帰れる。西風の長様もエノシラさんも悲しまなくて済む。良い事だらけじゃないか」
《 お前はどうする? 》
「僕?」
《 二人の少年が何事もなく帰れれば、アデルは飛ぶ練習を始めない、砂漠に倒れたお前を見付ける事はない。お前はそこで干からびて終わりだ 》
「え・・」
《過去に干渉するというのはそういう事だ 》
***
一瞬怯んだタゥトだが、それはほんの二、三歩で、すぐに躊躇なく登り坂への土を蹴った。
《 言った事が分からなかったのか。脅しではないぞ 》
「いいよ、いいんだ!」
《 愚か・も・・ 》
声はまた遠くなって、白い霞の道と共に後方に消えた。
いいんだ。それなら僕は、ファーやナユさんに会ってさえいない。
アデルにもエノシラさんにも、西風の長様にも知られずに砂漠で干からびる、ちっぽけな僕。
そのちっぽけだった筈の僕が、今こうして目標を得られて、精一杯駆けている。
だから、いいんだ!
坂上の建物に人影が見えた。
最初体格のいい男性がちょっと覗いて、次に扉が開いて長い法衣をまとった背の高い男性が出て来た。
ナユさんにそっくり、あのヒトだ!
「長様! 蒼の長様!」
タゥトはそのヒトの前に駆け込んで、両袖を掴んだ。
体格のいい男性が手を伸ばすのを制して、長は長い髪を揺らして子供の目線に屈んだ。
「タゥト? ソラの所の」
「えっ、えっ!?」
まさかこのヒトに名前を呼ばれるとは思っていなかった。
「いや違う? あの子はもっと小さかった筈……」
「とっとにかく!」
タゥトは混乱しそうな頭の中を、一旦端に押しやった。
「何かが起こるんです! 蒼の里を消してしまうような、何か大きな事件が。防いで下さい、蒼の長様なら出来るでしょ!」
いきなり子供にそんな事を言われたって……という顔を後ろの男性がして、長がはっと顔色を変えた瞬間、さっき落ちた時にも聞いた高音が響いた。
―――・・ パシリ!! ・・――
目がくらんだ。
長がタゥトの両手を振りほどいて、通りに飛び出した。
見上げる視線を追うと、さっき地面を裂いたのと同じ十字の火花が、今度は空に走っている。
火花が地平までじゅじゅっと広がったかと思うと、いきなり十字を中心に空全体がスパークした。
体格のいい男性がタゥトを庇うように覆い被さって来た。
その脇の下から、降って来る火花に向かって両手を掲げる、蒼の長のシルエット。
「父さま!」
細い素足が二人の真上を飛び越して、ザンバラ頭の女の子が長の右に、さっきの青銀の髪のカノンが左に駆け寄って、同じように両手を掲げた。
防げるのか、防げるのかこの三人に。
瞬く空の閃光が彼らのシルエットを飲み込んだ。タゥトに被さった男性が声にならない叫びを上げる。
それを最後に、タゥトの視界が消えた。