西風・Ⅰ
文字数 1,376文字
春先の乾いた風が吹き抜ける石造りの路地を、二つの小さい影が駆けて行く。
一人は、しめ縄みたいな三つ編みの、十かそこらの女の子。もう一人は、砂漠の植物みたいなモシャモシャ頭の、四つ位の女の子。
顔立ちが似ているから姉妹なのだろうが、二人とも西風の集落では異質な、象牙のような白い肌をしている。
「おぉい、ファーにミィ、何を急いでいる? 転ぶぞ」
曲がり角で、身体の大きな男性が呼び止めた。
姉妹は振り返って大声で叫んだ。
「せんせ! ファー達それどころじゃないの」
「ナイノ!」
「何かあったのか? また規則を破って里の外で遊んでいたんじゃないだろうな」
「何でもナイナイ――!」
「ナイ――」
姉娘は砂ぼこりを立てて、あっという間に駆け去って行った。
修練所の主任教官に対して随分な態度だが、今の西風にとっては、ああいう子供達の明るさが数少ない救い所だなと、教官は肩をすくめて砂ぼこりを見送った。
「エノシラ師匠、患者さんは今の方でおしまいです」
「そう、貴女も今日はこれでお帰りなさいな」
桶の塩水で手を洗いながら、エノシラは見習いの女の子に声を掛けた。
たまには早い時間に帰してあげないと、ここの所残業続きで休みもあげられなかったもの。
「ご苦労様でした」
弟子を見送り、エノシラはほうっと息を吐いて、診療台に腰掛けた。
西風の里が外に対して閉ざしている今、診療所は暇になりそうな物なのだが、里内の患者が増えた。
ストレスを溜め込んで胃腸を悪くする者、不安が不注意を呼んで怪我をする者、そういう重い空気が伝播して、普段快活な女将さんまでもがそっと不眠治療の薬を貰いに来たりした。
外科治療以外はエノシラの専門外なのだが、そんな事は言っていられない。
何せ今は、頼りの蒼の里の師匠に指示を仰ぐ事が出来ないのだ。
修行時代に習った記憶を便りに、毎日懸命に薬草を採って、薬を練っていた。
「ふう……」
エノシラはもう一度ため息して、目を上げた。
彼女の目の下に隈があるのは、診療所の仕事が忙しいせいだけではない。
その視線の先、古い机の隅に貝殻模様の文箱がある。
近寄ってそっと蓋を開く。
一番上はカラびた羊皮紙で、元気な子供の文字が黒々と踊る。
『かねてから勧められていた蒼の里へ留学に行こうと思います。カノンも一緒です。カノンのお母さんを宜しくね。僕の誇るべき両親は、追い掛けて来て連れ戻すなんて過保護なマネはしないと信じています。次にお会いする時の僕を楽しみにしていて下さい』
丁度三年前の春の朝、十一になる息子が残して行った置き手紙。
エノシラは、何度も読み返したピンピンと癖のある文字を、飽きる事なく見つめた。
「わあっ!」
子供の悲鳴にエノシラは我に返った。
前庭に駆け込んで来た二人の娘が転んだのだ。
「ファー、ミィ!」
裸足で家を飛び出して前のめりに走って来る母を見て、ファーは、シマッタという顔をした。
「母さま、大丈夫だよ」
「あああ! 二人とも擦りむいてる! すぐに消毒しなくちゃ!」
「大丈夫だってば、それより、母さま、神殿遺跡に来て!」
「え? 貴女達、また里の外で遊んでいたの?」
「お説教は後で聞く。それより大変なの。ハブサソリに噛まれた子がいるの」
「イルノ――」
「ええっ! 誰、お友達?」
「知らない子、えっと、名前何だっけ」
「タゥト――」
「!!」