尖塔の谷・Ⅵ
文字数 1,952文字
身体の下で、ファーが放心するのが分かった。
壁際で押さえ付けられている青年も、目を真ん丸にしている。
「ほお?」
スダレ禿げが近寄って来た。
タゥトは崇高なナイト然と、人相の悪い赤ら顔を睨み付けた。
「西風の長って、山の向こうの砂漠の……か? 蒼の一族とは友好族だっけ。この娘は何なのだ?」
「この方は……」
言葉を止めたタゥトを、スダレ禿げは胡散臭さそうにねめつけた。
青年も、早く何でもいいから言うんだ! という顔で、タゥトを凝視している。ぐずぐずしていたら面倒がられて川に放り込まれてしまう。
しかしタゥトは、目に真剣さを湛えて口をギュッと結んだ。
男達が待ちきれなくなるギリギリで、その口はやっと開く。
「ダメだ、お前なんかに言えるもんか!」
「何だと! クソガキが!」
男達は鬼の形相になったが、青年も呆気に取られた。
命乞いを聞いて貰える折角のチャンスだったのに!
「いや待て、ふうーむ、ふむふむ」
男達の激昂と裏腹に、スダレ禿げは逆に落ち着いて、下敷きになったファーに松明を近付けた。
「やっぱりこの娘、蒼の妖精か? ふむ、蒼の里が消えても、他所に嫁いだりした血縁者が何人か生き残っていると聞いたな。成る程成る程」
「どういう事だ?」
黒ヒゲも覗き込みながら聞いた。
「西風にいた蒼の妖精の血筋の姫を、『約束の殿方』即ち、この兄ちゃんと娶(めあわ)せて、蒼の一族を再興しようって計画だぜ。え、図星だろ、坊主?」
「なんですってぇえ――!?」
タゥトが返事をする前に、下敷きになっていた娘が雄叫びを上げた。
「あんた、あの時、長さまと屋根の上で、そんな話をしていたの!?」
――ブチブチブチ!!
戒めの縄が一気に引きちぎられ、女の子は跳ねるように立ち上がった。
ええっ? こんな女の子にそんな力が? 周囲の男達は意外性に呆気に取られて、取り押さえる手が遅れた。蒼の妖精は何だか凄い力があるという前知識が邪魔をしたのだ。
被さっていたタゥトは吹っ飛ばされて、後ずさったスダレ禿げの方に転がった。
「お、おいおい」
男の子の顔が血にまみれているのを見て、スダレ禿げの顔色が変わる。
「いかん、その娘ヤバイぞ!」
皆がビビって退いた隙間を、怒りのオーラで奮い立った女の子が一足飛びし、這いずって逃げるタゥトを追い掛けた。
「許さない! ヒトを騙して、バカにしてえぇえ!」
「ひぃい、姫君、許してっ」
「たあああ―――ー!!」
ファーが気合いと共に蹴り上げると、男の子はエビみたいに跳ね上がって、今度は青年の方に吹っ飛んだ。やっぱり蒼の妖精、何がどうなったか分からんが凄い勢いだ。
「だっ大丈夫か」
「お兄さん逃げて…… 姫は怒り狂うと術が暴走して見境が……」
女の子の指の先は今度は青年に向いた。
「あんたもよ! 自分には価値が無いですって? 価値なんて他人に決めて貰うモンじゃないわ、自分で見い出す物よ! あああ――っっ、腹立つうぅう!!」
「お兄さん危ない!」
男の子は、押さえ付けていた男ごと青年に体当たりした。
次の瞬間女の子の攻撃が当たって、全身感電したみたいに飛び上がって倒れた。
「お、おい、坊主」
突き飛ばされた男は振り向いてギョッとした。
男の子の身体が、曲がっちゃいけない方向に捻れている。
「た、助けて、おじさん、痛い・・あ・ああ、姫様、それだけは勘弁してえ――!!」
「え、え、え??」
「うごおおおお――!!」
女の子は野太い声を上げ、頭上に掲げた両手から物凄そうな術を放とうとしている。
「ひぇえ!」
スダレ禿げが逃げ出した。
彼が逃げると、黒ヒゲも他の男達も弾かれたように八方に逃げた。
――バサバサザザザ!!
次の瞬間、上空から急降下して来た馬が女の子をさらった。
「あっ!」
男達が息を飲む間に、馬は次の一歩で男の子と青年も引っ掛けて、素早く上昇、空の闇に紛れた。
「やられた、馬鹿者ども!」
黒ヒゲが地団駄踏んだ。
「そんなに凄い攻撃力なんか無いんだ。あったら最初に簡単に捕まるものか」
「ああ、俺には分かっていたさ!」
スダレ禿げが、この期に及んで強がって叫ぶ。
「三人乗りの馬でそう遠くまで行けるもんか。その辺を探せ、あの軟弱な兄ちゃんだけを拐うんだ!」
――空が歪んだ
―――――ゴゴゴゴゴゴ
真上から地鳴りが近付き、まばゆい銀の光が稲妻のように降って、地面に刺さった。
男達は身構える暇もなくその場で放り上げられる。
足元の堅い岩盤が砕け、破片がスローモーションのように舞い上がる。
「ひぃぃいっ!」
男達は腰を抜かして這いつくばるしかなかった。
「や、やっぱり、すげえ攻撃力持っていやがるんじゃねえか! あんなの相手に出来るか!」
もう誰が音頭を取るでもなしに、男達は暗闇の山を、方々の体で逃げ出した。