柘榴・Ⅲ
文字数 2,034文字
「もう買い残しはないか? この先当分遠出は出来ないんだからね」
馬繋ぎ場に向かいながら、ヤンは連れの女性達に言った。
「うん、わらわは市場の雰囲気が大好きだから、この空気を一杯吸い込んで帰る」
言葉に少し訛りのある飴色の肌のカーリは、二人から数歩離れて大きく深呼吸した。
「あら、じゃあ、私も」
黒髪のシータも隣に並んで、真面目にスーハーし始めた。
「あんまり吸い込むと、お腹がパンパンになって、赤ちゃんがビックリするぞ」
ヤンは、後ろで苦笑いだ。
仲良く同時期に身籠った妻とその親友が、自由が効かなくなる前に市場に来たがったので、今回お伴で連れて来たのだ。
もっとも彼には別件で本来の用事があった。
「あっ!」
シータが叫んだ。
「どうした、買い忘れか?」
「ああ、うん、そうそう。直ぐに戻るからその辺に座って待っていて」
シータは慌てた感じで黒髪を翻し、街の中心に出来た人垣の方へ歩いて行った。
「気を付けろよ!」
ヤンは大声で言ってからまた苦笑いした。
「ホンットに女性って買い物好きなんな」
シータは、今しがた遠目に見つけた物に向かって急いだ。
「ああ、やっぱり!」
案の定、さっきべそをかいていた女の子が石榴の木の下に立って、周りに人垣が出来ている。
「あんなに言ったのに!」
人垣を割って入ろうとして、足が止まった。
女の子の前にはさっきの男の子ではなく、大人の男性が立っている。
市場では見知ったナイフ投げの大道芸人だ。
「お、おじちゃん、ホントにダイジョブなの?」
「さあてね」
「ええ~~!」
「失敗はしないさ、タマにしか」
「や、やっぱヤメル!」
「おっと!」
男の投げたロープが生き物のように動いて、逃げようとする女の子を、木の幹に縛り付けた。ギャラリーから驚きの悲鳴が上がる。
「何すんのよ、キャア!」
続けて投げられるナイフが女の子をギリギリにかすめて、両耳の横に刺さった。
見物人は大興奮だ。
「さて、次はこうだ」
芸人は、仰々しく取り出したターバンで自分の目を目隠しした。
「こらー! 何自分で難易度上げてんのよ!」
呆気に取られているシータの袖を、下から引っ張る手があった。
「あ、あなた……」
「大丈夫だよ、あの目隠し透けて見えるんだ」
さっきの男の子が、大きな箱を抱えて笑っている。
「ファー、なかなかの演技力でしょ」
「……」
二人は人垣から少し離れた。
「さっき言い損ねたの。どうもありがとうございました」
男の子は、ちょこんとお辞儀をした。
「あの後ね、僕達話し合って、ウンエイのおじさん達の所に謝りに行ったの。特にファーは、知らない間に盗人になっていたのがショックだったんだ。
でね、僕達が旅の資金が必要だって事情を話したら、仕事をさせて貰える事になったの。ファーは芸人さんのサクラで、僕は荷物運び。一杯あるからもう行かなきゃ。じゃあね」
何も言えずに黙っているシータに男の子はちょっと戸惑って、もう一度お辞儀をして去りかけた。
「あっあの」
「なあに、お姉さん?」
「旅、頑張りなさいね」
「うん!」
「ありがとうね」
「あは? お礼をいうのは僕達なのに」
「あっうん、でもありがとう、本当に、ありがとう」
シータが待ち合わせ場所に戻ると、カーリ一人しかいなかった。
「ヤンは?」
「うん、いつもの手紙を運んでくれる人が今着いたらしいの。あっちに受け取りに行ってる」
「ああ、そうなの」
ほどなく、遠くの人混みからヤンが姿を現して、こちらに駆けて来た。
「ごめん、ごめん」
彼の手には何通かの書簡の束がある。
「ほい、カーリ、フウヤから手紙だ」
「ええっ、本当!?」
飴色の肌の女性は顔をぱぁっと輝かせて、蝋封された巻き紙を受け取った。
彼女の夫のフウヤは彫刻家で、夏以外の季節は注文を受けて各地を飛び回る。春先はだいたい南の砂漠の鯨岩の街にいる筈だ。
フウヤとヤンの知り合いに、ここと砂漠を頻繁に行き来する旅商人がいるらしく、こうやってちょくちょく手紙を届けてくれるのだ。
「今日はもう受け取れないかと思っていたんだ。行き会えてよかった」
言いながらヤンは、カーリに渡したのとは別の書簡を開いて読み始めた。
「ヤンにも連絡なの?」
「うん、ちょっとね・・」
届く手紙はフウヤからの物だけでなく、シータの知らないヤンの友人からだったり、別の者に回す手紙もあった。とにかくヤンは手紙のやり取りが多いのだ。
伝書鷹まで使い出したので、何処と通信するのと聞いたら、通常の旅人が行かないような地の果てと答えられ、シータはもう深く聞くのをやめた。
自分の夫は昔から掴み所のない部分がある。
特に親友のフウヤとの間には、誰も入って行けない特別な空気があった。
多少寂しいが、仕方のない事だとシータは思っている。
「あっ! ねえねえ、フウヤから君に伝言だって」
ボォッとしていたシータは呼び戻された。
「えっ、何て?」
「シドの娘とソラの息子が、家出してその辺をほっつき歩いている筈だから、会ったら説教しといてくれってさ」