君影 明日の君に・Ⅳ
文字数 1,528文字
海霧の巫女シアは、波打つ髪を風にたなびかせながら、高台の祭祀広場で、千切り絵みたいな空を見上げていた。
今日の風は心地よい。
母が亡くなってから鳴りを潜めていた、久しぶりの明るい空。
西風の喧騒から遠く離れた、海沿いの崖上の隠れ里、ひなびた海霧の村。
いつもは深い霧に覆われているのだが、今日は清しい風が天の青を見せてくれている。
「シア、どうかしたのか?」
青銀の髪の男性が、身体を傾けながら杖を付いて登って来る。
「何か予知でもあったか?」
「いえ、お父様。でも、良き風が」
「ん?」
見上げる空に黒い点が見え、やがて騎馬の形となる。
「アデルか? いや…」
騎馬はまたたく間に騎手が判別出来る程になり、杖の男性は乗り手が誰だか分かると、ハッと息を呑み込んだ。
ナーガの深緑の馬に跨っているのは、黒い肌に黒い衣装の、眉間に閻魔様みたいな縦線を刻んだ男性。
「やっと貴様をブン殴れる日が来た。覚悟しろ」
***
ナーガ、ルゥシェル、エノシラの三人は、西風の里を出てすぐ傍らの、太古の神殿跡へ歩いて来ていた。
午後に同盟式が行われる予定の場所だ。いつの時代に誰によって造られたのかも不明の、荘厳であっただろう建物の一部。
長年砂に洗われたモザイク模様の床の上、ナーガが空を見上げて声を弾ませた。
「ああ、ドンピシャのタイミングです。さすがはハトゥン!」
釣られてルウとエノシラも、同じ方向を見上げる。
「??」
上空から降りて来るのは、ナーガが飛行術を掛けた彼の馬で、鞍上は漆黒のハトゥンだ。
そして鞍の後ろに、何か大荷物?
その巻いた絨毯みたいな荷物が、遠目にぴくぴく動いているのが分かる。
「あらあら、『抵抗したら簀(す)巻きにして運んでくればいいんです』とは言いましたが、まさか本当にやっちゃうとは」
ナーガの言葉に、勘のいいルウシェルが、衣装の裾をたくし上げて飛び退(すさ)った。
「き、貴様! 何て事を……!」
「はい、何てコトを、やっちゃいました。殴っていいですよ、でも後にしてください。何てったって、今の西風があるのは、海霧の預言者殿の助力なくしては有り得ません。砂の民との同盟式に、海霧の代表者に同席頂くのは、至極自然な流れかと」
歯をギリギリ言わせるルウの肩に、エノシラが後ろから両手を置いた。
「ルウ、こうなったら腹を括りましょう」
「エノシラもグルか!」
「いえ、でも、ナーガ様に手紙を頂いていて」
「はあっ?」
「ルウを目一杯きれいにおめかしさせて、一番重くて動きにくい衣装を着せておくようにと」
「なんだよっ、それっ!」
「ごめんなさい。最初は意味が分からなかったけれど、さっきハトゥンさんが草の馬を借りた話を聞いて、何となく流れが読めちゃいました。ストレートにそのままでしたね」
「~~~~!!」
言っている間に、馬はもう真上だ。ルウはとにかくこの場を逃れようと焦ったが、案の定、長い裾に足を絡ませてつんのめった。
その隙を突いて、彼女に飛び付いた者達がいる。
「!!??」
なんと元老院の老人達が、捻じれ松の頑固な根っこのように、彼女を囲んでしがみ付いているのだ。
「ど、どこから湧いて出た?」
「そこの柱の影にしゃがんでおりました。蒼の長殿は腰痛持ちの年寄りに無茶ぶりをしなさる」
「ナーガ~~」
ナーガは黙ってにこにこと、老人達に黙礼をしている。
「逃げるのなら逃げなされ。このか弱き老人どもを引っぺがして突き倒す所業がお出来になるのなら」
「どの口が言うか、卑怯者」
何とか抜け出そうともがくが、本当に身動きが取れない。
連日の徹夜仕事でヘトヘトな上に、衣装の裾も踏んづけられているのだ。
まさか、徹夜仕事をねちねちと小出しにしていたのも、これを狙っていたのか!