尖塔の谷・Ⅲ
文字数 2,351文字
タゥトは青年の作った吹き口をもう一度つくづく眺めた。
「こんなに細工が上手いのに落ちこぼれだなんて信じられない」
「うん、そういう小細工とか、楽器の本体を作ったり音階を整えたりは得意だし、お師匠さんも誉めてくれる」
「ふうん、じゃあ、何がダメなの?」
聞いてしまってから、タゥトはしまったと思った。青年が一気に暗い顔になってしまったからだ。
「ご、ごめん」
「いや、いいんだよ、そうだよね、おかしいよね」
「おかしくなんかないよ」
「おかしいよ。何で、何がダメなのか、何で皆と同じに出来ないのか、全然分からないんだ」
青年は変わらず静かな口調だが、心の中にやまない雨が降り続いているのが伝わって来る。
「お師匠さんは教えてくれないの?」
「お師匠さんは……」
青年は、もう一度焚き火に木屑をパラパラくべた。
小さい火が、ポッポッと燃えて落ちていく。
「僕の音は風露の音じゃないって言うんだ」
真ん中の薪が燃え尽きて、焚き火がガラリと崩れた。
青年は手を伸ばして残りの薪を立て掛ける。
「音合わせしていてね、僕の音だけ違う。音程は合っているのに、皆の音と奏で合わない。僕の音だけひとつフラフラと浮いてしまうんだ」
タゥトは言葉を出せなかった。
慰めたいけれど専門的過ぎて、何て言っていいのかさっぱり浮かばない。
「あの」
黙っていたファーが声を上げた。
「ファーは笛の曲を覚えたいわ。簡単なのを一曲吹いて下さいませんか」
タゥトはホッとして、心の中でファーに拍手を鳴らした。
きっと彼女らしく気を使って、話題を変えようとしてくれたんだ。
「そうだね」
青年も表情を和らげて、笛を受け取って立ち上がり、子供用の吹き口を外した。
「じゃあ、短い小夜曲(セレナーデ)を」
形の良い唇が笛に当たると、風ひとつない谷の、木も花も空気も一斉に震え出した。
「ナユタの笛じゃのう」
谷を伝って聞こえて来た笛の音に、ラゥ老師は顔を上げた。
尖塔の中で一番高い、風露の音を統べる最高位の老師の塔。
石造りのそこに、今は複数の者が集っている。
「本当に申し訳ありません。いつもいつもご迷惑をお掛けしているのに、この上規則破りなんて」
下座で頭を下げるのは、多分ナユタの母親で、息子と同じに美しい。
「頭をお上げ下さい。彼はもう親元を離れた身。責があるとしたら師匠である私ですわ」
母親の肩に手を置いたのは、昼間ナユタに音合わせを止めさせた三弦の師匠だ。
「しかしあの音」
向かいに座す笛職人の老人が言葉を詰まらせてそのまま黙り、そこに集った七名の各楽器の長達、皆一様に遠い笛の音に吸い寄せられている。
(風露の音ではない。優れている劣っているという次元でもない。大元の何かを違(たが)える、異質な音だ。我々の知る範疇ではない。強いて言えば…………)
「貴方の音」
曲が終わって暫くしてから、ファーがぽつっと言った。
「ファーは好きです、貴方の音」
「うん、僕も好き! 昼間聞いたオトアワセも綺麗だったけれど、お兄さんの音の方が何倍も好きになったよ」
二人に言われて青年は、風露草色の目を震わせた。
再び、尖塔のラウ老師の工房。
「さて」
老師は立って大窓へ歩き、外に立つ者を見やった。
少し前に来たその来客は、笛の音のする方をじっと見据え、曲の最後に懐から小さな口琴(こうきん)を取り出して咥えた。
―― コ ォ ォ ン
部屋に控えていた職人長達はハッと顔を上げた。
竹製の簡素な楽器から弾かれたとは思えない深い音。
だが風露の音ではない。
そして風露の職人だからこそ気付く、
その音が先程の音色に当たり前のように溶け合った事。
「やはり連れて行きなさるか」
老師の問い掛けに小さな来客は、緋色の片羽根を揺らして振り向いた。
傍らには白濁した白蓬色の馬。
ナユタの母親が、慌てて窓辺に駆け寄った。
「あの子は風露の者です。ナーガ殿もそうおっしゃいました」
外の世界に疎い風露の民だが、さすがに蒼の里が消えた事象の重さは分かっている。
この片羽根の子供が、それに関して某(なにがし)かの行動を取ろうとしている事も。
老師は母親の肩に手を置いた。
「そうじゃ、風露の民じゃ。だがやはりあの方の血も引いておろう。皆も薄々気付いておるだろう」
集った職人長達は、老師の言葉に口を結んで黙った。
皆それぞれにナユタを預かった経験があり、扱いあぐねて教鞭を下ろしていた。
あの子の音は、どうしたって風露の音色と奏で合わない。だからって駄目だという訳ではないのだ。
ただ合わない、異質。もしかしたら自分達の知っている範疇には居ないだけなのかもしれない。
緋色の片羽根の子供は、窓辺の面々を見て睫毛をしばたき、一瞬、礼(?)のような仕草をして、愛馬を引き寄せ跨がった。
室内の者も、誰からともなく礼をする。
ヒュォッと風を起こして、白い馬が夜空に舞い上がる。
同時に山側からもう一頭、大きな草の馬が、飛び上がって宙返りをしながら合流した。そちらはカラ馬かと思ったが、よく見ると黒衣の騎手を乗せている。
「もう一人いたんですね。随分とヤンチャな馬だ」
一番若い職人長が、窓から首を伸ばして大きい方の馬を眺めた。
ある程度の年配の長達は、見覚えのある馬の動きに、目を見開いて固まっている。
「老師様、あれはまさか、亡くなったツバクロ様の夏草色の馬? 乗っていたのは子供のようでしたが?」
「うむ、そっくりであったな。主を替えて生き永らえておったとは。あの馬はこの世でまだまだ飛び足りておらぬのじゃろうな」
老師は懐かしげに目をしばたいた。
***
ツバクロ・・ナーガ長の父。故人。昔、最初に風露に友好を結びに来た。今の楽器長たちは子供の頃に遊んで貰った思い出がある。(本編には関わりません)