ナユタ・Ⅳ
文字数 1,951文字
季節は風を温め、地面の熱気が草の匂いを強くした。
夏草はピンと葉を張り、草原を行く三人の影にもピンピン尖った部分が多くなった。
衣服の破れほつれや、ファーが流行りのシャギーと称して男二人を雑に散髪した切り口だ。
風露の青年も薄汚れた分血色がよくなった。
何と草の馬を乗り越している…… いや、乗りこなしていると言うのか?
鞍の上にあるのは、あの栗毛の背にあった座布団。
ナユタがかなり気に入った様子なのを見て、編み傘のお爺さんが、どうぞどうぞと持たせてくれたのだ。
それで青年は、自分の衣服のボタンや装飾すべてを外して、厩にそっと置いて来た。
草の馬は草の馬で、そんな青年が自分の背中であぐらをかくのを、どこ吹く風で許している。
栗毛の輓馬が気持ち良さそうにしているのを見て、思う所あったようだ。
ボタンが失くなったのですべての衣服がだらしなく垂れ下がって風に揺れ、まるで何処かの行者。
ファーはもう何も言わなかった。
この青年に自分の常識は狭すぎると反省したらしい。
タゥトはタゥトで、たまに草の馬に乗せて貰えるようになってご満悦だ。
もっとも彼もやはり振り落とされっ放しで、飛ぶのにはほど遠かった。
こんな風に収まる形に収まった三人は、蒼の里を訪ね訪ね、草原の端からの端まで旅をして歩いた。
***
草原の遥か北西の山岳地帯。
万年雪の頂を見上げる谷に、歳を重ねた巨大杉の密生する古い森林がある。
曲がりくねった根枝は地形を複雑にし、その下に幾つもの天然の洞穴を作っていた。
動く生き物はほぼ存在せず、こんな篠つく雨に沈んでいると、太古から時間が止まっているようだ。
雨煙の中、一騎の馬影が灰色の雲を割って降下する。
「まったくこの雨って奴は、ぐずぐずじとじと鬱陶しいったら」
悪態をつきながらシダの水滴を散らせて入って来るのは、夏草色の馬に、濃い飴色の肌のアデル。
洞穴の奥でユラユラ揺れるは、実態危うい銀の影。
《 水は嫌いか? 砂漠の民の分際で 》
「嫌いってんじゃねえ。あちらじゃ命と同じ重さだからな。だから空から節操なしに降って来る様が、馬鹿みたいで好かないんだ」
影はクックッと震えた。
「あいつはいねえのか?」
《 外だ。ここの真上の大杉の頂上 》
「雨が降ってんのに、わざわざ?」
《 あの子供は天から落ちて来る物なら何でもが好きらしい 》
「わっかんねぇ奴」
太古のシダに埋まった古森の中心に、齢(よわい)何千年かの杉の老木が王のように立ち、天辺に片羽根の子供の姿があった。
濡れそぼっているのに少しも寒そうではない。
むしろ恵みのシャワーを受ける植物のよう。
「お――い、シンリィ」
下からの声に子供は反応し、羽根を膨らませて枝から跳んだ。
雨粒と大気がスローモーションのように彼を包み、真下の根本へ難なく着地する。
入り口から入って来た子供に、アデルが数通の書簡を扇のように広げて示した。
「お待ちかねの手紙だ。海霧のシア、三峰のヤン、すぐそこの氷蝙蝠(こぉりこぅもり)の長老、あと俺の知らん名前のも幾つかヤンに渡された。オッサンにはもう見せたから」
《 オッサンではない、口を慎めと何度も言っておろう 》
「名前を教えてくんないんだから、そうとでも呼ぶしかないだろ」
二方のやり取りにお構いなしに、羽根の子供は裸足でペタペタと歩いて手紙を受け取り、目を閉じて一通づつを胸に当てる。
これで内容が解るというから驚きだ。銀のオッサンが言うには、書いた者の心情を読み取っているという。
「ったくヒトをいつもいつも伝書鳩扱いしやがって」
《 報酬を求めるのなら幾らでも応じてやる。この世の王になりたいか? 》
「そういうのはいいから、ありがとうの一言くらい寄越せってんだ」
少年の前に、手紙を『読み』終わった羽根の子供が歩いて来て、肩掛けカバンをじっと見た。
「んん? ああ、そうだ」
留め金を開くと酸っぱい匂いと共に、拳大の青い実が出て来る。
「これは姉者から、シンリィ、お前にだって」
子供はパァッと笑顔になって、両手で実を受け取ってほおずりをした。
《 『鍵』は今、どの付近だ? 》
銀の影は隅の暗い所から場所を変えず、揺らぎながら聞いてきた。
「草原の東端、国境の山麗沿いをフラ付いてるって話だ。場所に心当たりはあるか?」
《 ない、全くない。本当に大丈夫なのか? 『導き手』が子供二人とは何とも心許ない 》
「シア姉(ねえ)があの二人をご指名なんだからしようがないだろ。下手に手出しして運命が変わっちまったらどうすんだよ。あんただってこの三年、蒼の里の取っ掛かりすら見つけられなかったんだろが」
声は黙って、洞穴その物が呻くように震えた。
「ここに来てやっと何かが動き出したんだ。それに賭けるしかねぇんだよ」