尖塔の谷・Ⅱ
文字数 1,899文字
青年はファーの胸元の笛をじっと見てから、弾んだ声で言った。
「やっぱりそうだ。懐かしいなあ。僕のお師匠さんが作っていた笛だ」
「貴方は笛造りさんですか?」
ファーがやっと声を出したが、いつもと違って、何だかしおらしい声だった。
青年が答える前に、タゥトが大声で言った。
「だけど、そんな笛、全然つまんないし。音が鳴らないんだもの」
笛吹きに貰ってから何度か挑戦してみたのだが、二人とも気の抜けたスカスカいう音しか出せなかったので、今ではすっかりファーのアクセサリーと化していた。
「だ、だから、これは練習しないと鳴らせない上等の笛なのよ。タゥトの知っている玩具の笛とは違うの」
ファーが慌てた感じで即座に反論したので、タゥトはますますむくれ顔になった。
「見せてみて」
青年は二人のいざこざには無頓着な様子で、女の子の首に掛けたまま笛を手に取った。
顔を近付ける形になって、ファーはますます硬直する。
「ああー、そうかそうか、ちょっと待ってね」
そう言うとポケットから、ノミやら錐やらの入った皮袋を引っ張り出して、笛ではなく、目の詰まった薪を割って細工をし始めた。
「??」
不機嫌だった男の子も、長い指の中でみるみる形を変えて行く木切れに、思わず見入っている。
「よし、それを貸して」
ファーから受け取った笛の吹き口に、青年は今作った小指の先程の筒を差し込んだ。
目分量で作った筈なのに、それは隙間なくピッタリはまった。
「さて、吹いてみてくれ」
青年に笛を差し出され、タゥトはおずおずと新しい吹き口に口を当ててみた。
――ヒュィイ――
「鳴ったわ!」
ファーが驚きの声を上げた。
タゥトも目を丸くしている。
信じられないくらい軽く簡単に音が出たのだ。
「それで練習すればすぐに曲も吹けるようになるよ。取りあえず音が出なきゃ、やる気にならないものね」
青年はニコニコして道具を仕舞った。
「へええっ、へええ――っ」
タゥトも素直に感心して、吹き口をあちこちひっくり返して眺める。
「凄いや。この笛、最初からこの形ならよかったのにね。お兄さん、お師匠さんより上手なんじゃない?」
「いや、違う違う」
青年は慌てて手を振った。これはただの応急処置で、吹きやすくなる代わりに単調な音しか出なくなり、楽器としての質は落ちてしまうとの事。
「色んな表現をするには、さっきの吹き口でないと駄目なんだ。練習して慣れたら、その吹き口は外すといいよ」
「ふうん」
タゥトはまた素直に感心した。
「ありがとうございました。あの、さっき笛が寂しがってるって言っていましたよね?」
かしこまったままのファーが聞いた。
「うん、楽器はさ、鳴らして貰えなきゃ、やっぱり寂しいじゃない」
「は……い」
ファーは笛を両手で持って見つめた。
「あっ、僕の父様が、書物は読んであげないと寂しがるって言ってた。それとおんなじ?」
「そうそう」
青年は目を細めて、嬉しそうに掌を合わせた。
「それで、それが気になって、規則を破って来てくれたんだ。風露のヒトって本当に楽器好きなんだね」
話をする二人の横で、ファーは鼻の頭を赤らめて口を結んでいる。
笛を寂しがらせた事を凄く気にしている様子だ。
「で、でも、風露の職人さんって凄いよね。遠くからでもそういうのが分かって、そんであっと言う間にこんな細工が出来ちゃうんだもん」
タゥトがファーを気にしながら、場を明るく保とうと喋った。
「いや、僕は職人じゃない。まだ修行中のヒヨコなんだ」
青年は下を向いて、膝の木屑を摘まんでパラパラと焚き火にくべた。
「へえ、どの位修行したら、こんな素敵な笛が作れるの?」
タゥトは何気なく聞くが、青年はうつ向き角度が増した。
「えっと、僕は、今は笛造りじゃないから、分からない」
「んん?」
「今は、三弦造りのヒヨコ……」
「そ、そう、三弦の職人さんになるの?」
「さあ……」
タゥトも困った顔で、言葉を止めた。
触れない方がいい事なのかしら?
「僕は、味噌っカスだから」
青年が自分から話し始めたので、二人は黙って彼を見つめた。
最初は二胡造りの道に進もうと思ったが、師匠である母に、二胡ではない方がいいと判断された。それで、歳長けて人望厚い笛造りの師匠の所に住み込みで入った。熱心によく見てくれたが、やはりしばらくして、笛ではない方がいいと言われたそうだ。
「それで今の三弦のお師匠さんの所に?」
「ううん、笛の後は琴で、その後に鼓、三弦はその次で…… あれ、何か抜かしたっけ」
「僕に聞かれても困るよ」
もっともなツッコミに、指折り数えていた青年は肩を竦めて溜め息を吐いた。
「要するに、僕は落ちこぼれなんだ」