AC9.13

文字数 1,867文字

 ――まだ、着かない。エレベーターが動き出してからどれくらいたったのか、もうそろそろ着いてもよさそうだがいっこうに着く気配がない。それにしても私はいったいどこへ向かおうとしているのだろうか? こうして自分の足ではなく何かに乗せられて移動していると、なすすべなく流されるしかない運命という名の大きな流れを感じる。もはや私の精神はその激流にもてあそばれ、息絶え絶えの、どこかにヒビでも入ろうものなら無残にも砕け散ってしまいそうなほど脆弱になってしまった。どうしてこうなってしまったのだろうか? なぜ私がこの場所に立っていなければならないのか? 疑問が不満となってふくらみ、泡のように私の心すれすれではじけたかと思うと、また新たにふくらみだす。と同時に、何も知らなかったころの無知ゆえに輝いていたあのころに思いが馳せてゆく。が、私は知ってしまった。思い出にすら暗澹とした影がさす。…………
 それからもしばらく私はこの箱につめられていた。体感としてあまりに長くのっていたからか、その静けさもあいまって、いつしか動いているのかどうかもわからなくなってしまった。とそんなとき
「もうそろそろ到着するよ」と総一が告げた。
「……そうですか」私はか細い声で答えた。
 そして、いざ着くとなるとどうしようもなく不安になる。
「まあ、しかし」そんな私を哀れに思ったのか苦笑いを浮かべて総一は話しはじめた。「君もずいぶんな選択をしたね。これがひとつの物語なら今頃超能力で諸悪の根源を打ち倒しているところだろうけど、君には超能力どころか人に誇れるような知識も技能もない。くわえて勇気も度胸もないし、まともにモノを見ることすらできない。できることと言ったらちっぽけでからっぽの言葉を吐き出すだけ。それなのに有るも無しもごちゃまぜになって混沌とした世界を、そしてこの先さらなる混迷が待っているとわかっていてもなお生きていこうというのだから。私ほど不幸な人間はそうそういないと思っていたけれど、君もなかなかな運命に生まれ落ちたね」
「……同情するくらいなら、ですよ」安っぽい同情に嫌味たっぷりに返すと
「はは、もっともだ。でも残念ながら私に期待されてもね」
「わかっています」
「なんだかだいぶアタリが強くなったね。まあ、それも当然か。だいぶこき下ろしたからね」
 総一が独り言のように言ったのとほぼ同時にエレベーターは揺れた。
「最後にお節介かもしれないけど」苦笑いを浮かべながら総一は言った。「これまで見て聞いてきた通り、この世界は現実が創作になってしまったか創作が現実になってしまったか、もしくは事実は小説より奇なりとも言うからもっと別の何かになっているのか、とにかく大変な世の中になってしまった。でもどんな世界であれ、とりあえずは受け入れたほうがいい。受け入れられるだけの心があれば一つのことに囚われずにいられて新たな道を見つけられるかもしれない、と私は思うからね」
 総一が言い終わったのとほぼ同時にエレベーターがもう一度揺れ、扉がゆっくりと静かに開いた。その先には同じように扉が待っていた。
「こんな世界を受け入れろだなんて…………」
 どの口が言うのかと言い返してやろうとしたその時、いつのまにか私の中にできていたとんでもない考えに気づき、言葉が途切れてしまった。
「どうしたんだい?」そんな私を不思議そうに見ながら総一が尋ねてきた。
「あ、いえ……」それに対して私はそう言い淀んだあと、総一の顔をジッと見つめて言った。
「受け入れろだなんて、どの口が言うんですか?」
 すると
「まあ、確かに今のは私の口から出た言葉ではないのかもしれない。月日に気がついて一度に年を取ってしまったからなのかな」
 感傷に浸ったふうに総一はこぼした。その姿からははじめに感じた立派な印象は立ち消え、そこにはありふれたくたびれた大人がいた。
「さて、話は終わりだ。悪いけど、ここから先は君ひとりで行ってもらわないといけない。私は許可が下りてないないんだよ。下りていたとしても行く気はさらさらないけど」
 ひとりという言葉に私はすこし寂しさを感じた。お互いに知らないとはいえずっと事情に詳しい人がいるのといないのとでは大きく違うから。が、本人がそう言うなら仕方がないし、これ以上ここにとどまっている理由もないので、私は総一の横を通ってエレベーターを降りた。その際、会釈をすると「じゃ」と返してきた。軽い挨拶に別れは終わった。
 そしてエレベーターを振り返るとすでに扉は閉じかけていて、総一の姿は見えなくなっていた。
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