AC8.7

文字数 3,155文字

「なるほど、だから資格がないと言ったのか」
「……うん」
 父さんに倉庫での出来事、その時何を思ったのかを話した。しかし、もっとも肝心なこと――――なにもかもを作りものだと思っていることは話せなかった。その気持ちにそむくことになるとしても父さんを前にしてニセモノとは口が裂けてもいえなかった。心臓を鷲掴みにされているような苦しみを感じながら、次の言葉を待った。
「だとしたら、私にもその資格はないよ」
「え?」思ってもみなかった返事におもわず聞き返した。
「詳しいことは走りながらにしよう、少し時間を使いすぎてしまったからな。それで鍵のことなんだが、姉さんのこともあるからとりあえず今は受け取っておいてくれないか」
 その提案に自分が渋ると父さんは自分の肩に手を置いて、
「頼む」
 と真っ直ぐでとても力強い、それでいて優しいまなざしを自分に注いだ。
「……わかった」断れるわけがなかった。
「ありがとう」
「……お礼を言うのは自分のほうだよ」
 そういうやりとりがあり、父さんから受け取ったエレベーターキーで姉さんの居場所が判明したので、話し合った結果とりあえず姉さんのところへ向かうことになった。自分としては母さんのことが放っておけなかったけど、父さんは頑なに譲ろうとしなかった。それは父さんの中ではすでに自分たちをなによりも優先すべきことに位置づけたみたいで、そのためなら途中で鍵を見つけたら私たちのことは気にせずすぐに姉さんのところへ行って脱出しろ、と少しの躊躇も見せずに言い切ったぐらいだ。とうぜん自分は食い下がった。しかし、自分の薄弱の意志では父さんの断固たる決意を押し切れるはずもなく、それで決ってしまった。そしてかりに鍵が見つからなかった場合は鍵を分け合うことになった。
 そうして姉さんのところへ向かう道中、保留になっていた話を父さんに聞いた。
「ああ、その話か。忘れていなかったか。残念だな。ごまかせないかなと思っていたんだが」苦笑いでそういう冗談からはじめて「実はな、私はこれで二回目の挑戦なんだよ」と父さんは言った。
「ほんとうに?」
「本当だ。……詳しいことを話す前に聞きたいんだが、おまえもこれの前に三つテストを受けたのか?」
「そう」
「どんな内容だったんだ?」
「えーと……最初が学力テストで、次が体力テストで、最後が真っ暗な迷路だったけど」
「ハハハ、こんなとこに来てまで学生じみたことをしたのか、災難だったな。といっても私も似たようなものだったよ。最初と最後がちょっと体力が必要なもので、二つ目が……なんというか、あるだろう? 一つ一つの謎を解いていって部屋から脱出するゲームが」
「ああ、あるある。そのまんまのやつ」
「まあ、それをやって最初と今のやつは合格できたんだが、最後はもう体力的にちょっとだけ厳しくてな。お前はいくつ合格できたんだ?」
「自分も二つだけ、それも父さんと同じで最後がダメだった」
「そうか、親子だと結果も似るのか? まあ、三つだけだから似ても不思議ではないけどな」
 そう言って嬉しそうに笑ったあと、父さんは本題に移った。
「とにかく二つ鍵を手にしてこのテストに挑むことになって、運がいいことに中盤あたりでエレベーターキーを見つけられた。最善を尽くすならそのまま残りの鍵を見つけにいくべきなんだろうが、私はどうしても母さんのことが心配で様子を見にいくことにした。それで母さんのところへ無事に着くことができたんだが、母さんは私を見るなり『鍵を全部見つけてきたの?』って眉間に皺を寄せて聞いてきたんだ。私はげっと思ったよ、全部バレてるって。だから当然答えられなくて、それを見て母さんは『なら、はやく探してきて』と笑ったんだ。私はそれに面食らったけど、すぐに返事をして探しに行って……。
 本音を言えば、母さんのところへすぐに駆けつけたのはなさけない話だが不安だったからだ。目が覚めたらいきなりこんなことに巻き込まれ、あげくには失敗したら死ぬとまで言われて。だから母さんには感謝しかないよ。こんな時でも不安などおくびにも出さず、いつものようにふるまってくれたんだから。なのに私ときたら……と言いたいところだが、それはいいだろう。そんなことがあって残りの鍵を探していたら、姉さんと同い年ぐらいの子に出会った。
 その子は幼馴染がつかまっていてあとエレベーターキーがあれば脱出できるところだったらしく、持っているか尋ねてきた。私もどうすべきか迷ったよ。その子を助けたらエレベーターキーだけでなく鍵も一つ失うことになる、そうなったら母さんを助けられないかもしれないし、助けられなかったら残されたお前たちはどうなってしまうのか、正直その子を見捨てる理由は十分にあった。しかし、だからといって見捨てていいのか、それでみんなに顔向けできるのか、それに同い年ぐらいのその子に姉さんが重なって見えて……助ける理由も負けないぐらい十分にあった」
 そこで父さんはいったん息継ぎを入れた。
「それでさんざん悩んだすえ、その子を助けることにした。どうしてかと言われたら、その時母さんやおまえたちの怒った姿がふいに浮かんできたというのもあるが、なによりもやはり私自身そうすべきだと思ったからだ。
 そうしてエレベーターキーを渡したあと、しばらくして終了の合図があって、鍵も一つ失ってしまった。わかっていたこととはいえ、汗という汗が噴き出て不安や焦りに圧し潰されそうになったし、自分は間違ったことはしていないと思っていても、本当にあれでよかったのかと疑問を抱かずにはいられなかった。その不安、焦り、疑問を抱えたまま次のテストが始まった。しかし、運がいいことに鍵とエレベーターキーを立て続けに見つけられ、しかもお前と出会えた。と、まあこんなことがあって、おまえに資格がないと言うなら私にもないということだ」
 恥ずかしそうに笑って父さんの話は終わった。
 まさか父さんも同じことで悩んでいたとは思わなかった。驚いて何と返したらいいのか戸惑っていると、父さんが言った。
「それで、だ。私もお前と同じことをした。家族ではなく赤の他人を選んだ。おまえはそれをどう思う?」
 その質問にたいして、すこしだけ考えるそぶりを見せてから、用意していた答えを言った。
「……気にしないよ。というよりむしろ嬉しいかもしれない」
「そうか、そこまで言ってもらえるなら私もやってよかったと思えるよ。とにかくもうわかっていると思うが、私も母さんもお前のやったことを責めはしないし、むしろ母さんのことだから誉めてくれるよ。私もよくやったと思うし、姉さんだって許してくれる。それにお前が鍵を渡さなければと言うのは確かにその通りかもしれないが、それはあくまで結果論だ。その時にこの状況を想定するのは難しいし、それにもしこうなることがわかっていたらお前はその人に鍵を渡さなかったのか?」
 そう聞かれ、しばらくのあいだ考えて
「……たぶん渡した、と思う」と自分は答えた。知っていたとしても、結局あの人の思いには負けていたと思う。
「なら、それでいいんだ。こんな状況だからいろいろ思うことがあったかもしれない、でも誰かを助けたいと思いそして助けた、それでいいんだよ。わかっていると思うけど、私も同じことをしたから言っているわけじゃないぞ」
「わかってるよ」
 振り返った父さんに自分は少しあきれたように返した。そして父さんが顔をもどしたあと熱いものを右頬に流した。
「父さん」前を行く父さんの大きな背中に呼びかけた。
「なんだ?」前を向いたまま父さんは返事をした。
 自分はちょっとだけ間をあけて
「ありがとう」
 と言った。それに対して
「お礼をいうのは私のほうだ」
 父さんはそう返した。それで二人して笑った。
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