AC9.6

文字数 1,977文字

「幸せ、ですか? ……これで?」
 予想外の答えに眉をひそめて私は落胆の意を交えて尋ねた。
「ああ」それにため息混じりに答えてから総一は静かに語り始めた。「人はひとりでは生きていけない。人類が誕生してから絶えず誰かとつながることを求めてきた。徒歩、馬、船、車、飛行機――様々な手段で障壁を乗り越え、ついにはインターネットによって時間も距離も関係なく世界中の人々が交われるようになった。そしてその交流はACの登場によってさらに広がりを見せた。それは義務化により貧富に関係なく手に入り、思うことで操作できる直感的な仕組みと優秀なサポーターのおかげで誰でも簡単に扱え、加えて補助的な装置をつかえば身体の機能に制限があるような人でも使用でき、さらに翻訳機能の進歩でどこの言語でも簡単に理解することができるようになったからだ。そうして人々の間にあった壁ができるかぎり取り除かれ、より多くの様々な立場の人どうしが簡単に平等につながれるようになった。しかし、それは本当によかったのだろうか。
 人は一人で生きていけない。生きていくためには色んな人と時間を場所を様々なモノを共有していかなければならない。つながりが広がったということはその共有も広がったということだ。変な話だけど、それが自分とは無関係なことでもね。となれば必然的にそれが争いのタネになってしまう。誓い合った仲のふたりでさえ価値観の違いから喧嘩別れしてしまうことがあるんだ、世界中の色んな考えを持つ人がひとところに集まれば対立が起こるというのは当たり前のことだろう。そういうとき本来なら互いに尊重しあい、言い方を変えれば我慢をして争いを避けるものだが、今はそれもなかなかうまくはいかない。これだけ世の中が開かれ様々な人がいるとどこを向こうとも自分の反対側に誰かがいる、誰かの尊重が誰かの否定につながってしまうこともあるし、中には自分さえよければいいと尊重という言葉を盾にし自分の欲求を押し通そうとする人もいる。尊重や自由という言葉が人の強欲さに拍車をかけてしまった。そもそもそう多くの価値観が乱立していては全てを拾い上げるのはどだい無理な話でどこかで切り捨てが起こってしまうものだと私は思うけど、切り捨てられた側からしたらたまったもんじゃないし、いざ私がその立場になったら同じように不満をぶつけるだろう。十人十色という言葉があるけど、現代はどこかの偉人がやったように――しょせんただの逸話だけどね――その十人の話を同時に聞かなければならない。たとえそれが無理難題だと思われようともね。
 それに、これはいつの時代にもついてまわる話で、いくら時が進もうとも人のなかから悪は消えない。人の不幸は密の味と言われるように、人を陥れるのを喜ぶ人もいる。それもやっかいなのがネットによって人と人のつながりが強くなったがために、悪意も伝搬しやすくなり、私といういい実例があるように、望まないつながりもできやすくなってしまった。今や世界中からの悪意に身をさらされることもありえるわけだ。くわえて、今の君がまさしくそうなのかもしれないけど、知らない方がよかったということもある。自分のいまがどういうものなのか、その比較対象は世界中の人。知りすぎて比べすぎて不幸になってしまうんだ。結局、ネットやACのような未来をつくりだすような道具がでてきてもみんなが幸せになるなんてことはない。誰にでも幸せになる権利はある、でも誰もが幸せになれるわけじゃないんだ」
 私は黙って総一の話を聞いていた。
「人のあいだに争いが絶えないのは、不幸がつくられつづけるのは、人に善悪の知識があるのはもちろんだが、それよりもあらゆるものを共有していかなければならないことが原因だと私は思う。共有しているから不平等が生まれ、悪意につけこまれてしまうんだ。だけど、つながることを否定したいわけではない。つながるからこそ得られる幸せがあるのも事実だからね。だから、つながりは維持しつつ完全に独立した自分だけの財産を築く、つまりひとが物語をつくるように思いのままにできる自分だけの世界を持てるようにするために『AC』はある。
 そこでなら自分にとって都合のわるいことは何の苦労もなく都合のいいことで上書きできる。例えば容姿にせよ性格にせよ能力にせよ劣等感を抱えていても思うだけで理想の自分になれる。欲しいものがあればそう望めばいい。好きな人とだけ付き合っていけばいいし、煩わしい常識や制限も取っ払ってしまえばいい。あるいは今のままがいいというならそうすればいいし、さらに困難な状況に身を置きたいならそうすればいい。孤独でいて孤独ではない世界で好きに生きて好きに死ぬ。誰かに壊されることのない幸せを自分自身でつくっていく。
 ――私のやろうとしていることはそういうことなんだ」
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