AC8.1

文字数 4,008文字

 顔を上に向けると埋め込み式の電球が一つ白い光を放っていた。前に向けるとお約束の光景が広がっている。
 ここまでは変わったとは言い難く、それがわかるのはこの先の十字路のところだ。と言いつつも心ではわかっていながら数歩足を運ぶ。すると照明が次に切りかわる。しかし、そこはからっぽだった。自分の投げ出した証を直接形として目にするのは想像していた以上にくる。諦めなければあったはずのものを意識しつつそこを通り過ぎ、頭の中で数えながらさらに奥へと進む。まもなく七個目の照明が点灯した。たしかここらへんに十字路があったはず、無心になるほど歩いたから合っていると思う。ところが左右の道はきれいにふさがっているし、ためしに壁を触ったり、叩いたり、押してみたりしたものの動くことはなかった。いまさら驚きはしないけど、こうして当たり前のことのように見せられると自分の小ささ無力さをひしひしと感じる。
 調べられるところは調べたので、あと少し次の会場を目指し歩きだした。やがて十個目の照明とともに最後の扉が現れた。その扉はいつもと何の変わりもないただの鉄の塊のような扉だけど、いつもよりも巨大で頑丈な気がして、見ているだけで潰されてしまいそうなほどの重圧感にみまわれる。その重圧感にはなから開ける気がないのをさらにやすりにかけるように容赦なくけずられ、一歩近づいていくごとに気持ちは小さくなって、扉のほうはもっと大きくなっていく。しかし手前までくると扉は急激に元の大きさに収縮し、その無機質な体の中に巨大さも、頑丈さも、重圧感も、不安も、緊張も、希望も、絶望も、虚無も、自分の命運も――――なにもかもを凝縮して立ちふさがった。この扉を開けたら、もう立ち止まれない。ぽっかりと空いた底のない穴に転げ落ちていくだけだ。ふと後ろを振り返ると、暗がりが無言の圧力でもって急かすように逃げ道を塞いでいた。
 もはやあの牢屋で目覚めたころの――こうなることが決まっているけれど何も知らずにいる自分でさえも、どうしようもなく羨ましくて戻りたいとすら思える。
 それでも扉のほうに顔を向けた。そしておもむろにノブへ手をのばし、そっと掴んだ。すると金属の拒絶しているかのような冷たさがじかに手のひらから伝わってくる。それでなにを思ったのか手を離して手のひらを触ってみると、薄く冷たさが残るその奥にあたたかさが脈動していた。
 扉の先で自分は最初の部屋に戻ってきたかのような錯覚におちいった。それは家具こそないけど、コンクリートといい広さといい扉といいあの牢屋じみた部屋とうりふたつだったからだ。ある意味で始まりである部屋の中央で最後の案内が始まった。
「お待ちしておりました。さっそく四つ目――最後のテストの説明を始めたいと思いますが大丈夫ですか?」
「…………はい」ひどく弱った声で答えた。
「それでは……四つ目のテストも引き続き迷路になっています。が、今回はあるものを集めてもらいます。それはこれまでテストで合格した時に手に入れた鍵とエレベーターの鍵です」
「エレベーターの鍵?」
「はい。詳しい説明の前にこちらを見てください」
 彼女がそう言うと同時に目の前に映像が流れはじめた。それが何を映しているのかすぐに理解し
「姉さん!」と叫んだ。
 監視カメラから見ているような画面の中央には、手足を拘束され、体調が悪いのかうなだれて椅子に座っている女性が映っていた。顔は見えないけれどまぎれもなく姉さんだ。……そう、姉さんだ。姉さんだけど……。
「ご覧の通りあなたのお姉さんは迷路のどこかに幽閉されています」自分の苦悩をよそに彼女は続ける。「お姉さんを助けるためには、ここからは見えないですが、お姉さんの前にある鉄格子と手足の拘束具と後ろの鉄格子の鍵を解除して、さらにその先にあるエレベーターに乗らなければなりません。そのため三つの鍵とエレベーターキーが一つ必要となるわけです。ですが、あなたはすでに鍵を二つ持っていますので、あとは鍵とエレベーターキーを一つずつ集めれば大丈夫です。ここまでは大丈夫ですか?」
「……はい」止めようと思ったものの、とりあえずは最後まで聞くことにした。
「では続けますね――――あなたはこれから迷路で鍵とエレベーターキーを集めることになるのですが、集める方法は二つあります。一つは迷路の中に隠されているものを手に入れることです。たとえば箱の中だったり壁の中だったりです。もう一つの方法は、正確に言うなら二つですが、『譲渡』と『強奪』です」
 強奪というぶっそうな言葉につい顔をしかめた。
「さきほどこのテストには他に参加者がいると言ったのを覚えていますか? その方々もあなたと同じように誰かを囚われ助けるために鍵を集めています。それを踏まえてまず『譲渡』のほうですが、これについては特に説明はありません、そのままの意味なので。重要なのは『強奪』のほうです。相手の持っている鍵を強奪するためにはある条件を満たさなければいけません。それは所有者の死です。鍵にはそれぞれ所有権があり、所有者が生きているかぎりつまり気絶状態では所有権は放棄されず、死亡してはじめて他の誰かが手にできます。もう一度言いますが気絶ではダメです、死なないといけません」
 とんでもないことを彼女は念入りに言った。一度聞けば十分だ、と心の中で悪態をつき、そのまま黙っていると彼女は説明を続けた。
「最後にこのテストでの不合格ですが、まずは制限時間があります。制限時間五時間のうちに脱出できなければ不合格です。次に誰かが脱出した場合です。参加者は鍵とエレベーターキーを集めなければならないのですが、鍵については人数以上に用意されています。しかしエレベーターキーは一回につき一つしかありません。なので他の誰かが脱出してしまった場合、その時点で不合格となってしまいます。そして以前説明したとおり不合格となっても再挑戦が可能です。が、これもまた条件があり、鍵一つと引き換えにその権利を得られます」
「なら、鍵が一つもなかったらどうなるんですか?」胸に不穏なざわつきを感じながら尋ねた。
「そうなってしまった場合、残念ながらその時点で死亡となります。しかし、特殊な信号を流し電源を切るように一瞬ですから痛みも苦しみもありません、その点は安心してください」そして「何か質問はありますか?」といつものように終わった。
 最後のテストはこれまでとは打って変わって随分と内容が殺伐としている、というより本性を表したと言ったほうがあっているのかも。とはいえそんな気はしていた。むしろ自分の置かれている状況やこの施設の雰囲気からして殺伐とした命のやりとりがあるほうが自然とすら思える。ただ……。
「自分が死んでしまった場合、姉さんは――」
「もちろん、その時はいっしょにです」どうなるんですか? と聞こうとしたのをさえぎって答えた。
 説明を聞いた時点でわかってはいたけれど、やっぱりそうなるのか。これで自分だけが犠牲になるのならそうそうに諦めてしまってもいいかもと思っていた、でも姉さんが道連れになってしまうのなら逃げ出すわけにはいかない。しかし、あの考えが足を引っ張る。引き剥がそうとしてもその爪が体の深くまで食い込んでいて、かえって自分を苦しめる。その苦痛に自分は振り払うことを諦め、次の質問に移ることにした。
「強奪についてなんですが」と自分は切り出した。「自分がやらないといけないんですか?」
「いいえ。そういうわけではありません」
「それと、かりに自分でするとして何か使えるものはあるんですか?」
「はい。迷路の中には鍵以外にも様々なものが置いてありますので、その中から好きなものをつかってください」
 自分で聞いておいてなんだが、話の内容からは想像ができないほど彼女は簡単に言った。まるで訪ねてきたお客さんにでも言うような、その軽い態度に彼女とのあいだにとてつもない隔たりがあることを改めて感じた。言うなればガラス越しに観られている実験動物のような気分だ。続けて自分は彼女に尋ねた。
「……それで、なぜ姉さんがここにいるんですか?」
「それはその必要があったからです」
「うなだれているようですけど、大丈夫なんですか?」
「はい。大丈夫ですよ」彼女はけろっとした様子で答えた。
「もう一度聞きますが、どうして姉さんが必要なんですか?」
「それは答えられません」
「どうして、ですか?」語気を強めて尋ねた。
「すみません。どちらも答えられないんです」
 沈黙が辺りを支配した。
「……わかりました。もう大丈夫です」と自分はついに折れた。
「でしたら最後のテストを始めたいと思うのですが、その前にこちらを受け取ってください」
 そう言って彼女が渡してきたのはほんのりと黄色がかった四角い何かだった。古くなって変色した紙にも似ている。その疑問に答えるように彼女は言った。
「それは迷路の地図です。通った場所が自動で書き込まれるようになっていますので、ぜひ使ってください」
 意外なものをもらえたことに驚きつつ、小さくして端に寄せようとした時、あることが頭をよぎった。わざわざ彼女が地図を用意しているということは、それだけ迷路が広いのでは。その懸念に制限時間が引き寄せられたかのように思い出され、輪郭をハッキリと形作った。そうして出来上がったものを胸に、小さくなった地図を適当な場所にしまい、彼女を待った。
「それでは扉の前まで移動してください」
 指示通りに扉の前までくると
「最後にもう一度確認しますが、本当に大丈夫ですか?」
 と聞かれたので頷いた。
「わかりました。これより最後のテストを開始します。私が合図をしたら扉を開け中に入ってください」彼女はそう言って一呼吸おき「では、始めてください」と合図を出した。それと同時にノブを掴み、迷路の中へと足を踏み入れた。
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